はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江四十九薬師霊場4-2

2015-02-17 10:19:39 | 遠江49薬師
歩行記録                                                      26-3-19(日)
歩行時間:6時間12分   休憩時間:3時間28分   延時間:9時間40分
出発時間:7時25分     到着時間:17時05分
歩  数:  43、646歩    GPS距離32.6km
行程表
 袋井駅 0:17> 40番 0:28> 39番 1:05> 41番 0:20> 42番 0:30> 43番 0:52> 番外 0:30> 44番 0:30>
 45番 0:15> 46番 0:08> 47番 0:25> 客番 0:20> 48番 0:07> 49番 0:15> 1番 0:10> 磐田駅

                              42番 長溝院(いぼ薬師)
 
                長溝院                              薬師堂の中
              長溝院の地図
 41番心宋院から県道255号を1.5kmほど南に下った長溝(ながみぞ)の地名の所に42番長溝院(ちょうこういん)はあった。
現在の寺は原野谷川の東にあるが、昔は太田川の西にあったという。原野谷川と太田川の違う川の名前だが、実はこの二つの
川はここで合流している。かってはこの二つの川が一つになったり合体したり長い溝のようになっていたのだろう。
この二つの川に挟まれた地域からは、集落跡などの遺跡が幾つか発掘されている。これはかってここは遠州国府の見付への
海の入口だった事を現していないか。
今でこそ無住の寺となっているが、いにしえの長溝院は相当な寺だったかもしれない。
 
 薬師堂の中を覗き込むと 「いぼ薬師如来」 の文字が見えた。お薬師さんが疣神さんなんて何とも庶民的なお薬師さんだが
きっとご利益があるのだろう。
                              43番 松秀寺(健康重訓)
           
           東照堂と火の見櫓                      東照薬師観音堂内部
 43番松秀寺は遠州33観音霊場と遠州49薬師観音霊場にも指定されていて、ご本尊は33観音は聖観音、49薬師は当然
薬師観音である。その薬師観音は元から松秀寺で祀られていたのではなく、近くの平福寺の東照堂で祀られていたのを明治の
廃仏毀釈により無住になった東照堂から松秀寺に移転したのだという。
その東照堂が松秀寺に行く途中の火の見櫓の近くにあった。一見作業小屋の見えるが内部は整理され掃除が行き届いている。
正面の須弥壇の上にある黒い厨子は扉が締っていて薬師如来は見えないが、本当にあの厨子の中に薬師如来を安置してある
のか? 明治に松秀寺に移したという話はどうなるのだろう。

 
            松秀寺門前の蓮池                             朝観音の草鞋 
          松秀寺の地図
 東照堂のお詣りを済ませ松秀寺に向かう。この寺は二つの観音霊場以外にも遠州七福神にも指定されているので私がここを
訪れるのも3回目になる。
門前にある大きな蓮池は当然今は花は咲いていないが花の時期に一度は訪れてみたい感じがする池だ。
ここで問題です。この松秀寺に祀られている七福神は誰でしょう? 
七福神を見ただけでは分からないが、一度でも七福神巡りをした人はすぐ分かりますよね。答えは 「弁財天」 です。
ヒントは 「池」 です。ここからは受売りになりますが、弁財天とは元々は水の神様だとか。因みに 「日本三大弁才」 といわれる
竹生島(滋賀県、琵琶湖)、江ノ島(神奈川県)、厳島(広島県)などはいずれも水辺に祀られています。
また、お金を洗うと倍になる 「銭洗弁天」 は、弁財天の 「財」 の蓄財の神様と水の神が合体した生じた風習なのだそうです。
他にも水の流れる音が音楽を奏でるようだと音楽の女神にも、さらには 「弁才天」 と書いてその 「弁才」 から、言葉(弁)の
才に優れた神ともなり、弁舌、学芸、智恵の女神として信仰されているのだそうです。

 色々なお寺巡りをしていると七福神に指定されていなくても境内の池に弁天さんを祀ってある寺が多い。
ただ 「焼津七福神」 に指定されている寺に池が有ったか無かったか? 未確認なのでいつか確認したいと思っている。

 松秀寺の山門横の格子にミニ草鞋が沢山奉納されている。これはここの観音さんは早朝に参拝すると足が丈夫になると
云われる 「朝観音」 で、草鞋は朝観音の功徳を授かった人がお礼に奉納したものだそうです。
格子の中には幾つもの石仏が安置されていて、どれが朝観音なのか分からない。
中央に座像の石仏があるが、座っている石仏が足腰の神と云うのも変だし・・・・・・・

 遠州33観音巡りで松秀寺で貰った 「つもりちがいの十条」 が中々良くて以前にもブログに掲載したが再度紹介します。
 1条  高いつもりで低いのが  教養
 2条  低いつもりで高いのは  気位
 3条  深いつもりで浅いのは  知識
 4条  浅いつもりで深いのは  欲の皮
 5条  厚いつもりで薄いのは  人情
 6条  薄いつもりで厚いのが  面の皮
 7条  強いつもりで弱いのが  根性
 8条  弱いつもりで強いのが  我
 9条  多いつもりで少ないのは 分別
10条  少ないつもりで多いのが 無駄
どれもこれもごもっとも。特に4条から後は私のための格言のようだ。

