はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

「安倍山系 下」出版

2014-09-09 09:17:04 | その他
             
 「安倍山系 下」(松浦理博著)が出版されたと聞き、先日藤枝の戸田書店へ買いに行ったが売切れだった。
しかし2・3日うちの入荷するとの事だったので、再度昨日行って購入してきました。
 本の著者松浦さんは、このブログに時々コメントをしてくれていたので、ハンドルネームだけは知っていました。
だが、本名や山の本を出版している事など何も知りませんでした。
 それが偶然大崩山塊の北のピークでお会いして色々話を伺うと、この辺りの登山道の詳細を本にして出版する
ための調査をしているとの事でした。

 その後も444m峰下の廻り沢林道からの直登ルート上や、簡保尾根の石部峠から尾根伝いに農道に出る山道でも
お会いした。それらの道は全て一般ルートからは外れていて、普通の人はまず立寄そうもない所だ。そんな所で3回も
お会いしたのだから何か縁があるのだろう。
 それにお互い単独行で歩いていて、その目的も大崩山塊の紹介が目的だ。尤も私の場合はお絵かきのようなHPでの
紹介だが、松浦さんの方は立派な活字の本で、とても私とは比較の対照ですらない。
更に大きく違うのは山の道に対しての感受性が違いだと思う。松浦さんは全ての道を客観的に紹介するのに対し、私は
必要に感じた道だけを主観的に紹介している。ようは私は何らかのメリットがあると感じた道だけしか紹介していません。
でも一つだけ言える事は、私の場合はHPの特性である写真を多く紹介してあることで、松浦さんの紹介文を読みながら
私の写真を見れば案外初めてのコースも理解しやすいと思います。

 そこで私のHPを紹介します。HPの完成はサグラダファミリアではないが、歩けば歩くほど紹介したい事が増え
いつ終了するか分かりません。イヤ終了などないかもしれませんが、コース紹介の部分はほぼ終っています。

 私の大崩山塊のHPアドレスです。 http://www.geocities.jp/s_kiisan/ookuzure/framepageookuzure.html
ブログのブックマークから 「はぐれのHP」(静岡県の低山紹介等)をクリックして入ってください。

 何しろブログと違いHPは手間暇が掛かる割りには、訪問者は殆ど無く淋しい限りです。一度遊びに来てください。
「安倍山系」紹介する積りが自分のHPを売り込むなんて、ズーズーし過ぎるかな。



「海から歩いて越前岳に」の真相2

2014-09-07 12:09:52 | 低山歩き
 意志薄弱な故の中止か、冷静な判断による撤退か、はたまた移り気な性格故の変更か、実態は不明だが
これで5年間「古稀の歳に海から富士山剣ヶ峰は」に向けて続けてきた努力は終わってしまった。
今年の春、富士山への試金石として大崩山塊の「十字縦走」や「静焼アルプス縦走」の豪脚コースを完歩した。
だがどちらも昨年に比べ歩行時間が1時間は長くなり老化に伴う衰えを感じた。だがその時はせめて夏の
富士山までは体力を維持できるようにと願ったがそれもならなかった。
もう「山は逃げない」とか「次回があるさ」は私の「海から富士山」には適用できない。ただただ諦めるだけだ。

 前回の表題の「海から歩いて越前岳に」を見て、物好きな奴とか、意味の無いコース設定だと思った人が
殆どだと思う。かく言う私だって例えバスの便が無いからと云って19km先の田子の浦海岸から歩いてこようとは
思わない。そうその真相は「海から富士山」から逃げ出した結果に過ぎなかったのです。

 ノンビリ涼しそうな草山が私を誘っている。気を取り直して越前岳に向かおう。

 
           越前岳登山道                            越前岳山頂標識

 越前岳の登りの話は前回書いたので、ここでは写真を紹介しておきます。
紹介されていたコースタイムより30分余計になったが、思ったより疲れず山頂に着いたので、小さな後悔の
種が生じた。さっき感じた食事のノツノツと胸の気分の悪さは一時的なものではなかったか、と。

