宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

◇宮澤賢治関連総合目次◇

2018年12月23日 | 賢治関連
◇宮澤賢治関連総合目次◇
“検証「Wikipediaの高瀬露」”
「入沢康夫氏に感謝し、ご逝去を悼む」
・”検証「Wikipediaの高瀬露」”
“『宮澤賢治』(國分一太郎著)について”
「蟷螂の斧ではありますが」
『「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」の検証』
『「賢治学会」でもハラスメントが行われている』
『宮沢賢治 まことの愛』より
『100分de名著「法華経」』より
『宮沢賢治と法華経について』より
上田哲の「Ⅰ 賢治と国柱会」より
『理崎 啓氏より学ぶ』
『宮澤賢治と石原莞爾』
“英雄たちの選択”「本当の幸いを探して」について
『共有脆弱性と認知的脱抑制』
『「賢治の昭和二年上京説」に対する圧力やクレーム』
『「賢治の昭和二年上京説」について』
『賢治の目を真っ直ぐに見れますか』
『三陸被災地支援募金を押し潰した賢治学会幹部』
『「2017年春期セミナー」におけるある憂い』
『佐々木多喜雄氏の論考から学ぶ』
『賢治関連七不思議』
『賢治作品についてちょっと』
『常識でこそ見えてくる賢治-検証「羅須地人協会時代」-』
『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』
 【参照:「賢治と羅須地人協会に暮らした千葉恭」
『羅須地人協会の真実-賢治昭和二年の上京-』
『羅須地人協会の終焉-その真実-』
「聖女の如き高瀬露」
『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』
『大正15年の宮澤賢治』
『昭和2年の宮澤賢治』
『昭和3年の宮澤賢治』
『東北砕石工場技師時代』
『「不羈奔放」だった地上の賢治』
『賢治と「経埋ムベキ山」』
『庚申信仰と賢治』
『賢治、家の光、卯の相似性』(工事中)

