4月29日、岩手には霜が降った。もしかすると岩手山や早池峰山は新雪で被われたのではなかろうか。さすれば、シャーマン山の検証に役立つのではなかろうかと思って羅須地人協会跡地を訪ねてみた。
すると、また狐に遭ったのでそのことから先ず報告をする。
下ノ畑へ行こうと思ったならば砂利道に狐がいる。写真を撮ろうとしたら気付かれて逃げられたが、皆さんご存知のところに
《1 狐発見》(平成21年4月2 . . . 本文を読む
「経埋ムベキ山」に関しての参考図書等について
01『復元版「版雨ニモマケズ手帳」』(校本宮澤賢治全集資料第五筑摩書房)
02『解説 復元版「雨ニモマケズ手帳」』(小倉豊文著、筑摩書房)
03『「雨ニモマケズ手帳」新考』(小倉豊文著、東京創元社)
04『宮澤賢治の山旅』(奥田博、東京新聞出版局)
05『宮沢賢治との旅』(宮城一男著、津軽書房)
06『宮沢賢治 地学と文学のはざま』(宮 . . . 本文を読む
「経埋ムベキ山」の中に大森山という山がありその大森山は賢治の詠んだ詩から判断して鉛温泉に近い大森山(543.6m)のことであろう。
ところが、
《1 胡四王山》(平成21年4月23日撮影)(花巻IC付近から)
の
《2 近くにも大森山(199.2m)》(平成21年4月23日撮影)
がある。写真の右端のピークがそれである。最近、この大森山は宮澤賢治にとって実は重要な山なのではなかろうかと思う . . . 本文を読む
以前”29 シャーマン山について”シリーズを投稿したことがある。その中のシャーマン山は岩手山?では、
あとは、この場所(朝日大橋付近のこと)から4月頃に再度岩手山等をじっくり眺めて『測候所』を味わいながら、岩手山が”シャーマン山”であることもあり得るのではなかろうかという私の疑問にチャレンジしてみたい。
という懸案事項を残してこのシリーズは中断していた(そのあらましはこのブログの後半に載せてあ . . . 本文を読む
賢治は松倉山に関しては幾つかの詩を詠んでおり、例えば”春と修羅 第一集”の中に次のような詩
『風の偏倚』
風が偏倚して過ぎたあとでは
クレオソートを塗つたばかりの電柱や
逞しくも起伏する暗黒山稜や
(虚空は古めかしい月汞にみち)
研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
すべてこんなに錯綜した雲やそらの景観が
すきとほつて巨大な過去にな . . . 本文を読む
過日、未登頂であった「経埋ムベキ山」の黒森山に登れたので、最後に残った「経埋ムベキ山」の松倉山(384m)に登ってみよう。
以前”(21) 松倉山”で述べたように、「経埋ムベキ山」としての松倉山については同定できたつもりなのだが、地元の人に聞いてみてもその山の登山路はないということであったのでいままで登山を諦めていた。しかし、今の時節ならば見通しも利くだろうと思ってチャレンジした。
県道1 . . . 本文を読む
訝りながら黒森への道を探す。頂上への道は不明、林の中なのでその頂上の見通しも利かない。そこで、地図とコンパスを用いて方角を決めてルートを探す。その結果なんとか、
《1 踏み跡?》(平成21年4月8日撮影)
らしきを発見し、辿って行く。
《2 尾根筋に踏み跡が続く》(平成21年4月8日撮影)
やっとのことで
《3 頂上らしき場所》(平成21年4月8日撮影)
に辿り着く。黒森山(414.6m) . . . 本文を読む
昨年(2008年)、「経埋ムベキ山」の一つと思っている黒森山(414.6m)については頂上に辿り着けないでいた。国土地理院の地図には頂上付近に神社の記号があり、参道も書いてあるのだが、実際には荒れ果ててしまっていてその道が判らなかったからである。そこで、この時期ならば木々の葉も落ちていて山は疎林の状態だから頂上への道の見通しも利くはずなので、再度頂上へチャレンジしてみた。
県道13号(盛岡和 . . . 本文を読む
前回触れた
《1 ツマゴ》(平成21年3月26日撮影)
と高村光太郎のエピソードに関して少し紹介したい。
”web春風倶楽部(http://www.shumpu.com/club/01.html)”の中で山折 哲雄氏が
『売ってしまった賢治全集』
このところ演歌が下火になり、クラシックの人気が下降ぎみなのだという。思うに、かつての居酒屋泥酔文化が低迷し、それとともにプチブル教養 . . . 本文を読む
以前、「藍姿、毘藍姿の二鬼と伝吉祥天立像(のレプリカ)は『東和ふるさと歴史資料館』でも見ることが出来る」と云うことを報告したが、その資料館を訪れてみた。
《1 東和町ふるさと歴史資料館正面》(平成21年3月26日撮影)
この正面のモニュメントは安俵という地区から出土した”板状土偶”のようだ。下の石の板には
この地東和は縄文の昔から
祈りの地なり。
珍しき男の土偶・顔面の石棒
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前回、『冬と銀河ステーション』の詩碑を報告した。その碑文は
冬と銀河ステーシヨン
そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげらふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パツセン大街道のひのきからは
凍つたしづくが燦々と降り
銀河ステーシヨンの遠方シグナルも
けさはまつ赤に澱んでゐます
川はどんどん氷を流して . . . 本文を読む
それでは、今回は土沢の街を報告する。
先ずは
《1 商店街の駐車場》(平成21年3月26日撮影)
に車を駐めたならば
《2 駐車場の壁に何やら書かれている》(平成21年3月26日撮影)
《3 賢治の詩『冬と銀河ステーション』》(平成21年3月26日撮影)
であった。
それでは、
《4 土沢の商店街を歩いてみよう》(平成21年3月26日撮影)
《5 〃 》(平成21年3月26日撮影)
. . . 本文を読む
これから『鏑八幡』に向かうのだが、途中に及川古志郎の生家が建っていると云うことを聞いたので寄ってみることにした。
《1 この写真の中央に屋根の一部が見える家が生家》(平成21年4月2日撮影)
ところが
《2 屋根は見えるが》(平成21年4月2日撮影)
屋敷への道が判らない。
《3 家の正面(東面)》(平成21年4月2日撮影)
が見えるところに廻っても
《4 家の南面》(平成21年4月2日 . . . 本文を読む
成島の毘沙門堂の北東約2㎞のところに凌雲寺(東和町安俵5区90)というお寺がある。そこに”毘沙門”が詠み込まれている句碑が建っていると云うことを聞いたので『鏑八幡』へ向かう途中に寄り道をしてみた。
《1 凌雲寺》(平成21年3月26日撮影)
《2 山門》(平成21年3月26日撮影)
《3 左側の仁王像》(平成21年3月26日撮影)
この仁王像の左脇に
《4 その句碑があった》(平成 . . . 本文を読む