 
            富士見台の標識                         富士見峠の道標

 越前岳から富士見台へ向かう下りは、最初は下りになりホッとしたが、中々富士見台に着かない。
多分富士見台は黒岳寄りにあるのだろうと自分を慰めながら下って、ようやく着いた富士見台の標識には
「越前岳へ500m」となっていた。たった500mがこんな大変だとは脚がガタついているのだろうか。

 標識の愛鷹登山口が何処を指しているのか分からないが、ともかくあと3.1km下れば舗装道路に出れそうだ。
だが途中にあるはずの黒岳への分岐の富士見峠までが中々着かず、途中からは脹脛の前がビリビリし始め
るし、腰と背骨が分離してしまったようにグラグラフラフラする。
ここで転んではならないと注意するのだが、重心がザックの重みで後ろになってしまう。結局2度ほど尻餅を
ついてしまった。今度は用心のため故意に腰を少し前に傾け、前かがみの状態で歩いた。こんな格好を誰かに
見られれば「まるで類人猿のよう」と思われただろう。何とも情けないが転ぶよりいい。
 越前岳山頂で生じた小さな後悔の種は、成長する事なく溶けてしまい、今や富士山に向かわなかった自分の
判断が大正解だったと感じるようになった。

 ようやく着いた富士見峠は広い場所だったが富士山は木の影なのか見えなかった。
峠の標識には「黒岳まで500m」とあるがとても行く気にはなれない。もうほぼグロッキー状態で下りさえいや
なのだから上りなんてとんでもない。もう一刻も早く須山に下りたかった。
ただ、この標識には登山口までの距離の表示は無かった。後どの位なのだろう登山口までは。

 
             愛鷹山荘                       トイレ

 峠から5分ほどの所に愛鷹山荘が現れた時はホッとした。ただホッとして足は水場の方が下山路かと思い下り
かけたが、ふとトイレらしき方を見ると何か書いてある。疲れたグロッキーだと言いながらもまだ好奇心は残って
いるようで、確認のためトイレに近づいた。
そこには「男・小キジ専用」と書いてあるが----- 体が疲れると脳も疲れるのか意味が判読できなかった。
最初の「男」は当然分かるが、次の「小」は小便の事か。では「キジ」とはキジうちの事なら野糞の事になるが、
トイレがあるのだから野糞にはならない。とすると「小キジ」と読むのか? でも「小キジ」って何だ?
 疲れが癒えてこのブログを書いている今でも考えても分からない。そこでネットの助けを借りようと検索すると
「キジ撃ち → 野糞をする事。その姿勢が猟師のキジを撃つ姿勢に似ているため」
「キジ撃ち → 立小便をする事。その姿勢が猟師のキジを撃つ姿勢に似ているため」
の2説があった。
私は当然上の説で、だいたい立小便に行くとき「キジうちに行く」など言った事も無いし、聞いた事も無い。
 余計な事だが女性の小便は「花摘みに行く」と云うらしい。矢張りその姿勢から来ているようだ。
結局疲れていてもいなくても「男・小キジ専用」の意味は分からなかった。

 便所の先に道が続いているようだ。覗き込んでみるとしっかりした道が先に延びている。では水場の道はと
振り返ってみると、どうやらその道は水場までで、その先は沢になっているようだ。
アー良かった。自分の好奇心に助けられた。
でも疲れて判断力が落ちていなければ、水場の道へ行こうとは思わなかったかもしれない。

 普段ならなんでもない梯子をオッカナビックリで下り何とか林道に着いた。ガクガクになっていた足腰だったが
平らな舗装路になると平然と歩く事ができ、お蔭で林道を15分で国道のバス停に着く事が出来た。
バス停の名前は「愛鷹登山口」とあるので富士見台にあった標識の「愛鷹登山口」はここを指すのだろうか?

