はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江四十九薬師霊場3-4

2014-09-24 10:01:57 | 遠江49薬師
歩行記録
歩行時間:9時間10分   休憩時間:2時間00分   延時間:11時間10分
出発時間:8時15分   到着時間:19時25分
歩  数:  56、787歩   GPS距離43.5km
行程表
 岩水寺駅 0:15> 28番 0:50> 29番 0:20> 30番 1:35> 31番 1:10> 32番 0:30> 33番
 0:20> 34番 0:40> 35番 0:20> 36番 0:40> 37番 1:15> 38番 1:15> 袋井駅

                         32番 蓮台寺(弘法井戸)
 
               新平山遺跡                             弘法の井戸

 県道まで戻り更に県道を豊岡支所の信号まで戻って、今度は袋井方面に向けて南下するのだが手持ちの地図は
メイン道路でなく最短距離の道を指示している。手持ちの地図は、地図と云っても指示された道を中心に印刷して
あるだけなので、一度道を見失うと中々元に戻れなくなる。今回も地図の指示通り、風力発電の近くの「新平山遺跡」
までは無事着いた。
この平山遺跡は縄文時代から弥生、古墳時代にわたる遺跡で案内板には 
「この古墳は、規模、副葬品共に遠州地方後期の古墳の中では際立ったものであり、国造層級の古墳とみることが
できます。」
 しかし案内板の中にはこんな記述も 「石室は盗掘によって、極端な破壊を受けていました。」
なのに”国造層級の際立ったもの”が残されていたのだろうか?

 遺跡の横の1車線の道を登って行くと2車線の道に合流。地図はその道を横断して直進すように指示しているが、
前には道が無い。さて困った。民家は右の下にあるが家の外には人の姿は見えない。
正面に道が無ければ、合流した道を左折して東に向かえば良さそうだが、途中にあった工業団地に向かっているよう
にも思える。暫く悩んでいたが決断がつかない。嫌だが仕方ない民家の呼鈴を押して聞いてみよう。
 遍路歩きや街道歩きで道を尋ねるのは慣れているが、走っている車や民家を尋ねて道を聞くのは好きではない。
走っている車の場合はヒッチハイクと誤解されるし、態々呼鈴を押すのも不審者や押売りと間違えられそうだ。
でも今日は先を急いでいるので嫌だが呼鈴を押した。幸いな事にお年寄りの男性が出てきたので、蓮台寺の場所を
聞くが、そんな寺は聞いた事はないと言う。遺跡から登ってきて正面の道を聞いても無いと言う。では袋井方面の
道はと聞くと、前の道を東に道なりに行けばグルット回って袋井に行くと言う。でもその道は工業団地に行くのでは?
工業団地への道は途中で別れている。そうだ。
 こうなれば地図にあった正面の道は諦めて2車線の道を行くしかない。とお礼を言って歩き出した。
「チョットチョットあんたは歩いているのかね。歩いているなら遺跡からの道の先に細い道があるので、その道を
行けば近道になるよ。」
 どうやら私の聞き方が悪く、車の道を聞いていると思ったらしい。
 コンクリートの法面の横に歩行者用の道があった。今回の遍路はここまで車道歩きばかりで山道が無かったため、
ここでも無意識に車道を探してしまい山道を見落としてしまったのだ。反省!
後で地図を確認すると車道はU字にカーブしていて、その付根に山道が付いていた。手持ちの地図は歩く道を太く
塗りつぶしてあるので、車道も歩道も区別がつかない。こんな事は百も承知していたのに情けない。

 下りになった車道を歩いていると祠と井戸のような物が見え案内板もある。
史蹟・弘法の井戸 弘法大師が諸国遍歴の際、この地で一杯の水を所望した。里人はここには水が無いからと山の
下まで水を汲みに行き、その水を差しだした。大師は大いに喜び里人の誠実と純朴さを愛して、畑の中に持っていた
杖で円を記して、ここを掘ってみなされ、必ず水が出るからと言い残され旅立たれた。そこで里人たちが皆で掘った
ところ、渾々と水が溢れる立派な井戸が出来上がった。以後里人は、この井戸を「弘法井戸」と言うようになりました。」

