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『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』#1

 近々『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み)) が、岩手県内の書店で販売されます。  なお令和5年9月20日以降であれば、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送 . . . 本文を読む
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「おかしいこと」のとどめ

 さて、こうしてこの一覧【宮澤賢治終焉前々日、前日の面談一覧#1~#4】を作り終えてやはり思いを致すべきことは、石井洋二郎氏のあの警鐘にだ、と改めて思い知らされる。それは、最後の〝⒇『ワルトラワラ第二十二号』(松田司郎編、ワルトラワラの会)〟 だけが唯一、訪問者の氏名がはっきりしているが、これ以外のものはいずれも氏名は明らかにされていない。それどころか、佐藤隆房は「姓名も分らぬ農村の人」と書き . . . 本文を読む
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あらゆる情報を疑い

 そこで、石井氏の警鐘「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること」に従って、賢治研究者は賢治終焉の前日の面談等に関してどう述べているかを調べてみたところ、それは下掲のような表【宮澤賢治終焉前々日、前日の面談一覧#1~#4】となった。 そして、これらの一覧を見比べてみれば、どう考えても、これらからあの「定説★」(『新校本年譜』の昭和8年9月20日の次の記載 . . . 本文を読む
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まさかこの定説までもが

 さてこれで、『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があることを否定出来なくなったのだが、あの石井洋二郎氏の警鐘、  あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質 . . . 本文を読む
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読者の我々が自分自身で検証するしかなさそうだ

 結局、「杜撰」だと思われることやその他にもどうも危ういと思われる、   ⑴ 「サムサノナツハオロオロアルキ」もなかった賢治   ⑵ 羅須地人協会時代の上京についてのあやかし   ⑶ 羅須地人協会時代は「独居自炊」とは言い切れない   ⑷ 〈悪女・高瀬露〉は冤罪である   ⑸ 「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」賢治   ⑹ 稲の最適土壌は中性でもアルカリ性でもない   ⑺ 下根子桜からの撤退は凄 . . . 本文を読む
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常識的におかしいところはほぼおかしかった

 とはいえ、その後の学生時代にも、卒業して仕事に従事している間にもそのようなことを検証するための時間的余裕が私にはなかった。それが十数年前に定年となり、私はそのための時間をやっと持てるようになって賢治のことを調べ続けることができた。すると、常識的に考えればおかしいと思われるところが、特に「羅須地人協会時代」を中心にして幾つか見つかった。そこでそれらの検証作業等をしてみた結果、やはり皆ほぼおかしか . . . 本文を読む
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賢治の甥の嘆きに大ショック

 さて、岩手大学の学生になった頃の私はどうであったか。  同級生の中には、授業をサボって花巻を訪ね、下根子桜やイギリス海岸に行ってきたなどという賢治好きの輩もいたが、私は現地を訪ねることもせず、賢治の作品を読み込むこともせずに、はたまた学生運動華やかなりし時代だったがそこまでのめり込むこともなくのほほんと暮らしていた。せいぜい賢治に関して知ったことは、賢治が昭和3年に下根子桜から撤退したのは、「 . . . 本文を読む
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最も尊敬する人物はいつしか聖人・賢治に

 そして高校生になった私は、賢治のことも賢治の作品も共によくわかってもいないのに、次第に、賢治を最も尊敬するようになっていった。  さて、私はなぜ当時賢治を最も尊敬するようになっていったのかということを今になって振り返ってみると、それは、賢治は貧しい農民のために己の命まで犠牲にして献身したという、いわば聖人・宮澤賢治像を私の中に育ませてもらったからのようだ。そしてどうしてそうなったのかというと、私 . . . 本文を読む
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賢治が好きになっていった

 次に中学生になると、私たちの前で身振り手振りよろしく朗々と「原体剣舞連」、    原体剣舞連            (mental sketch modified)       dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah    こんや異装のげん月のした    鶏の黒尾を頭巾にかざり    片刃の太刀をひらめかす    原体村の舞手たちよ    鴇いろのはるの樹液を    ア . . . 本文を読む
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賢治は身近な人だった

 今でも目をつぶれば、    『はっぱかげだらざこまがせ』 と、子どもたちが一斉に囃し立てる映画のワンシーンが時に眼裏に浮かぶ。そう、それは小学生の頃に学校の講堂で皆と一緒に観た映画『風の又三郎』のそれだ。もちろん、宮澤賢治の『風の又三郎』の〝九月七日〟の中の、「発破かけだら、 雑魚撒かせ」に当たる。そこで、あの頃は私も純真だったななどと振り返っていると、 どっどど どどうど どどうど  . . . 本文を読む
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『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』の目次

 ところで、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。  おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の . . . 本文を読む
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賢治終焉前日の「定説★」もまた典拠が不確か

 これらの【宮澤賢治終焉前々日、前日の面談一覧#1~#4】 を見比べてみれば、どう考えてみても、これらからあの「定説★」<*1>がすんなりと導けるわけがないことが直ぐ判る。  そもそも、「校本年譜」の「定説★」については、「どこの人か家の者にはわからなかったが」などの記述がとても気になっていた。「呼吸が苦しくなり、容態は急変した。花巻病院より来診があり、急性肺炎」の賢治が . . . 本文を読む
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賢治終焉についても特別扱いはせずに

 さて、ここまで『校本宮澤賢治全集』における杜撰について幾つか論じてきたが、かつての私であれば恐れ多くて触ることを避けてきた賢治終焉に関しても特別扱いすべきでない、とこの度覚悟した。それは、石井洋二郎氏の、  あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみることという警鐘に倣って、賢治に関して常識的におかしい事柄について検証し . . . 本文を読む
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やはり懸念されたことが

 そして実際、この〝「新発見」の賢治書簡下書252c群及び「推定群⑴~⑺」の公表〟(以後、この公表のことを〝「新発見」の書簡下書252c等の公表〟と略記する)後、それまでは一部にしか知られていなかった、賢治にまつわる無名の〈悪女伝説〉が、濡れ衣の可能性が高いのにもかかわらず実名を用いた〈悪女・高瀬露〉に変身して、一気に全国に流布してしまったということを否定出来ない。ちょうど先に紹介した、 . . . 本文を読む
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独り歩きの懸念

 しかも、これらの「推定群⑴~⑺」は、クリスチャンであった高瀬露が信仰を変えて法華信者になってまでして賢治に想いを寄せ、一方賢治はそれを拒むという内容になっている。それ故、この「推定群⑴~⑺」を読んだ人たちは、そこまでもして賢治に取り入ろうとした露はきわめて好ましからざる女性であったという印象を持つであろうことは容易に想像できるので、これらの「推定群」を文字にして公表することは筑摩書房ほどの出版 . . . 本文を読む
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