                 

 富士山へは私を見放した神だが、最後になってなって助けの手を差し延ばしてくれた。
バス停に着いて間もなく1時間に1本もないバスが到着した。もうその時は新しくなった須山浅間神社の事など
頭の片隅にもなかった。

 疲れた疲れたの連続だったが自分の歩行時間と山と高原地図の所要時間と比べてみた。
所要時間(計5時間35分)
十里木登山口 2:30 越前岳 0:25 富士見台 1:25 富士見峠 1:00 愛鷹神社(林道) 0:15 愛鷹登山口(バス停)
大和高原地図記載時間(計4時間45分)
十里木登山口 2:35 越前岳 0:20 富士見台 0:55 富士見峠 0:35 愛鷹神社(林道) 0:20 愛鷹登山口(バス停)

         *****************************************************************

 6月に旅行から帰ると睡眠障害、倦怠感、手足の痺れなど症状を数えはじめるときりが無いほどの、体調不良に
陥ってしまいました。余りの不調さに音を上げて検査を受けると、医者は「若干貧血気味だが治療の必要は無い」
との事だった。そして貰った薬は睡眠薬のみ。
医者がそう言っても、怠くて外に出る元気もなく6月・7月と散歩にも出ないで家の中に引き籠っていた。
好きな酒も飲みたくなく、本を読んだりHPの修復をしたりして時間を過ごしていた。
それでも睡眠薬のお蔭で、夜は眠れるようになると少しづつ倦怠感が減ってきた。そうなると海から富士山の事が
気になりだし、8月になって河川敷を歩いてみた。だが8kmも歩くともう駄目で、しかもその後2・3日歩く事が
出来なかった。そんな事を繰返していて、何とか12kmを歩けるようになったので、最終チャンスの9月に富士山に
挑戦することにした。
それが無謀な事で結果は分かりきってたが、私には剣ヶ峰に登る事と同時に、「海から富士山」に挑戦することも
大事だった。結局こんな結末になってしまったが。
 私の体調不良は一時的なものでなく、加齢による症状でもう改善する見込みがないのかもしれない。好きな
長距離の観歩も出来ないと思うと悲しい。
しかし今回富士山は失敗に終わったが、体調不良の中、海から歩いて何とか越前岳に登る事が出来た。と、
云う事は、海からでなく十里木登山口を出発点にすれば、まだ十分完歩できるかもしれない。
そうだ、そう思う事にしよう。これで涼しくなって来れば体調も前回はともかく、少しは改善されるかもしれない。
そうしたら大崩山塊を歩いてみよう。豪脚コースは無理でも健脚コースぐらいなら歩けるかもしれない。






「海から歩いて越前岳に」の真相

2014-09-06 11:10:58 | 低山歩き
 今年の年賀状に 「古稀の今年は 海から富士山に挑戦しようと思っています」 と書いた。
毎年登っている「海から富士山」を、わざわざ年賀状に書いた理由は
昨年の登山で自信を無くしたので、自分の背中を押すためと、自己顕示欲そのものだったと思う。

 海から富士山は、昨年は7月9・10日に行っていて遅い年でも8月20日前までには登っていた。
それが今年は8月を過ぎたというのにまだ決行していない。
早くしないと富士宮新5合目から富士宮駅までのバスは、9月10日が最終日なので急がないと。

 9月に入り天気予報に注意したが、好天気が続く日はなく結局9月3・4日に登る事にした。
昨年の登山では、1日目は例年通りの時間で6合目に到着したが、到着後いつもなら美味しく飲む氷結は
不味いし、夕飯もノツノツして喉を通りにくく、薬と思って無理に飲み込んでいた。
2日目も山頂までで疲れ果て、例年より1時間も余計に掛かってしまった。おまけにお鉢巡りはせず宝永山も
歩かずに下山する始末だった。
それを反省材料に今年は1日目の出発時間を2時間早める事で、ゆっくりでも夕方6時までには6合目に着く
ように設定した。

 1時20分の田子の浦海岸は暗闇の中だが漁港の灯台の青と赤の灯が点滅している。海には漁船が灯す
漁火がチラチラ動いていた。今自分の漁は何があるのだろう? シラス? サクラエビ? 分からない。
今朝は海岸を2時に出る予定だったが、家で横になっていても眠る事が出来ないので、そんな事なら早出を
しようと、一睡もしないまま車を走らせてきた。

