はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大崩鉄道遺跡

2014-01-21 11:56:07 | 低山歩き
今日の山行の目的は
1.大崩海岸から富士山の撮影し旧150号線を鉄道遺跡まで歩く
2.鉄道遺跡確認
3.廻り沢林道から富士見峠の踏破
4.池の平から時石までの目印取付
5.潮見平から方上城跡の農道確認
6.方上城から麓の関方までの山道確認
 と6項目もある。この内ほぼ駄目そうなのは6番目の方上城から麓までの道があるかの確認で、これは前回
方上城跡に行ったとき地元のお年寄りが
「昔は城跡から関方まで道はあったが、今では歩かないからのぅ」と言っていたので、微かな期待を抱いて
確認するに過ぎない。
そして不安な項目は、3番目の廻り沢から富士見峠の道で、これは以前松理さんがコメントに
「高草山関連で廻沢集落方面から富士見峠へのものが未調査だと思われます。」 と教えてくれた道だ。
その松理さんに昨年暮れに、北のピ-クで偶然お会いした時に
「廻り沢林道の入口は古い林道への分岐で、入口に中電の28号送電線の点検路の標識がある。
だけど歩いたのは何年か前で、今は道が荒れているかもしれないが」
 と言っていた。
確か池の平付近の点検路は倒木が多かったが---- マーいい。駄目なら戻ればいい。

 他の4項目は行けばいいだけの事でどうという事はない。

                           大崩海岸へ            歩行月日H26-1-19(日)
 簡保の下から簡保の尾根の道は崩壊のため通行止めのため、砂張屋の道標のある峠に直接登る事にした。
簡保下への入口と、前回歩いた農道の入口を通過して、東海道線のガードの所で花沢観光駐車場からの
道と合流する。ここまでは平坦な車道だったので結果的には楽な道を歩いた事になる。
山道の入口のお地蔵さんの祠の横に、焼津市の建てた、簡保下の通行止のお知らせがあった。この通行止も
何時になったら解除になるのやら。静焼アルプス縦走や十字縦走の4月上旬には解除して欲しいのだが。

 この砂張屋の道標の道は、古道の趣のある道で、大崩山塊の中でも好きな部類に入る。中でも春に歩くと
二輪草や雪の下が咲くので、楽しみは倍加する。

 道標の横にある馬頭観音の前に、竹を加工した供え物があった。同じ物が途中の庚申塔の前にもあったので
新年の供え物だろうが、謂れは何だろうか。

         
               地蔵さんと通行止の案内               馬頭観音の供え物
          道標登り口の地図
 気持ちの良い道は砂張屋の道標までで、海岸に下る「遊歩道」になると落葉などが溜まり滑りやすくなり気が
抜けなくなる。以前雑草のはびこる頃に歩いたが、その時草の中にいた蛇を踏みそうになってしまった。
それ以来この道は嫌いになり歩いていないが、草の無い今歩いても「何が遊歩道だ」と文句を言いたくなる。
これがハイキングコースと表示されているなら、文句の云いようは無いが------
遊歩道で思い出した。以前塩の道で遠州と信州の国境の青崩峠を歩いた時、遠州側の峠の入口には登山カード
のポストが設置されていたのに、信州側の表示は遊歩道だった。
余りに静岡県と長野県の山に対する対応の違い、に驚いてしまった事がある。

 遊歩道を少し下ると大崩海岸にある元小浜の集落が見えてきた。駿河湾の波は静かそうだ。
更に下ると海越しに日本平や愛鷹連峰も見えてきた。この分だと富士山もばっちしだろう。

 
              元小浜集落                    日本平と愛鷹連峰

 海岸の入口には鎖がしてあり、こんな表示もしてある。
「私有地-無断で入るな! 無断進入禁止 500円 つり、その他一人500円」
「つり・散歩・ロッククライミング ご用の方必ずTELして下さい-080-000   」

なんだこれは、ここに入ると本当に金を取るのか? 500円も払うのは癪だが、ここまで来てしまった以上は
仕方ない。文句を言われてから払えばいいと鎖を跨いで中に入った。
犬が盛んに吠えたが人は出てこなかった。アー良かった。

 駐車場の先の海岸は地主のプライベートビーチなのか。そう云えば農道歩きをしていた時、ミカン畑で地元の
人が「小浜海岸の島は個人の物」と言っていたが、この地主の事だろう。
だがチョット待った。海岸にある堤防や沖のテトラポットは地主が個人でやったのか。とてもそんな風には
みえない。自分の土地を守るのは公共にしてもらっているのだから、駐車料金は取っても散歩や釣りぐらいは
無料にすべきだ。それともこの看板は脅しのためなのか?

