アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

不徳の致すところ

2012年12月17日 18時00分24秒 | Weblog
 この政党では勝てない、と、離党した人は、何も見えなくなっていたのだろう。所属する政党で言い続けて、その政党を変えることができない人に何ができるのか、と、思った人は多いはずだ。つまり、その人は自分のことしか考えていない人、だ、と。

 橋下が「3年半で変えられるはずがない」と自民党について言い続けていた。笑う。それより短い時間で維新は目を瞠るほど変わったじゃないか。維新はもっと伸びていいはずだった。ぼくもそう思っていた。夏前までは、ところが、現職議員を取り込んだ。日本をダメにしたのが今の国会議員じゃないか。どんな理由があれ、それを取り込まず、新しい人たちで日本を生まれ変わらせるという姿勢で臨んでほしかった。石原と手を組んだ時点で、かなりの人が離れたんじゃないかな。ぼくは維新があることが気持ちの支えになっていた。ところが、石原。石原にももちろん認めるところはあるのだが、維新はゼロから国政に挑むのが魅力であり、応援したかったのだ。

 それは未来にも言える。小沢と組んだことが致命的だった。

 総じて無節操だった。不徳の致すところではない。自分の信念にだけ従えばいいんじゃないか。そして、国政につかさどる限り見識と技能を高めることを忘れてはいけない。国政は世界を相手にするのに、あまりに能力不足という候補者が多すぎないか。民主の管とか、何をしたいのか、何ができるのか。彼を愛しているなら、一度勉強しなおさせなければ。

 不徳って、徳がないってことでしょ。不徳の致すところって言った政治家は高齢者が多い。まさか、その年齢で「徳」を積もうなんて思ってないだろうな。今までにできなかったんだ。もう無理だ、仙石さん。