宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

「高瀬露関連」を含む図書等一覧

2014年02月28日 | 『賢治と高瀬露』
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 **************************  ********************************* ( 1) 高橋慶吾宛の高瀬露からの「端書」(昭和2年6月9日付) ( 2) 「ダリヤ品評会席上」(昭和2年8月16日) ( 3) 賢治と露の間で書簡の遣り取り?(昭和4年) ( 4) 関登久也の『昭和五年短歌日記』(昭和5年10月 . . . 本文を読む

第一章 新たにわかったこと(後編)

2014年02月28日 | 『賢治と高瀬露』
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 焼走りコースの岩手山登山ではコマクサの群落をたっぷりと堪能できたので、今度は早池峰山のハヤチネウスユキソウを見に行こうという山行計画を立て終えた私たち3人は、また例の続きを話し合った。 露の生家・勤務校・下宿の地理的関係 鈴木 さてこれまでの私たちの調査等によって高瀬露関連で新たにわかったことなどを基にして、地図上で確認してみたい。 まずこれだ。そう言って私は . . . 本文を読む

第一章 新たにわかったこと(前編)

2014年02月27日 | 『賢治と高瀬露』
《創られた賢治から愛すべき賢治に》第1章 新たにわかったこと さて、賢治は大正15年4月に下根子桜の宮澤家別宅に移り住んだわけだが、その約1年後、昭和2年4月21日付の次のような詩〔同心町の夜あけがた〕がある。〔同心町の夜あけがた〕の坂の下り口    同心町の夜あけがた    一列の淡い電燈    春めいた浅葱いろしたもやのなかから    ぼんやりけぶる東のそらの    海泡石のこっちの方 . . . 本文を読む

『賢治と<聖女>高瀬露』(プロローグ)

2014年02月26日 | 『賢治と高瀬露』
プロローグ  当時花巻では、高瀬露は女流歌人の一人として知られていた。 歌人高瀬露  さて、「賢治先生の靈に捧ぐ」と題した次の短歌五首      賢治先生の靈に捧ぐ 露草    君逝きて七度迎ふるこの冬は早池の峯に思ひこそ積め    ポラーノの廣場に咲けるつめくさの早池の峯に吾は求めむ    オツペルの虐げられし象のごと心疲れて山に憩ひぬ    粉々のこの日雪を身に浴びつ君がの香によひて居り . . . 本文を読む

『賢治と<聖女>高瀬露』-目次-

2014年02月25日 | 『賢治と高瀬露』
《創られた賢治から愛すべき賢治に》 『賢治と高瀬露』 目次プロローグ    ・歌人高瀬露    ・賢治らしからぬ賢治 第一章 新たにわかったこと    新たにわかったこと(前編)    ・〔同心町の夜あけがた〕の坂の下り口    ・高瀬露の生家のあった場所判明    ・寶閑小時代の露の教え子に会えた    ・寶閑小時代の露は下宿していた    ・新・旧寶閑小学校の場所    ・露の勤務先は旧寶閑小 . . . 本文を読む