・1 「経埋ムベキ山」について
 (1) 
概論1
 (2) 概論2  
 (3) 概論3
 (4) 概論4
2 「経埋ムベキ山」のリスト
 (1)  旧天山(120m)
 (2)  胡四王山(176.6m)
 (3)  観音山(260.7m)
    <参考1>円万寺観音山
    <参考2>『観音山』はたして観音山?
 (4)  飯豊森(131.6m)
 (5)  物見崎(120m)
    <参考>実は『物見崎』は二子城址?
 (6)  早池峰山(1913.6m)
    <参考>河原坊にかつて掲げてあった賢治の詩
 (7)  鶏頭山(1445.1m)
 (8)  権現堂山(476.3m)
 (9)  種山(870.6m)
 (10) 岩手山(2038.2m)
 (11) 秋田駒ケ岳(男岳1623m)
    <参考1>やはり気になる駒ヶ岳
    <参考2>いわば岩手駒ヶ岳
 (12) 姫神山(1123.8m)
 (13) 六角牛山(1294.3m)
 (14) 仙人峠(887m)
 (15) 束稲山(595.7m)
 (16) 駒形山(430.0m)
 (17) 江釣子森山(379m)
 (18) 堂ケ沢山(364.5m)
     <参考>花巻温泉スキー場  
 (19) 大森山(543.6m)
     大森山(続き)
 (20) 八方山(716.6m)
 (21) 松倉山(384m)
     松倉山(続き)
 (22) 黒森山(414.6m)
     黒森山(続き)
 (23) 上ン平(560m)
     上ン平(続き)
     三たび”上ン平”について
     本物の経埋ムベキ山〝上ン平〟
 (24) 東根山(928.4m)
 (25) 南昌山(848.0m)
 (26) 毒ケ森(782m)
 (27) 岩山(340.5m)
 (28) 愛宕山(196m)
 (29) 蝶ケ森山(224.9m)
 (30) 鬼越山(438m)
 (31) 篠木峠(420m)
 (32) 沼森(581.8m)
 (33) 「経埋ムベキ山」のまとめ
3 宮澤賢治の登山歴一覧
4 釜淵の滝と七折の滝
 (1) 釜淵の滝
 (2) 七折の滝
5 「経埋ムベキ山」と星座
 (1) 「経埋ムベキ山」は星座の形?
 (2) 「経埋ムベキ山」と星座(畑山氏の説)
6 「経埋ムベキ山」と『銀河鉄道の夜』とのこと 
 (1) その1
 (2) その2
 (3) その3
 (4) その4
 (5) その5
 (6) その6
 (7) その7
 (8) その8
 (9) その9
 (10)『銀河鉄道の夜』のモチーフ
7 「経埋ムベキ山」に関する参考図書
8 ”なまこ山”のこと
9 ”木にかこまれし神楽殿”のこと 
 (1) その1
 (2) その2
 (3) 『四っ角山』について
10 賢治と大正末期の岩手山登山
 (1) その1
 (2) その2
11 『どんぐりと山猫』の舞台は早池峰の麓?
12 佐藤隆房と賢治
13 三郎沼
14 草井山
15 胡四王山の”小林岩谷不動”
16 胡四王山の”千手観音堂”
17 胡四王山麓の”八幡宮”
18 胡四王山の”白山神社”
19 イギリス海岸
 (1) その1
 (2) その2
 (3) その3
 (4)大正時代のイギリス海岸
20 東北砕石工場
 (1) その1
 (2) その2 
21 経埋ムベキ山眠る
22 森林軌道 
 (1)『森林軌道』は何処で詠まれたか
 (2)笹森山
 (3)『森林軌道』
23 寅吉山
 (1) 寅吉山とは岩手山のことでなかろうか
 (2) 枝打ちされた緑褐色の松並
24 羅須地人協会について 
 (1) 明神様の湧水
 (2) 桜地人館
 (3) 賢治詩碑
 (4) 宮澤家別宅
 (5) 下ノ畑
 (6) 賢治先生の家
 (7) 活字と事実
25 スノードンの峯とは早池峰山のことだった
26 みみずく森と六角山
27 『さいかち淵』と「みみずく森」
28 西根山
 (1) 『十月の末』の中の「西根山」
 (2) 宮沢清六のいう「西根山」
29 シャーマン山について
 (1) 西根山の南部分
 (2) 西根山の北部分
 (3) 北上山地の北部分
 (4) 北上山地の南部分 
 (5) 栗駒山
 (6) シャーマン山は岩手山?
 (7) シャーマン山の右肩
 (8) シャーマン山の右肩余録
 (9) 岩手山の”シャーマン山”の可能性
 (10)水沢緯度観測所
 (11)盛岡測候所
30 「雨ニモマケズ手帳」の五庚申 
 (1) 「雨ニモマケズ手帳」と庚申信仰
 (2) 七庚申と五庚申 
 (3) 『七庚申塔』『五庚申塔』建立理由 
 (4) 庚申塔の建立日 
