アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

心の錦

2011年05月07日 23時30分35秒 | Weblog
 ボロは着てても心の錦 どんな花よりきれいだぜ

 昔、水前寺清子はそういう歌を歌った。高度成長期のころだったか。その歌は日本国民に受け入れられたように思う。
 「心の錦」とはぼんやりとはわかったつもりでいた。でも、今度の震災と福島原発の報道で、懸命に復興に向けて生きている人たちを見て、「心の錦」を思い出し、こういうことなんだと感得したように思う。人間がもつ本来の力、その力をふりしぼるからこその輝き。みんないい顔をしている。

 一方ブザマなのは、政治家の皆さん。いつも言い訳ばかりで「心の錦」がないからだろう。被災した人たちは生きるための根っこの部分にいる。でも、政治家は自分の議席のためというのが、見えすぎている。錦は着てても、心はボロ。そうじゃないかい?