                
                                工事中の出口側
 夜中とはいえ舗装された車道だし、過去何回も歩いている道なので何の不安もない。ヘッドランプも海岸
以外では余り点ける事もなかった。
下を向いて黙々と歩いていると突然目の前にロープが張られていた。ヘッドランプを付けて確認するとロープの
先は2m程の低くなっていて、そこには重機が2台停まっている。
工事中なら回り道が有る筈だと案内板を探すが見当たらない。どうやらもっと手前に回り道に表示があったのを
見落としてきたようだ。こうなればここを行くしかないと前に行くが段差が大きすぎて降りれそうもない。右側も
同じように段差があった降りられない。では左側とヘッドランプを照らすと法面はあるが、そこを登るのも大変
そうだ。他にないかと前方下を照らすと、ネコでも通すのか細く土が盛ってある場所が見えた。フー助かった。
後はどうという事はなく舗装道路に戻る事が出来た。
最初は回り道を見逃した事を後悔したが、こうなると逆で、回り道を見逃した事に感謝だ。こんな田舎の道では
回り道はどれ程遠回りか分からない。それに昼間ここを歩くとなればぜった通してもらえないだろう。
ともかく助かった。今日はツイテいる。

 月は見えないが星は少し見えている。吉原の町か夜景も見える場所があった。
桑崎のを過ぎた先は民家はなくなるが特に不安は感じない。ここまでも車以外は擦違っていないし、この先は
車も走っていないだろう。こんな所で人に会ったりしたら逆に恐ろしくなってしまう。
産廃施設の先で更に細く暗い林道に入る。道は舗装されているのではっきりしているが、ここから先は鹿や猪が
現れそうで心配だ。野生動物は早朝朝飯を探して歩くと云うし、特に猪は夜行性が強いと云う。そこでここからは
ヘッドランプを付ける事にする。何? ズート点ければって
点けるのは良いけど明日も3時前から歩く予定なので電池が無くなると困る。電池の予備は重たいので持ってきて
ないが、出がけに新品に変えたので大丈夫と思うが注意することに越した事はない。

 何事もなく林道を通過。前方には十里木街道の県道を走っている車が見えている。林道の中は薄暗いが県道は
既に完全に明るく夜は明けていた。

県道の合流点に5時15分到着。ここは食事とチェックポイントの場所と決めていたので経過時間を調べてみた

今年 海岸発 1:20 → 5:15 県道出合着  所要時間 3時間55分 
昨年 海岸発 3:35 → 6:40 県道出合着  所要時間 3時間05分  

オー! ここまで50分も余計に掛かっている。ここは今日の行程の大よそ30%位の所だから、仮にこのまま
行けても6合目到着までに170分(3時間)余計に掛かる計算になる。
到着時間は3時間余計に掛かかる、朝が早かったので6時には着けそうだ。だが気になるの余り早い段階で
ペースが落ちた事だ。
マー 先のことは次のチェックポイントの水ヶ塚で考えればよい。ともかく1回目の食事だ。

 ウーン何だか変だ。林道を歩いているときは空腹感を感じたが、今は何故かノツノツして喉を通らない。
この現象は富士山の山頂や超長距離を歩いた後の夕飯。そして昨年の6合目の夕食もそうだった。
おまけに食事が終わるころから胸が息苦しくなってきた。気のせいだと思う事にしたが、これで不安が増大。
今日例え6合目まで辿り着けたとしても明日の登山はどうなるか。いくら早朝出発しても距離は変わらない
ので、疲れは増える事はあっても減る事は無さそうだ。と云う事は剣ヶ峰に到着できないという事だ。
ウーンどうしよう、迷って迷って、悩んで悩み抜いたが、心の奥は決まっている。ともかく水ヶ塚まで行こうと。

 そろそろ通勤時間になるのか十里木街道は乗用車がスピードを上げてくる。右端を歩いている私に気づき慌てて
ハンドルを切る車もあるが、そのままの方向で走り抜ける車もある。俺に気付いているのかな?と恐ろしくなる。
もうこの道も今年が最後で、来年からは新5合目から歩く予定なのだから暫くの我慢だ。

 歩きながらもまた迷いだした。
この調子では明日の登頂はほぼ無理なのに、歩き慣れた道をわざわざ水ヶ塚まで行くのも面白くない。それなら
須山口登山道に合流する弁当場まで行ったら、水ヶ塚に向かわず須山口を須山に下ったらどうだ。
須山口の下の部分は1度しか歩いてないし、新しくなった須山浅間神社に参拝するのも良い。
ヨシ!これで決定だ!

