はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

海から歩いて越前岳に

2014-09-05 15:39:59 | 低山歩き
 ご無沙汰してました。130日振りのブログ再開です。
歩きの方も6月に、金谷駅から静岡空経由六合駅の30kmが最後でしたので80日振りになってしまいました。

その再開初回を飾るのは「海から歩いて越前岳に」です。
コースは 田子の浦海岸 ― こどもの国 ― 十里木越前岳登山口 ― 越前岳 ― 富士見峠 ― 
須山愛鷹山登山口 です。

   
        金原明善碑                     こどもの国入口

 まだ真夜中に田子の浦海岸に車を置いて出発。越前岳登山口までは「海から富士山」で歩き慣れた道です。
なのに今まで気が付かず通り過ぎていた石碑がありました。
「親に仕えて孝、子孫の為に林業を起こす、実に賢なるかな 八十五翁明善書」
金原明善記念館のある中野町(現浜松市)は、旧東海道間の宿で天竜川西岸の船着き場の所にあり、
過去何度か天竜川の洪水で被害を受けた事がありました。
そんな事で金原明善の林業指導は治水が主で、植林場所は川の上流ばかりと思い込んでいた。
それが河川とはあまり縁のない富士山周辺でも指導していたと初めて知りました。そのためか治水目的なら
川の氾濫を強調して教えてだろうが、ここでは「子孫の為」と云っている。
エー何でそんなことが分かるのかって? 実は石碑の隣に説明板があり石碑の意味等が書いてありました。

 ここまで見えなかった富士山でしたがこどもの国前では姿を現してくれた。風が強いのか雲の動きが早くて
姿を出したり隠したりです。山頂付に帯雲のような雲がかかっているが、この位置では帯ではないし--- 
そうだ「鉢巻雲」だと勝手に命名。ついでに天気予報までしてしまった。
「帯雲は富士山が明日はお出かけのため帯を巻いている。故に明日は富士山は見えないので天気は下り坂。
一方鉢巻雲は富士山が鉢巻をして急いでいるから、明日ではなく今日中に富士山は見えなくなってしまう。」

どうですかこの天気予報は。でも本心はこの予報が出鱈目で富士山が見える事を願っているが------

 
       十里木越前岳登山口                   十里木越前岳登山口の上より

 7時35分十里木越前岳登山口に到着。既に登山しているのか無人の車が2台停まっていた。
登山口から見える草原の丘は、なだらかでいかにもハイキングに適したコースのように見える。
だが入口に立っている案内板には、山頂まで2時間と書いてあるので、山頂は当然アンテナの奥にあるのだ
ろう。しかし山頂が見えていないという事は急な登りでは無いという事だろうか?

 木製の丸太2本の階段は私には段差が大きすぎて自然と隅を歩くようになってしまう。同じような考えの
人が多いのだろう、この種の階段の横は新しい踏跡が出来ている場所が多い。
好きで歩いているのに文句を言える筋合いではないが、もう少し低い階段ならなーと思う事が多い。
 その階段を少し登っただけで下で見たより雄大な富士山が見えた。広大な麓に広がる森林を切り開いた
ゴルフ場が見える。明善さんの教えより金儲けの方が大事なのかとも思うが、外材との価格競争に負け活路が
見いだされない林業では売れる時に売っても仕方ないのかもしれない。
それに国内林業の敵は外材だけでなく国内のエコ運動の一部も災いしていないか。材木の消費を減らすための
「マイ箸運動」は、森林育成のために必要な間伐で発生する間伐材の消費を少なくしてしまった。それでなくても
間伐をしなくなった森は更に間伐をしなくなり、良い木が成長しなくなっている。また間伐をしてもその間伐材は
森の中に放置されて腐るに任せた状態だ。マイ箸も良いのだがその理由をエコには結びつけてほしくない。

 
               展望台                           下から見えたアンテナ塔

 階段の途中に木製の展望台があった。残念ながら富士山の一部は雲が掛かってしまった。展望台の横に二つの
塚が見えているが、あれは遊園地のあるグリンパの所にある塚なのか? それにしては観覧車が見えない。
尤も塚の存在は「海から富士山」で歩く須山口登山道が塚の横を通っているのを、地図上で知っただけで
何度歩いても実際の塚は見ていないので確かではない。

 次に現れたのは下からも見えていたアンテナ塔だった。立派な塔なのに設置してあるアンテナは東西の中継に
使っているのか左右に2個だけ、イヤ4個かな? 随分金回りのいい会社だ。

 木の階段が終ると傾斜が急で、荒れたと云うか整備しても流されてしまうのか、雨の後はズルズルして滑ったり
靴が汚れてしまいそうな道になった。そのためそこを避けて何本かの踏跡、いや道ができている。
この様な登山道は他所でも見かけるがここの場合は1本2本ではなく、それこそ何本もありどこを歩くか迷って
しまった。登山口でハイキングに適したコースと思ったのは大間違いで、こんな道は道標の整備された登山道では
経験がなかった。
 だいぶ高度も上がり上の方が明るくなった辺りに、勢子辻へ抜ける道標が立っていた。見るからに余り人が
歩いているようには見えない。だが逆に人が歩いていないという事は、道は左程荒れていないという事か?

