はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江四十九薬師霊場1-3

2014-03-13 13:52:28 | 遠江49薬師
歩行記録
歩行時間:6時間30分   休憩時間:3時間15分   延時間:9時間45分
出発時間:7時00分   到着時間:16時45分
歩  数:  41、403歩   GPS距離29.8km

行程表
 磐田駅 0:15> 1番 0:20> 2番 0:10> 3番 0:20> 5番 0:30> 6番 0:25> 7番 0:40> 8番
 0:05> 9番 0:25> 10番 0:35> 11番 0:35> 12番 0:30> 13番 0:10> 14番 1:05> 16番
 0:20> 15番 0:05> 高塚駅

                         8番松林寺(青面金剛像)
 8番松林寺は天竜川を渡った浜松市中野町にある。冷たい強風に逆らいながら新天竜川橋を渡っていると
川の上流に雪を薄く被った山が見えていた。写真を写そうとジャンパーのポケットからカメラを取り出すと
紙が一緒に出たと思ったら風に飛ばされ遥か彼方に飛んでいってしまった。
ウー!ヤバイ! 地図が飛んでしまった。あの地図が無ければ札所に辿り着く事が出来ない。困った!
私は知らない街道を歩く時はヤフーの地図を切り貼りした地図を印刷して持ち歩いている。今日も1番から
12番頭陀寺までと13番から浜松駅までの2枚の地図を持ってきていたが、その1枚目の地図が飛ばされ
しまったのだ。
その中にはあと5寺分の地図が含まれている。ウーン!どうしよう。とりあえず次の寺は前の寺を出るとき
確認して、中野町の旧東海道の小学校の前にある事は分かっている。ともかくそこまでは行く事にしよう。

 橋を渡った所にあった「東海道 江戸と京の どまんなか 中野町マップ」を見ると8番と9番の札所の
場所も書いてあり、9番松雲寺は8番の近くで分かり易い所にあった。アー!助かった。
その案内板に中野町の事を紹介してあった。
「江戸の日本橋と、京の三条大橋を結ぶ東海道五十三次は全長500kmの道のりですが、中野町は丁度
その中間にある事から、江戸と京の真中の道「なかのまち」と名付けられました。」

東海道を歩いた時の中野町の記事はこちらです。

   
              新天竜川橋                          飛ばされた地図

 少し気が軽くなり旧東海道を歩いていると白壁を持つ松林寺はすぐ分かった。この寺は中々由緒のある寺で
引佐奥山方広寺の開祖後醍醐天皇の皇子 満良親王が南朝方の志士を募りにこの地に留まったとき、南朝方の
忠臣が道場を建ててお迎えしたのがこの松林寺の前身だという。
その後も江戸時代には代々将軍よりご朱印を受けていて、本尊の釈迦如来は徳川家康の寅年にちなんで寅薬師
とも言われ、寅年に御開帳しているという。

 ご朱印をお願いすると「寺の御紋が入ったお菓子をどうぞ」と言って打ち菓子をくれた。有りがたい今回の
遍路で初めてのご接待だった。食べると少し甘みのある懐かしい味がした。ありがとうございました。

 
              8番松林寺                     接待の打ち菓子
          松林寺の地図
 境内には百度石の建った延命地蔵、薬師堂、庚申・十王堂、弁財天を祀る心字池などがあった。その中で気を
引いたのが庚申・十王堂だった。案内には
「庚申様 271年前に建立された 病魔悪鬼を除き五穀豊穣を願う守護神」
少々引っ掛かる説明だがマー良しとしよう。それより堂内にあった庚申塔が素晴らしかった。
中央に立つ一面十臂の青面金剛の腕は、合掌する二手に宝珠を持つ二手。右手には三叉鉾、矢、金剛鈴の三手。
左は宝輪、弓、宝棒の三手で合わせて十手。
脚の下には踏みつけられている一邪鬼。その下の土台には三猿がいる。さらに雄鶏、雌鶏もいるし上には日輪、
月輪もある。オッと青面金剛の髪は炎髪のようだ。
これだけ庚申塔の条件を満たした石仏は初めて見た。これまでは塩の道を歩いて遠州水窪で見た庚申塔が一番
だと思っていたが、それ以上にこの庚申塔の方が素晴らしい。お堂の中にあるので保存状態も良好だ。
静岡県ではあまり見かけない庚申塔なので一見の価値はあると思う。