 あちこちにある弘法伝説の一つだが、ここの里人は「水は無い」と断らなくて良かった。どうも弘法大師は執念深い。
自分の願いが聞き入れられないと意趣返しをしてくる。若し里人が断っていたら山の下の水は涸らせてしまったろう。
アッ!余計な事を言いました。「南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛」

       
                蓮台寺山門                         32番蓮台寺
  蓮台寺の場所
 32番蓮台寺は車道を右に入った所にあった。山門には小振りな仁王様が鎮座しているのも大仰でなく感じが良い。
境内に四十九薬師の赤い幟があるので寺と分かるが、雰囲気として無住のような感じがする。庫裏と思われる入口は
鍵が掛かり開かない。勿論本堂らしき入口も閉まっていた。仕方ない朱印は諦めてお詣りだけにしよう。

                         33番 龍源院(接待)
 
                  山田薬師の案内板                      33番龍源寺
 龍源寺の場所
 蓮台寺から更に車道を下り県道61号に合流したのも束の間、その県道とも別れ茶畑や田圃の中の道を進む。
さっきのような間違いはしたくないないと思いながら歩いていると 「山田薬師」 の大きな看板が現れた。
山田薬師? は聞いた事がないが龍源寺とは違うのか? 
看板に近づくと「遠江四十九薬師霊場 第三十三番札所 龍源寺」とある。今回は迷わず無事到着できそうだ。
その看板に「双龍鳴天井」とも書いてある。これは楽しみだ必ず鳴らしてみよう。

 大きな看板の割には素朴な佇まいの山門に、菅笠に貧乏徳利を持った狸の瀬戸物が置いてあった。正面に
見える本堂も山寺の風情で、400年前には七堂伽藍を持った大寺が建っていとはとても想像できない。

        
                  薬師堂                         縁石

 ご朱印の前に扉の開いている薬師堂に向かうと、入口に「不思議なご縁石」と書いた石が台座の上に置いてあった。
石の前には賽銭も置いてある。何だろう? 案内板を読むと「石を叩く事で不思議な力を授かった」とあり、その力とは
「一つ打てば 勇気が湧き 二つ打てば 己に目醒め 三つ打てば 知恵が授かる」 らしい。
さらに 「家宝は信仰心によって異なる」 とあるのはご愛嬌か。
 薬師堂の中は「山田薬師瑠璃光如来」の赤いの幟を祭壇に周囲に所狭しと貼り、紫色の幔幕や提灯などで派手で
賑やかな感じを出している。肝心の薬師如来の厨子は閉じられていた。

 庫裏に入ると住職が私が来るのを待っていたのか、すぐお茶とお菓子の接待をしてくれた。この様な札所は余り
ないので感激しながら雑談を交わす。私が今日は38番油山寺までお詣りする予定だと話すと、
「油山寺さんまで行くと暗くなってしまうから、36番の長楽寺さんから袋井に行った方が楽ですよ」と教えてくれた。
そのコースも考えないではなかったが、36番で止めると後1回で終わりそうな今回の遍路が、後2回歩かなければ
ならなくなるし、そのうち1回は距離が極端に短くなってしまう。それも嫌なので油山寺まで頑張ろうと思っている。
住職が「菜箸にでも使ってください」と参拝記念と書かれた細長い袋を差し出した。
「拝見して良いですか」と聞いて袋を開けると、中には塗箸が入っていた。これでは菜箸には使えない、かといって
日常の箸として使うのも何となく恐れ多い。仏壇に上げるご飯用の箸なら良いだろうが、わが家に仏壇は無い。

 住職にお礼をして寺を出て思い出した。双龍鳴天井を見るのを。
今から戻るのも嫌なので諦めたが、茶菓子で接待され気が緩んだのだろうか、目的の一つを忘れるなんて----- 
それに山田薬師の効用も聞くのを忘れていた。




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