みちのくの山野草

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昭和2年12月の賢治

2015-07-02 09:00:00 | 昭和2年の賢治
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
 では、昭和2年12月分について賢治の営為と詠んだ詩等を『新校本年譜』から以下に抜き出してみようと思ったが、何もない。せいぜいあるのは、次のような間接的な事項が二つ、
一二月二一日(水) 本日付発行の盛岡中学「校友会雑誌」に「冬二篇」を発表。
一二月二六日(月) 本日付「新潟新聞」に詩誌「新年」主催「代表的詩人作品 詩誌 詩集展」の記事があり、その出品者中に賢治の名がある。
              <『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)より>
があるだけだった。
 なお、この後者に関して同年譜は次のような註<*64>
 賢治の詩集と原稿は昭和二年の早い頃に「新年」同人市島三千雄あてにに送られてきた。同封の手紙の文面は、「最近精神身体共に衰弱していて、詩が書けないでいる。それで、旧作に属する詩を一篇送るから、かんべんしてもらいたいというものであった。」
を附している。なぜわざわざこのような〝昭和二年の早い頃〟の出来事をここに註記しているのだろうか。
 少し横道にそれるが、このことを知って私が思い出したのは次のことである。それは、『年譜 宮澤賢治伝』の中の
昭和三年 (一九二八) 三十二歳
 一月十六日 新潟市旭町二ノ五二四一 『詩人時代』編集部あて書簡
  ――新年おめでたう存じます。お詞の詩らしきもの、とにかく同封いたしました。他にぴんとした原稿澤山ありましたらしばらくお取り棄てねがひます。病気も先の見透しがついて参りましたし、きつと心身を整へて、今一度何かにご一所いたしますから。乍末筆新歳筆硯の御多祥をお祈りあげます。十六日
 吉野信夫様
『詩人時代』は昭和六年(一九三一)五月創刊…
               <『年譜宮澤賢治伝』(堀尾青史著、図書新聞社、昭和41年)184p~より>
という記述である<*1>。つまり、どちら場合も新潟の「詩誌」宛に自信のない自分の原稿を送り、しかも「心身状態が思わしくない」という書簡を賢治が出しているということになる。それも、それぞれ昭和2年の早い頃と、翌3年の早い頃にである。なぜか私にはとても気になる。

 では話を元に戻そう。もちろんこの12月には下表
【賢治下根子桜時代の詩創作数推移】

             <『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)よりカウント>
のとおりであり、この月も相変わらず少なくとも日付の付いた詩は一篇も詠んでいない。
 したがって、この時期は農閑期だから私の抱いていた賢治像からすれば、いよいよ肥料設計などの設計や相談に本格的に乗り出しているはずだが、この年譜では何らその裏付けはとれそうにもない。もちろん、この頃の賢治が貧しい農民たちのために献身したということも同様にである。となれば逆に、やはりあの澤里武治の証言は否定できないということになろう。この時期の賢治が透明な賢治であってはならない。

<*1:註> なお、「旧校本年譜」にはこのことについては昭和3年のことではなくて、昭和8年のこととして
一月一六日(月) 詩人時代社編集部(吉野信夫)の依頼により<詩への愛憎>を送る(「詩人時代」第三巻第三号に発表)。
「お詞の詩らしきもの、とにかく同封いたしました。他にぴんとした原稿沢山ありましたらしばらくお取り棄てねがひます。」
            <『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)702p~より>
となっている。
 ところが、平成3年発行の『年譜 宮澤賢治伝』(堀尾青史著、中央公論社)においては
   昭和3年の年譜の中にこの記載はないし、
   昭和8年の年譜の中にもこの記載はない。
のであるる。しかしこれらの三つ
 (ア)『年譜宮澤賢治伝』(堀尾青史著、図書新聞社、昭和41年)
 (イ)「旧校本年譜」(『校本全集第十四巻』(筑摩書房、昭和52年)所収) 
 (ウ)『年譜宮澤賢治伝』(堀尾青史著、中央公論社、平成3年)
はいずれも皆堀尾が編集したもののはずだから、奇妙なことが起こっていることになる。つまり、堀尾は使い分けている可能性があるということを否定できない。

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