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237 草野心平とは?

    《1 ↑草間心平肖像(『詩人 草野心平の世界』(深澤忠孝著、ふくしま文庫)より》  草野心平についてかつて知っていたことは、たしか中学校の頃だっただろうか   るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる という詩などを書いた「蛙の詩人」だということを教わったことと、宮澤賢治を早い段階からとても評価していた人であったということぐらいであった。  その後知ったことも僅かしかな . . . 本文を読む
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236 庚申紀念塔 

 花巻周辺の庚申塔は殆どが五庚申や七庚申の年に建てられていることが多い。  たまにそのような年以外(いわば六庚申年)にも建てられていることがあることは以前にも述べたとおりであるが、はっきりと”庚申年”を紀念して建てたと明記してあるものはまだ見たことはなかった。  ところが、場所は 《1 花巻の遊子というところに杉林あり》(平成22年3月8日撮影) そこは 《2 八坂神社の社》(平成22年3月8 . . . 本文を読む
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235 『白髭水』

   <↑Fig.1 「早池峰と賢治」展示館展示パネル『河原の坊』より>  このブログの先頭の『河原の坊』のパネルの中に  河原の坊は宝治元年(1244←1247?)8月の白髭水によって流失してしまったと伝えられ、賢治は「河原坊(山脚の黎明)」という詩の中で、…この伝説を知っていたと思われるのです。 という説明がある。さてこの文章の中に出ている『白髭水』とは具体的にはどのようなものであろうかと思 . . . 本文を読む
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234 菅野正男と宮澤賢治

    【↑Fig.1 僕は満州へ行きます(小学校の校庭で門出の答辞を読む)】         北上市口内(当時は江刺郡福岡村口内)出身の菅野正男というベストセラー作家がかつていたことを知った。  菅野は 【Fig.2 『土と戦ふ』】      を著し、それが当時ベストセラーになったのだそうだ。その内容は菅野自身の満蒙開拓青少年義勇軍における経験を綴ったものであったという。 (1) 菅野 . . . 本文を読む
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233 笛ふきの滝

    <↑Fig.1 『花巻の伝説―稗貫・和賀地方― 全二巻』(及川惇著、図書刊行会)>  『花巻の伝説 上』(及川惇著、図書刊行会)の中の『笛貫の滝』という章の中に次のようなことが書かれていた。  そちこちに滝がかかって、魚止の滝・名目入りの滝・阿吽の滝・五条の滝・天の川の滝とつづく中に、「笛貫の滝」もある。  笛貫の滝というその名称は、岩穴を水がくぐるときに笛を吹くような音を発するところか . . . 本文を読む
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232 「早池峰と賢治」の展示館

 花巻市大迫町に賢治に関係する展示館があると聞いたので訪ねてみた。  それは 《1 「早池峰と賢治」の展示館》(平成22年4月8日撮影) というもので、平成19年10月に既に開館していたという。このような展示館があるなんて今まで全く知らなかった。 《2 復元稗貫郡役所》(平成22年4月8日撮影)        この展示館の建物は 《3 かつての稗貫郡役所》 を復元したもののようだ。郡役所は . . . 本文を読む
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231 宮澤清六のいう「西根山」

    <↑Fig.1西根山(花巻温泉郷付近)(平成21年2月1日撮影)>  以前『十月の末』の中の「西根山」の中で言及したことがある「西根山」について追記したい。  そこで述べたことは、一般に賢治の童話に出てくる「西根山」は賢治が創作した山で実在はしないというのが定説のようだが、そうではないのではなかろうかということであった。  さりとて、私如きが主張してもあまり説得力がないだろうなとも思っ . . . 本文を読む
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230 まんぢゆうやま

 宮澤賢治に  459   水いろの   そらのこなたによこたはり   まんぢゆうやまのくらきかれ草     という歌がある。  この「まんぢゆうやま」がどこの山であるかは定かでないらしいが、私が知っている山の中から探すと、語感からいって「まんぢゆうやま」とは花巻温泉の近くにあるあの「万寿(まんじゅ)山」のことではなかろうか、と直感していた。  一方、そもそも「まんぢゆう」とは「饅頭」のことだろう . . . 本文を読む
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229 実は『物見崎』は二子城址?

     <↑Fig.1『飛勢城址略図』(方位に注意、右方向が北である)>           先日、北上市立中央図書館で『飛勢城物語』を閲覧出来た。このブログの先頭の図はその著書の中に綴られていた『飛勢城(とばせじょう)址略図』である。  さて、この著書の中の章  十一 一つ森(物見ヶ崎)、中膳屋敷址、くつわ清水 には次のようなことが書かれていた。  監物館の北にある森が一つ森である。此処は . . . 本文を読む
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228 ”デクノボー”の役割

     【↑Fig.1 「雨ニモマケズ手帳」(57~58p)】      今回は「雨ニモマケズ」の中の”デクノボー”の役割について考えてみたい。 (1) 手帳での書かれ方  『ミンナニデクノボートヨバレ』の直前部分はブログの先頭のようになっていて、文字を拾うと <57p>   北ニケンクワヤ       ソショウガ          アレバ   ツマラナイカラ      ヤメロト . . . 本文を読む
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227 『ヒデリに不作なし』とは言い切れない

<↑Fig.1 羅須地人協会への途向小路の雪景(大正15年)(『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房)より)> 9 『ヒデリに不作なし』の是非  さてここまで長々と述べてきたが、それは”『渇水と座禅』とナミダヲナガシ”で述べたように  W氏は『ヒデリに不作なし』という言い伝えがあるから    ヒデリノトキハナミダヲナガシ  というのはおかしい、ということで「ヒドリ=ヒデリ誤記」説を退けようとしている。 . . . 本文を読む
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226 自分自身に涙を流す?賢治

     <↑Fig.1 昭和2年2月1日付 岩手日報>  今回は、ヒデリ(旱魃)に対して賢治が自身のふがいなさや非力さを悲嘆してナミダヲナガシたのではなかろうかということを論じてみたい (1) 下根子独居生活の自己評価  大正15年末~旧正月は、紫波の旱魃被害地に対して各地から陸続と暖かい義捐の手が差しのべられていた頃であるが、この頃は宮澤賢治は羅須地人協会を設立し、その活動に邁進していた頃 . . . 本文を読む
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225 赤石村にも劣らぬ古館村の惨状

      <↑ Fig.1 昭和2年1月19日付 岩手日報> (5) 赤石村にも劣らぬ古館村の惨状  前回は紫波一帯の旱害被害が如何に甚大だったかを知ることが出来、おそらく賢治もそして松田甚次郎もヒデリ(旱魃)のときに涙したに違いないということを論じてみたが、その被害は更に広がっていたのでそのことを次に補足したい。  前回触れた1/9付けの岩手日報の記事では旱害被害は赤石村のみならず、不 . . . 本文を読む
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224 未曾有の紫波の旱害 

        <↑ Fig.1 昭和2年1月9日付 岩手日報>  今回は紫波一帯の旱害被害が如何に甚大だったかを知り、おそらく賢治もそして松田甚次郎もヒデリ(旱魃)に涙したに違いないということを論じてみたい。 (1)義捐の輪  12月に入ると突如紫波郡の旱害罹災義捐関連記事が増え、関連記事が連日のように報道されていた。 【Fig.2 大正15年12月7日付 岩手日報】  村の子供達にやつ . . . 本文を読む
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