 (5) 庚申塔への想い 
 (6) 庚申と農業災害 
 (7) 手帳に五庚申・七庚申が描かれた訳 
 (8) 庚申関係の参考図書と庚申日一覧 
 (9) 庚申信仰(追記)
31 「雨ニモマケズ手帳」の中の「ヒドリ」
 (1) 「雨ニモマケズ」は標準語で書かれている
 (2) 日傭労働のときに涙を流すか
 (3) 「ヒドリ=日用取」説は無理
 (4) 「ヒドリ」は限りなく誤記に近い
 (5) 『ヒデリにケガチなし』
 (6) 『渇水と座禅』とナミダヲナガシ
 (7) 水騒動とナミダヲナガシ
 (8) 紫波郡の農民の苦闘と苦悩
 (9) 未曾有の紫波の旱害
 (10)赤石村にも劣らぬ古館村の惨状
 (11)自分自身に涙を流す?賢治
 (12)『ヒデリに不作なし』とは言えない
 (13)”デクノボー”の役割
32 賢治と東和町 
 (1) 成島毘沙門天その1
 (2) 成島毘沙門天その2
 (3) 成島毘沙門天その3
 (4) 凌雲寺
 (5) 鏑八幡など
 (6) 土沢の街
 (7) 土沢駅
 (8) ふるさと歴史資料館
 (9) 小桜家
 (10)五輪峠その1
 (11)五輪峠その2
 (12)丹内神社その1
 (13)丹内神社その2
33 『日輪と山』のモデル
 (1) 『日輪と山』と大森山(199.2m)
 (2) 大森山に懸かる日輪
34 小岩井農場
 (1) その1
 (2) その2 
 (3) その3
35 宮澤賢治昭和8~17年間の年譜
 (1) その1
 (2) その2
36 松田甚次郎に関して
 (1) ベストセラー『土に叫ぶ』と宮澤賢治
 (2) 宮澤賢治と私(『宮澤賢治研究』)  
 (3) 小作人と農村劇
 (4) 松田甚次郎と吉田コト
 (5) 『宮澤賢治名作選』出来
 (6) 『土に叫ぶ』出版後の甚次郎
 (7) 戦争協力に関して
 (8) 南城振興共働村塾
 (9) 鳥越八幡神宮
 (10)最上共働村塾跡
 (11)甚次郎の墓と評価
 (12)松田甚次郎の年譜
 (13)松田甚次郎下根子桜への初訪問日?
 (14)農村文化の創造に努む
 (15)検証2:岩手日報で知った
 (16)吉本隆明・賢治・甚次郎
 (17)松田甚次郎の貢献
 (18)写真で見る南城振興共働村塾
 (19)南城振興共働村塾補足
 (20)大岡信と『宮澤賢治名作選
37 花巻祭り
 (1)花巻祭り(その1)
 (2)花巻祭り(その2)
 (3)花巻祭り(鹿踊りその1)
 (4)花巻祭り(鹿踊りその2)
 (5)花巻祭りと屋形山車
38 六原青年道場
 (1)『六原道場』について
 (2)『雄叫び』について
 (3)陸軍軍馬補充部六原支部
 (4)桑島重三郎記念館と種山牧場
 (5)再び「雄叫び」について
 (6)『参上の一路(まいのぼりのいちろ)』
 (7)六原
 (8)「青年学校」について
39 鞍掛山
40 七時雨山
41 まんぢゆうやま
42 田日土井
「ヒドリ」と「ヒデリ」
 (1)賢治だって間違うこともある
 (2)玄侑宗久氏のヒドリ
 (3)一日に玄米四合
 (4)「雨ニモマケズ」に関する細やかな仮説
 (5)戦中戦後の「雨ニモマケズ」の扱われ方
 (6)細やかな仮説の検証
 (7)『イーハトヴの家』
 (8)高村光太郎の名誉のために
 (9)赤い文字「行ッテ」
 (10)「雨ニモマケズ」は「標準語」で書かれている
 (11)和田氏は「日取り」とは言っていない
 (12)和田文雄氏の「ヒドリ」
 (13)『南部藩の百姓一揆の研究』の78p
 (14)「日用取=ヒドリ」の新たな実証を
 (15)「ヒドリ=ヒデリ(旱魃)の誤記」説
 (16)「ヒドリ=ヒデリの誤記」説はやはり定説
 (17)唐突に出現した「ヒドリ」説
 (18)「賢治の水引」に関する証言

宮澤賢治と千葉恭
 (1)下根子桜の自炊独居?生活
 (2)千葉恭から見た賢治
 (3)「宮澤先生を追ひて」
 (4)「宮澤先生を追つて(三)」
 (5)「宮澤先生を追つて(二)」
 (6)「賢治抄録」
 (7)「宮澤先生を追つて(四)」
 (8)「宮澤先生を追つて(四) 」(続き)
 (9)千葉恭の出身地と写真
 (10)千葉恭と「月夜のでんしんばしら」
 (11)千葉恭の同僚に会えた
 (12)白鳥省吾と賢治

 おまけ

 ”宮澤賢治の里より”のトップへ戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月224日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813




最新の画像もっと見る

コメントを投稿