 突堤で釣りをしている人が見える。あそこに行けば富士山が見えそうだが靴が濡れないで行けるだろうか。
ともかく行ける所まで行ってみよう。
ウーン! 突堤は目の前だがこれ以上行くと靴が濡れてしまいそうだ。上手く波を避けられれば良いが、下手を
して海に落ちるのはもっと嫌だ。今日はまだ先が長い諦めよう。

 
                   突堤で釣りをしている              これ以上行けない
    
 垂直にそそりたった岸壁は、よく見ると岩登りに使ったのか、捨て縄や埋め込みボルトがみえる。尤も
金属部分は真っ赤にさびて、とても命を託す状態ではなく、最近の物ではない。これもあの立札の影響か。
海岸には黄色味を帯びた岩があるが、これと同じ岩が焼津の那閉神社の海岸にもあったが何と言う岩だろう。
大崩海岸には海底火山で噴出した玄武岩質溶岩が、表面は海水に急冷されて袋状になり、ゴロゴロと枕を
積み重ねたような枕状溶岩があるらしいが、これとは違うだろうか。余り枕の様ではないが。

    
         大崩海岸の絶壁         岩登りの跡か             なに岩?
          大崩海岸の地図
 後ろを振り返ると絶壁の上に立つホテルが見える。ホテルの左に見える島のように見える小山は虚空蔵山で
山頂には弘法大師が開いたといわれる集香寺や、船舶無線発祥の記念碑が建っている。

 立入禁止の鎖の所に戻ると釣り人が女性にお金を渡していた。きっと駐車料金なのだろう。
しかしその車は鎖の中ではなく道路の横の空地だ。ここでも金を取るのかと眺めていると車が1台きて
「金を取るんだ」と言って引返してしまった。
鎖の中の駐車場なら仕方ないが、こんな場所でも金を取るなんて観光地より厳しい。こんな事をやっていると
増々ここに来る人はいなくなってしまうのに悲しい事だ。
オッとチョビチョビしていると私まで金を請求されてしまう。静かにしていよう。

「さっき突堤まで来ませんでしたね」と料金を払っていた人が声を掛けてきた。
「エー靴を濡らすのが嫌だったので諦めました」
「今が満潮の頃で潮が満ちていたからね。今日は日の出前から来ていたが潮が動かなくて釣れなかった」

気さくに話しかけるが、こっちは金を請求されるか気が気ではなく、いつもは話好きな私だが早々に切り上げ
てしまった。
           
                      ホテル松風閣と虚空蔵山

                           鉄道遺跡

 富士山は諦めて次なる目標の鉄道遺跡に旧国道150号を歩いて行く。普段ならカーブが多く見晴らしの良い
この道は怖くて歩く気にならないが、今は土砂崩壊のため元小浜集落と焼津間は通行止めになっている。
そのため元小浜には静岡側からしか車はこないので交通量は殆どないだろうと今日の大崩車道歩きになった。
その目論みは当って途中出合った車は3台だけだった。

 静岡市の標識の所から富士山が見えてきた。ガードレールの下を覗き込むと、先ほど行くのを諦めた突堤が
見えてる。
大正の頃まではこの断崖の下には磯が出ていて、焼津と用宗は歩いて行き気が出来たという。今はご覧の通り
とても磯伝いに歩ける状態ではない。これは海水面が上昇して海岸線が陸側へ前進する海進をしたからだろう。
焼津ではこの海進の話がよく出てくる。例えば那閉神社の御神体は海岸の沖合にあった「神(かん)の岩」
遷座して、砂洲で繋がっていた虚空蔵山の洞窟「御座穴」に籠っていたが、その神の岩は今は海の中だという。
他にも今は高草山の山中にある林叟院は、明応(足利時代)の頃には小川漁港の沖合300m程にあったという。
それが明応7(1498)年この地を襲った明応地震で海中に没してしまった。また、この地震について林叟院の
記録には「而溺死者大凡二萬六千人也、林叟之旧地忽変巨海也」とある。
 日本武尊を祀ってある焼津神社も、かつてはもっと南東の現在の海の中に鎮座していたが、次第に海に変じ
たため、現在地に遷座したと伝えられる。

