《創られた賢治から愛すべき賢治に》 先に、YK氏の『 賢治文学「呪い」の構造』においては、高瀬露に関する記述に問題があると私たちは主張した。それに関する後日談である。
著名な宗教学者YT氏
吉田 この前荒木が怒り心頭に発していたYK氏の『 賢治文学「呪い」の構造』に関連してだが、実は著名な宗教学者のYT氏が著したこんな本がある。YK氏のその本が出版される約2年前に、YT氏が既にこの本でもうその「先 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 かつて私は高瀬露のことを知りたくて、上田哲の論文“「宮澤賢治伝」の再検証(二)―にされた高瀬露―”をしばしば使わせてもらったのだが、当時私が持っていたものはそのコピーであり、かなり不鮮明な箇所が多くて判読しいくいところも少なくなかった。『七尾論叢 第11号』の行方
そこで、『七尾論叢 第11号』そのものを見てみたいものだと思ってあちこち探し回ってみた。というの . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》Y氏の『賢治○○「○○」の構造』について
当日は、今度の薬師岳山行の計画を立てる日であり、私は荒木と吉田が来るのを待っていた。薬師岳とは言っても、早池峰山と対峙する薬師岳のことであり、今頃であれば全山オサバグサで雪が降ったように真っ白になっているだろうし、そろそろヒカリゴケも光り始める頃なので、それらを満喫するための山行を練るためであった。
まずは、小脇に本を . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
『年表作家読本 宮沢賢治』より
鈴木 さてでは最後に一つ残った、
(31)『年表作家読本 宮沢賢治』(山内修編著、河出書房新社、平成元年、197p)
に関してだが、これは以前荒木が『そこに高瀬露の名が出ているぞ』と教えてくれたものだ。
荒木 そういえばそんなことがあったな。
鈴木 念のため、当該個所をもう一度見てみよう。昭和7年6月の出来事の一つとして、次 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》粗雑な推定を敢えてしたと言うO
鈴木 それでは次はO関連に移ろうか。関連するOの著書は、
(16) 『宮沢賢治の手帳 研究』(O著、創元社、昭和27年8月)
(20) 『宮沢賢治『手帳』解説』(O著、生活文化社、昭和42年)
(28) 『「雨ニモマケズ手帳」新考』(O著、東京創元社、昭和53年12月)
(30) 『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(O著 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》昭和15年の遠野「賢治の集ひ」
鈴木 さてではいよいよ最後に残った年、「昭和7年」についてだ。
まずは、『イーハトーヴォ第十號』を見てくれ。とはいってもこれはその復刻版なのだが、その四頁と五頁はこのように見開き状態になり、
【『イーハトーヴォ第十號』4~5p】
左側五頁には、小笠原露の短歌が載っている。ちなみに
賢治の集ひ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》は今回も検証に耐えた
鈴木 さて、〔聖女のさまして近づけるもの〕に関連する資料は以下の
( 5) 〔聖女のさましてちかづけるもの〕(昭和6年10月24日)
(16) 『宮沢賢治の手帳 研究』(小倉豊文著、創元社、昭和27年8月)
(17) 『四次元44』(宮沢賢治友の会、昭和29年2月発行)
(20) 『宮沢賢治『手帳』解説』(小倉豊文著、生活文化社、昭和42年) . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》伊藤ちゑとの結婚話が「伏線」
吉田 先ずはそのために、以前鈴木が作った時系列に今までのことなども付け加えてくれないかな。
鈴木 どこどこ、そうだな~
大正15年秋~昭和2年夏:下根子桜の賢治の許に露出入り(菊池映一氏の証言より)。
昭和2年秋 :伊藤ちゑ兄と共に来花、賢治と会う(19月29日付藤原嘉藤治宛書簡より)。
昭和3年6月 :賢治伊豆大島行。
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《創られた賢治から愛すべき賢治に》検討すべき残りの資料は何か
鈴木 さて以前、
賢治が下根子桜から撤退した後において問題となるのが、次の
(3) (4) (5) (15) (16) (17) (19) (20) (21) (25) (27) (28) (29) (30) (31)
ということになろうが、これらにつては後程改めて皆でまた考察せねばならないと思う。と述べたものだったが、これらの . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
関徳弥の『昭和五年 短歌日記』発見報道
鈴木 ではいよいよここからは昭和5年に入ろう。この年に問題となるのは、関登久也(本名:徳弥)の『昭和五年 短歌日記』だ。
実は、平成15年7月29日付『岩手日報』の20面に次のような記事【賢治に結婚話あった】
が載った。そしてこのような報道があった訳はと言えば、関徳弥の『昭和五年 短歌日記』が発見されたからだ。
その . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》“一連の「書簡下書群」”に対する認識と判断
鈴木 ではまとめに入ろうか。まずは「新発見」ということによって「高瀬露あて」となってしまった〔252c〕、そして〔高瀬露あて〕と推定された他の“一連の「書簡下書群」”について簡単に振り返ってみたい。
荒木 それは俺に任せろ。
え~とだな、昭和52年発行の『校本宮澤賢治全集第十四巻』は「本文補遺」において、
新発見の「 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》“昭和4年”とする根拠
荒木 ところでさ、今も「昭和4年露宛書簡下書」と言ったけど、そもそもなぜ“昭和4年”なんだ?
吉田 それに関してはだな、以前、『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡 本文篇』(筑摩書房)の方を用いて少し調べてみたことがある。同書によれば、まずは
本書簡に書かれた賢治の病状は、昭和四年末ごろから五年はじめにあたるもので、かつ252cが四年十二 . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》「露宛書簡下書」新発見
鈴木 それでは下根子桜時代のことは全て済んでしまったから、今度は「昭和4年の露宛書簡下書」に移る。
つまり、先のリスト「高瀬露関連を含む図書等一覧」の中の、まず
(25)『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房、昭和52年10月発行)
についてだ。なんと、同巻によれば、昭和52年頃になって新たに「昭和4年の露宛書簡下書」が何通か発見さ . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》検討すべき証言から言えること
鈴木 それでは先ほど挙げた証言等の中でまだ検討しておらず、しかも、
露一人だけが咎められなければならない理由があるのか
及び
賢治はほとんど咎め立てされる必要がないといえる理由があるのか
という観点から、これから検討すべき証言を(ア)~(カ)の中から拾い上げてみよう。どうだろうか?
荒木 じゃあ、そうするべ。
鈴木 ではま . . . 本文を読む
《創られた賢治から愛すべき賢治に》賢治のあの行為は皆あった
鈴木 さて、私たちは高瀬露に関する賢治伝記研究の文献資料としてはMの「昭和六年七月七日の日記」は基本的には使えないものであると判断したので、この中に記述されていた高瀬露絡みのいくつかの賢治の奇矯な行為
・「本日不在」の札を門口に貼った。
・顔に墨を塗って露と会った。
・座敷の奥の押入の中に隠れていた。
・私はレプラ . . . 本文を読む