 
               越前岳山頂                       越前岳の二等三角点

10時20分越前岳に到着 登山口の案内には2時間とあったが2時間30分掛かってしまった。途中の登りでは
3組5人に追い抜かれているのでマーこんなものだろう。
 見晴らしの良い方向を見るが富士山は見えない。こどもの国の前の鉢巻予報が当たったのかしら、とガッカリ
してしまった。改めて越前岳の山頂表示を写真に撮ろうとカメラを構えると------
アレー! 木の上に頭を出しているのは富士山ではないか。入口からズート富士山は後ろに見えていたので
方向感覚が狂ってしまったようだ。改めて開けた方角を見ると左の隅の方に海が見えている。田子の浦海岸かと
目を凝らすがどうも違うようだ。さらに視線を右に移すとそちらは雲がかかっていて見えない。
多分この雲の中に田子の浦海岸はあるのだろう。

 山頂には私を追い抜いた3組を含め4組の登山者がいた。話を聞いていると皆十里木の駐車場に車を置いて
きていて、この越前岳を往復するようだった。
私の予定は昭和初期の50銭紙幣に使われていた、岡田紅葉が写した富士山の見える場所が黒岳方面にある。と
いうので黒岳経由で須山に下る予定だ。
だが山頂にある道標は「呼子岳・鋸岳」「十里木登山口」しかない。黒岳はどっちだと迷っていると
「どちらに行くのですか?」と声が掛かり教えて貰う事が出来た。
その道は富士山の方向に向かう道だった。

 
          富士見台から                           50銭紙幣(ネットより複写)

 最初は緩やかな下りだったが直ぐと十里木からの登りと同じような道になった。それでもこちらは歩く人が少ない
のか十里木の道より歩きやすい。だが疲れが出はじめたのかピッチは余り上がらなかった。

 富士見台は標識が無ければ見落としてしまいそうな所で、もう少し樹木を切って視界を広げてくれれば-----
案内板には「昭和13年に発行された50銭紙幣の図案に採用された富士山は、岡田紅葉がこの富士見台から撮影
された富士山です」
とあった。
写真と云うより絵に近い感じで雲の下に散らしてある花は愛鷹ツツジなのか。それと右上から光線(?)を発している
のは日の出のときの太陽か。だがここから太陽の書かれた方向は北北東で、日の出る方向ではない。
更に言えば富士見台からあの方向に太陽が見える事があるのだろうか????
で、実際に見えた富士山は余り変わり映えのしないこんな富士山でした。
アラ! 二つの塚の中央辺りに観覧車が見える。あそこがグリンパなのだ。さっき十里木側から見た時は
観覧車が見えなかったのは、きっと見た場所の標高が低くて、塚の影に観覧車は隠れていたのだ。
あの大きく高い観覧車が隠れて見えない? 自信は無いがそう云う事にしておこう。

 一昨年は富士山眺望トレインとか伊豆低山の三国山、金時山、達磨山、発端丈山、沼津アルプスを歩いて
富士山の眺めを堪能してきた。その最後としてここ越前岳の富士見台を思っていたが正直期待外れだった。
私の風景を見る審美感は幼稚で、富士山でも絵葉書的な写真を好んでしまうのか、この紅葉の写真は気に入ら
なかった。

 ところで話は変わって「銭」の単位のお金を使った事はありますか? 私が子供のころは飴玉1個が50銭で
50銭玉を使った覚えがあります。だがその時は硬貨で紙幣の記憶はありません。

    
                鋸岳                       荒れている道

 右手がガレ場になっていてロープが張ってある。その先に鋸岳が見えていた。私にとって愛鷹連峰の中で
一番馴染みのある山はこの鋸岳で、何度登ったか分からない位だ。鋸の刃渡りは勿論のこと須津川から
直接鋸に向かう沢登り。確か第3ルンゼに向かう沢にはチムニー状の所があったケ。
落石が怖くて「石を落さないで―」と大声を出して登った事もある。
須山側から直接鋸岳に登るルートは、最後がガレ状になっていて歯には直接登れず、鋸岳の入口の頂に
でた。須山から割石峠までは昼間だけでなく、夜一人で歩いた事も2度ある。須山から割石を須津側に下り
川の中州で仮眠をする。翌朝早く鋸の歯に向かう沢に行けば、まだ上に人がいないので落石の心配がない。
まさにわが青春の場所と云っても過言ではない所だ。
それが今では割石峠~須津は廃道。鋸岳の縦走は通行禁止となってしまった。

 青春の頃の自分に比べ今の自分の情けなさ。当然のことだが今日も疲れが出てしまった。
だが道は相変わらずの下り坂が続いていた。
ようやく黒岳と登山口の分岐の富士見峠に到着。ここまで来れば林道は近いだろう。

   
               愛鷹山荘                      梯子場

 富士見峠のすぐ下に愛鷹山荘があった。確かこの山荘は50年以上前にもあったはずだが、何度も愛鷹山に
登っている私も利用した事がない。それが今でも廃屋にならないで健在なのは利用する人いるのだろ。
一体どういう人が利用するのだろう。下から見上げた山荘は涼しげな感じだし、水場も近くにあった。
富士見台から富士山を写す人が利用するのだろうか。

 こんな梯子場が2ヶ所続いた所を過ぎると、傾斜が緩くなり下には舗装された林道が見えた。ようやく到着だ。

 
              林道から愛鷹神社                   国道の愛鷹山登山口

 1時25分林道到着。この林道は割石峠に向かう林道なので何度も歩いていたのだが記憶は甦らなかった。
きっと以前は鳥居だけで他の石碑や案内板は無かったのだろう。勿論駐車場もトイレも無かった。それでは
思いださなくても無理はない。決して痴呆症の初期状態ではないと自分を慰めていました。

 林道を15分歩いて須山側の愛鷹山登山口に到着。時刻は13時50分。周りの写真を写してからバスの時刻表を
見ると、次は13時54分の御殿場行だ。後1・2分しかない。こうなればもう迷う事ないバスに乗ろう。
せめて須山まで歩くとの思いは一瞬のうちに消えてしまった。
 
 バスは定時より1分遅れで到着。

                                                    つづく