         
       十里木越前岳登山口                    登山口の道標

 決定はしばしば変更する。これは私の得意技で越前岳の草山を見て、またさっきの決定は変更される。
今年の春、越前岳に富士山と愛鷹ツツジを見に登る予定だったが、ツツジの時季とコースが決まらず結局
歩かなかった。
越前岳の登山コースで一番多いのは、ここ十里木の越前岳登山口に車を置いて、越前岳を往復するらしいが
それでは面白ないし、富士山の紙幣の絵柄にもなった所から富士山も見てみたい。
今はツツジは咲いていないが車がないので、ここに戻る必要はない。

 近くに立つ道標には越前岳まで120分と書いてある。しかも越前岳の標高は1507mで6合目の2500mに比べ
1000mも低い。時間もまだ7時半で充分早い。愛鷹山の地図も資料も持っていないが越前岳までは1時間余計に
みて3時間とする。富士山を見ながら黒岳方面に下り林道まで3時間。そこから須山まで1時間。休憩を含んでも
8時間あれば十分だろう。今は7時半だから須山には3時半には着くだろう。
ヨシ これが最終決定だ。
                                           








海から歩いて越前岳に

2014-09-05 15:39:59 | 低山歩き
 ご無沙汰してました。130日振りのブログ再開です。
歩きの方も6月に、金谷駅から静岡空経由六合駅の30kmが最後でしたので80日振りになってしまいました。

その再開初回を飾るのは「海から歩いて越前岳に」です。
コースは 田子の浦海岸 ― こどもの国 ― 十里木越前岳登山口 ― 越前岳 ― 富士見峠 ― 
須山愛鷹山登山口 です。

   
        金原明善碑                     こどもの国入口

 まだ真夜中に田子の浦海岸に車を置いて出発。越前岳登山口までは「海から富士山」で歩き慣れた道です。
なのに今まで気が付かず通り過ぎていた石碑がありました。
「親に仕えて孝、子孫の為に林業を起こす、実に賢なるかな 八十五翁明善書」
金原明善記念館のある中野町(現浜松市)は、旧東海道間の宿で天竜川西岸の船着き場の所にあり、
過去何度か天竜川の洪水で被害を受けた事がありました。
そんな事で金原明善の林業指導は治水が主で、植林場所は川の上流ばかりと思い込んでいた。
それが河川とはあまり縁のない富士山周辺でも指導していたと初めて知りました。そのためか治水目的なら
川の氾濫を強調して教えてだろうが、ここでは「子孫の為」と云っている。
エー何でそんなことが分かるのかって? 実は石碑の隣に説明板があり石碑の意味等が書いてありました。

 ここまで見えなかった富士山でしたがこどもの国前では姿を現してくれた。風が強いのか雲の動きが早くて
姿を出したり隠したりです。山頂付に帯雲のような雲がかかっているが、この位置では帯ではないし--- 
そうだ「鉢巻雲」だと勝手に命名。ついでに天気予報までしてしまった。
「帯雲は富士山が明日はお出かけのため帯を巻いている。故に明日は富士山は見えないので天気は下り坂。
一方鉢巻雲は富士山が鉢巻をして急いでいるから、明日ではなく今日中に富士山は見えなくなってしまう。」

どうですかこの天気予報は。でも本心はこの予報が出鱈目で富士山が見える事を願っているが------

 
       十里木越前岳登山口                   十里木越前岳登山口の上より

 7時35分十里木越前岳登山口に到着。既に登山しているのか無人の車が2台停まっていた。
登山口から見える草原の丘は、なだらかでいかにもハイキングに適したコースのように見える。
だが入口に立っている案内板には、山頂まで2時間と書いてあるので、山頂は当然アンテナの奥にあるのだ
ろう。しかし山頂が見えていないという事は急な登りでは無いという事だろうか?