 こんな風に焼津付近の海は海進が進んでいるが、遠州地方はこの逆の現象は起きている。
小笠町旧大須賀町(現掛川市)の横須賀城は築城当初は港が城に隣接してあったと云われているが、
現在の海岸線は城より2.3kmも離れてしまっている。
 磐田市の今之浦地区では徳川家康が築城しようとしたが、井戸を掘ると塩分が強いので諦めている。
また、この付近は海岸線より6.7kも離れた場所なのに貝塚が発見され地名にもなっている。
 隣の静岡市の安倍川右岸にある大和田や佐渡も昔は大和田浦とか佐渡浦と呼ばれていたらしい。
その大和田は行く道に「最古の東海道 万葉の道 大崩街道-赤坂峠」の標識がある。場所はこの大崩の
絶壁が終わり、新幹線のトンネルの辺りにあるが、最初この標識を見て嘘だ!と思った。
何故なら一般的には奈良時代の万葉の道は、大崩海岸から一山内陸の日本坂峠を通っている。それが海岸に
行く道を指しているなんておかしいと思ったからだ。
だが、今こうして大崩海岸に来て、昔この磯を歩く事が出来たなら、きっと赤坂峠を通って駿府に行っていた
のだろうと思えてきた。

それにしても焼津地区だけ何故海が押し寄せてきたのだろう--------

 
            旧150号線から富士山            大崩海岸の突堤

 道が大きくカーブしている海側に、今は使われていそうもない処理場の入口があるが門は閉じられていて
「部外者 立入禁止」の看板が建っている。以前鉄道遺跡の場所を検索したと時の地図に、カーブした道の
内側から太い道が海岸に向かって延びていた。それならここに違いないと処理場の中を見れば、舗装された
車道が下に向かっている。
多分ここが入り口だろうと思ったが、念のため更に先に車道を進み海岸に降りる道を探す事にした。
カーブの一番内側の「急カーブ注意」の看板の場所は覚えがある。ここから山に入れば石部峠の道になる。
さらに車道を進むと前方に家が見えてきた。これ以上行っても下に降りる道は無いだろうし、鉄道遺跡の
トンネルが民家の下にはないだろう。

 
               処理場入口                    この先に民家が見えた
          処理場入口の地図
 処理場入口まで戻り、ご免なさい悪い事はしませんから、と塀を乗り越えて中に入る。
急な舗装路を下って行くと平らな場所に出た。だがトンネルらしき物は無かった。
鉄道遺跡の写真はみなトンネルの左側が山になっているので、方向としては静岡方向に向かった山にトンネルは
有る筈だ。広場の付近をウロウロするが何も無い。静岡方面というと先程見えた民家の下になってしまう。
まさかこの家の下にトンネルが有る分けが無い。一段下にも平地があるがそこに下っても同じだろう。
だいたい事前調査をやらな過ぎだ。この鉄道遺跡の事は去年の2月に調べて、海岸に下る道を見つけて
ヨシとしてしまった。1年前のその記憶だけで来るのだからアホと云うか自信過剰過ぎる。
今更反省しても遅いが鉄道遺跡は私を嫌っているのかな。

 
               海岸に降りる道                 海岸上の平地から

 こんなわけで予定していた2項目は失敗してしまいました。ただ旧150号線は想像していたより距離は短く
1.3km程度でしたので、交通量が増えても左程怖くはなさそうです。
問題は鉄道遺跡への降口だが、誰かご存知の方がおりました教えてください。

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2 コメント

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Unknown (松理)
2014-01-22 19:31:39
 廻沢から富士見峠へのことがいつ書かれるか楽しみにしていました。
 横須賀城は旧大須賀町でして,旧小笠町は掛川市でなくて菊川市です。
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Unknown (はぐれ)
2014-01-24 10:53:11
松理さんご指摘ありがとうございました。

記憶だけに頼って書いたため間違えてしまいました。
訂正しておきます。
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