 一方十王堂の案内板にはこんな事が書いてあった。
「十王像 閻魔王を中心に冥界にある亡者の罪業を裁断する十人の主であって143年前に発願建立。
十王像は一般には木像が多いが当山は石像であり稀に見るあらたかな十王様である」

堂の中を覗くと王冠を被った何体かの石像が見える。あれが閻魔さんや十王なのだろう。
それにしても3番金台寺では閻魔や奪衣婆が地獄の裁判官だったが、ここでは閻魔と十王が裁判官だとある。
どちらも間違っていないと云う事は融通無碍な宗教感を持つ日本人らしいと云う事か。

 朱の塗料が残っている座像は弘法大師像か。右手に金剛杵、左手に数珠を持っている。
アッ! この松林寺は満良親王の関係で奥山方広寺派の臨済宗だ。ならば弘法大師ではないだろう。

  
        青面金剛                弘法大師像?             十王像等

                         9番松雲寺
 9番松雲寺は東海道を西に進み金原明善の生家の手前を左に曲がった所にあった。途中には案内板もあり
今日寄った中では一番分かりやすかった。アー良かった。

 境内の参道には苔むした地蔵像が祀られていて、今はやりの艶やかな色の造花が供えられていた。
工事中なのか大工が出入りしていて寺の女性がお茶の準備をしていた。ご朱印をお願いして本堂でお詣りしたが
なんの記憶も残っていない。きっと次の道順が気になり気もそぞろだったのだろう。

 
                   9番松雲寺                    薬師如来祭壇
                松雲寺の地図
                         10番安正寺
 サー次の10番安正寺への道が皆目わからない。休憩を兼ねてザックの中から無料でもらった霊場の参拝案内を
取り出す。尺図は分からないが縦30cm 横60cm位の地図で、西は浜名湖から東は袋井市までと北は天竜までが
表示されている。遍路をしていると今自分がどの辺りを歩いているのか見当がつかなくなったり、次の札所がどの
方向にあるのかも分からなくなってしまう。そのため今回はこの地図を持ってきていた。
 地図で見ると次の寺は国道1号バイパスの先で旧国道1号沿いにあるようだ。近くに「文」のマークがあるので
学校があるのだろう。ともかくバイパスと学校を目指して進むしかない。

 旧東海道に戻り西に進み金原明善の生家と記念館の前を通る。ここもいつかは寄ろうと思っているのだがいつも
素通りになってしまう。特に遍路のときは立寄りヶ所が多くて時間が気になり寄る事はない。
姫街道の入口に案内板が建っている。ここ中野町は街道の保存に熱心で色々な所に案内板があって東海道を
歩いたときは興味をもって見て歩いた。ただ不思議な事はこの町内にある「安間の一里塚」には表示杭が1本立って
いるだけで案内板も無い。折角「江戸と京のどまんなかの中野町」と紹介しているのだから、その一里塚に案内板が
無いのは淋しすぎる。東海道を歩いた時ここの一里塚に期待を持って来たのだがガッカリしてしまった。

 
             金原明善生家                       安間の一里塚跡

 バイパスを越したら予定通り和田小学校が出てきた。ここから脇道に入るのだろうと適当に入って行くと左の
方に寺の屋根らしき物が見えた。案外簡単に10番安正寺に到着。
ご朱印を貰うべく庫裏に行くと貼紙がしてあった。「ご用に方は電話してください」だって。仕方ない諦めよう。
ここも他には記憶は無い。

    
                       10番 安正寺
               安正寺の地図   

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