 木製の丸太2本の階段は私には段差が大きすぎて自然と隅を歩くようになってしまう。同じような考えの
人が多いのだろう、この種の階段の横は新しい踏跡が出来ている場所が多い。
好きで歩いているのに文句を言える筋合いではないが、もう少し低い階段ならなーと思う事が多い。
 その階段を少し登っただけで下で見たより雄大な富士山が見えた。広大な麓に広がる森林を切り開いた
ゴルフ場が見える。明善さんの教えより金儲けの方が大事なのかとも思うが、外材との価格競争に負け活路が
見いだされない林業では売れる時に売っても仕方ないのかもしれない。
それに国内林業の敵は外材だけでなく国内のエコ運動の一部も災いしていないか。材木の消費を減らすための
「マイ箸運動」は、森林育成のために必要な間伐で発生する間伐材の消費を少なくしてしまった。それでなくても
間伐をしなくなった森は更に間伐をしなくなり、良い木が成長しなくなっている。また間伐をしてもその間伐材は
森の中に放置されて腐るに任せた状態だ。マイ箸も良いのだがその理由をエコには結びつけてほしくない。

 
               展望台                           下から見えたアンテナ塔

 階段の途中に木製の展望台があった。残念ながら富士山の一部は雲が掛かってしまった。展望台の横に二つの
塚が見えているが、あれは遊園地のあるグリンパの所にある塚なのか? それにしては観覧車が見えない。
尤も塚の存在は「海から富士山」で歩く須山口登山道が塚の横を通っているのを、地図上で知っただけで
何度歩いても実際の塚は見ていないので確かではない。

 次に現れたのは下からも見えていたアンテナ塔だった。立派な塔なのに設置してあるアンテナは東西の中継に
使っているのか左右に2個だけ、イヤ4個かな? 随分金回りのいい会社だ。

 木の階段が終ると傾斜が急で、荒れたと云うか整備しても流されてしまうのか、雨の後はズルズルして滑ったり
靴が汚れてしまいそうな道になった。そのためそこを避けて何本かの踏跡、いや道ができている。
この様な登山道は他所でも見かけるがここの場合は1本2本ではなく、それこそ何本もありどこを歩くか迷って
しまった。登山口でハイキングに適したコースと思ったのは大間違いで、こんな道は道標の整備された登山道では
経験がなかった。
 だいぶ高度も上がり上の方が明るくなった辺りに、勢子辻へ抜ける道標が立っていた。見るからに余り人が
歩いているようには見えない。だが逆に人が歩いていないという事は、道は左程荒れていないという事か?

 
               越前岳山頂                       越前岳の二等三角点

10時20分越前岳に到着 登山口の案内には2時間とあったが2時間30分掛かってしまった。途中の登りでは
3組5人に追い抜かれているのでマーこんなものだろう。
 見晴らしの良い方向を見るが富士山は見えない。こどもの国の前の鉢巻予報が当たったのかしら、とガッカリ
してしまった。改めて越前岳の山頂表示を写真に撮ろうとカメラを構えると------
アレー! 木の上に頭を出しているのは富士山ではないか。入口からズート富士山は後ろに見えていたので
方向感覚が狂ってしまったようだ。改めて開けた方角を見ると左の隅の方に海が見えている。田子の浦海岸かと
目を凝らすがどうも違うようだ。さらに視線を右に移すとそちらは雲がかかっていて見えない。
多分この雲の中に田子の浦海岸はあるのだろう。

 山頂には私を追い抜いた3組を含め4組の登山者がいた。話を聞いていると皆十里木の駐車場に車を置いて
きていて、この越前岳を往復するようだった。
私の予定は昭和初期の50銭紙幣に使われていた、岡田紅葉が写した富士山の見える場所が黒岳方面にある。と
いうので黒岳経由で須山に下る予定だ。
だが山頂にある道標は「呼子岳・鋸岳」「十里木登山口」しかない。黒岳はどっちだと迷っていると
「どちらに行くのですか?」と声が掛かり教えて貰う事が出来た。
その道は富士山の方向に向かう道だった。

 
          富士見台から                           50銭紙幣(ネットより複写)

 最初は緩やかな下りだったが直ぐと十里木からの登りと同じような道になった。それでもこちらは歩く人が少ない
のか十里木の道より歩きやすい。だが疲れが出はじめたのかピッチは余り上がらなかった。