 次に七福神巡りで貰った 「人の世は山坂多い旅の道、年齢60に迎えがきたら」
還暦 60歳 とんでもないよと追い返せ
古希 70歳 未だ末だ早いと突っ放せ
喜寿 77歳 せくな老薬これからよ
傘寿 80歳 なんの未だ末だ役に立つ
米寿 88歳 もう少しお米を食べてから
卒寿 90歳 年齢に卒業はない筈よ
白寿 99歳 百歳のお祝いが済むまでは
茶寿108歳 まだまだお茶が飲み足らん
皇寿111歳 そろそろゆずろうか日本一
そうですね、まだ早いと死神は追い返したいな。せめて喜寿の歳に、おっと不言実行だった。

 そして今回の 「健康重訓」
 「健康は嬉しい美しい素晴らしい 何はなくとも やっぱり健康」
壱 少肉多菜 お肉はほどほどにして、野菜をたっぷりで健康もりもり
弐 少塩多酢 塩分取りすぎは高血圧のもと、酢は健康のもと
参 少糖多果 甘いものは果物から、砂糖は肥満への直通切符
四 少食多噛 腹八分目でよく噛めば 幸せも噛みしめられる
五 少衣多浴 薄着で風呂好きの人は 健康を身につけている人
六 少言多行 べらべら喋っている間に 行動を開始せよ
七 少欲多施 自分の欲望のために走らず 他人のために走れ
八 少憂多眠 くよくよしたって同じ とっとと寝てしまう
九 少車多歩 自動車は確かに速い 歩けば健康への近道
十 少憤多笑 怒ったときでもニコニコしてれば 忘れてしまう
第4項の少言多行が心に重い。「古稀に海から富士登山」と公言していたのに挫折するとは・・・・

                              番外 長泉寺(別珍)
 
               旧福田町の繊維工場                       太田川と原野谷川合流地点
 松秀寺を出て南に向かうと繊維工場が見えてきた。この辺りで繊維と云えば旧福田町のコールテンや別珍が有名だが、太田川を
渡らないのにもう旧福田町(現磐田市)に入ったらしい。
別珍とコールテンの違いは分からないが、ここ福田で日本の生産量の90%以上を織っているという。そう云われても工場が左程
多いとは思えないので、日本では別珍やコールテンの消費自体が少ないのだろう。
しかし何故こんな田舎が特殊な織物の産地になったのか気になり調べてみた。
 福田の東隣にある横須賀城は、徳川家康が高天神城攻略のため建てた城だが、遠州灘の海上の押さえや南遠州の要の位置に
あった事から横須賀藩の城として明治維新まで続いていた。その横須賀城は築城当初は遠州灘から直接城の堀に船が接岸できる
城として海上輸送の起点となっていた。それが宝永の大地震による地盤隆起より、海が後退し港として機能しなくなると近くにあった
福田港に海上輸送を任せるようになった。そのため港として栄えるようになった福田港には船の帆布が多く作られるようになった。
この帆の厚い布を織る技術を、後の別珍やコールテンの生産に利用出来たのが、日本有数な産地になった大きな理由だそうです。

 豊浜橋を渡り太田川左(西)岸に渡るのだが、その前にこの先にあるらしい 「命山」 に寄って行きたいと思っていた。
命山とは高台の無い地方の津波の避難所で、平地に土を高く盛った高台の事で昔からあったそうです。
東日本大震災後では各地に 「津波タワー」 が作られているが、命山はまだ見た事がないので、丁度良い機会だと実際に登って
雰囲気を感じようと思っていた。
だが豊浜橋まで来ると、命山の場所も明白でなく明らかに遠回りになると思い急に行く気を失くしてしまった。

 
                  番外長泉寺                            地震で歪んだ墓
               長泉寺の地図
 次の長泉寺は番外の札所で私の持っている遠江四十九薬師奉賛会の 「薬師のある ふるさと遠江」 には記載が無い。
しかし、同じ奉賛会のHPには番外として掲載されている。それでは行かないと禍根を残すと、少し遠回りだが寄る事にした。
若しかしたら最近になってわざわざ番外に指定したのなら、何か貴重な物でもあるのではと期待もあったが。
しかし長泉寺の境内にも本堂の中にも特段目を引くような物は無かった。ただ墓場に目をやると石碑や墓石の土台が歪んで
見える所があり、中でも写真の墓は土台の石垣が崩れ、周りの手摺も斜めになっている。
いつの地震にやられたのだろう? 静岡県で最近地震の被害が出たのは2009年8月の地震で、あの地震では我家の団地でも
瓦屋根の家では被害が出た。確か震源は御前崎沖だったと思うが、その地震でやられたのかしら? しかしあれから4年以上も
経っているのだから一つの墓石だけでなく何ヵ所も直してないとは考えにくい。それとも私の住む焼津では余り揺れなかったが
地盤が悪いと云われている袋井地区では揺れが大きかったのか?
遠州国府見付の水上輸送を担った太田川や原野谷川は、上流からの泥が堆積して下流地域の地盤を弱めてしまったのだろう。

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