 富士見台は標識が無ければ見落としてしまいそうな所で、もう少し樹木を切って視界を広げてくれれば-----
案内板には「昭和13年に発行された50銭紙幣の図案に採用された富士山は、岡田紅葉がこの富士見台から撮影
された富士山です」
とあった。
写真と云うより絵に近い感じで雲の下に散らしてある花は愛鷹ツツジなのか。それと右上から光線(?)を発している
のは日の出のときの太陽か。だがここから太陽の書かれた方向は北北東で、日の出る方向ではない。
更に言えば富士見台からあの方向に太陽が見える事があるのだろうか????
で、実際に見えた富士山は余り変わり映えのしないこんな富士山でした。
アラ! 二つの塚の中央辺りに観覧車が見える。あそこがグリンパなのだ。さっき十里木側から見た時は
観覧車が見えなかったのは、きっと見た場所の標高が低くて、塚の影に観覧車は隠れていたのだ。
あの大きく高い観覧車が隠れて見えない? 自信は無いがそう云う事にしておこう。

 一昨年は富士山眺望トレインとか伊豆低山の三国山、金時山、達磨山、発端丈山、沼津アルプスを歩いて
富士山の眺めを堪能してきた。その最後としてここ越前岳の富士見台を思っていたが正直期待外れだった。
私の風景を見る審美感は幼稚で、富士山でも絵葉書的な写真を好んでしまうのか、この紅葉の写真は気に入ら
なかった。

 ところで話は変わって「銭」の単位のお金を使った事はありますか? 私が子供のころは飴玉1個が50銭で
50銭玉を使った覚えがあります。だがその時は硬貨で紙幣の記憶はありません。

    
                鋸岳                       荒れている道

 右手がガレ場になっていてロープが張ってある。その先に鋸岳が見えていた。私にとって愛鷹連峰の中で
一番馴染みのある山はこの鋸岳で、何度登ったか分からない位だ。鋸の刃渡りは勿論のこと須津川から
直接鋸に向かう沢登り。確か第3ルンゼに向かう沢にはチムニー状の所があったケ。
落石が怖くて「石を落さないで―」と大声を出して登った事もある。
須山側から直接鋸岳に登るルートは、最後がガレ状になっていて歯には直接登れず、鋸岳の入口の頂に
でた。須山から割石峠までは昼間だけでなく、夜一人で歩いた事も2度ある。須山から割石を須津側に下り
川の中州で仮眠をする。翌朝早く鋸の歯に向かう沢に行けば、まだ上に人がいないので落石の心配がない。
まさにわが青春の場所と云っても過言ではない所だ。
それが今では割石峠~須津は廃道。鋸岳の縦走は通行禁止となってしまった。

 青春の頃の自分に比べ今の自分の情けなさ。当然のことだが今日も疲れが出てしまった。
だが道は相変わらずの下り坂が続いていた。
ようやく黒岳と登山口の分岐の富士見峠に到着。ここまで来れば林道は近いだろう。

   
               愛鷹山荘                      梯子場

 富士見峠のすぐ下に愛鷹山荘があった。確かこの山荘は50年以上前にもあったはずだが、何度も愛鷹山に
登っている私も利用した事がない。それが今でも廃屋にならないで健在なのは利用する人いるのだろ。
一体どういう人が利用するのだろう。下から見上げた山荘は涼しげな感じだし、水場も近くにあった。
富士見台から富士山を写す人が利用するのだろうか。

 こんな梯子場が2ヶ所続いた所を過ぎると、傾斜が緩くなり下には舗装された林道が見えた。ようやく到着だ。

 
              林道から愛鷹神社                   国道の愛鷹山登山口

 1時25分林道到着。この林道は割石峠に向かう林道なので何度も歩いていたのだが記憶は甦らなかった。
きっと以前は鳥居だけで他の石碑や案内板は無かったのだろう。勿論駐車場もトイレも無かった。それでは
思いださなくても無理はない。決して痴呆症の初期状態ではないと自分を慰めていました。

 林道を15分歩いて須山側の愛鷹山登山口に到着。時刻は13時50分。周りの写真を写してからバスの時刻表を
見ると、次は13時54分の御殿場行だ。後1・2分しかない。こうなればもう迷う事ないバスに乗ろう。
せめて須山まで歩くとの思いは一瞬のうちに消えてしまった。
 
 バスは定時より1分遅れで到着。

                                                    つづく