宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

291 千葉恭の出身地と写真

2011年02月19日 | 賢治と一緒に暮らした男
        《1↑ 千葉恭の写っている写真》

 以前〝下根子桜の自炊独居?生活〟で触れた”『ふるさとケセン』67号(ふるさとケセン社、‘02年3月)”には『彼は明治39年生まれ、気仙郡盛町の出身で、賢治より十歳の年下である』と書かれていた。

 そこで、先ずは大船渡市立図書館を訪ねてみた。職員の方に千葉恭のことをお訊きするととても親切に対応して下さった。しかし、結局千葉の下根子桜の寄寓期間はもとより本籍地も解らなかった。なお、市立図書館の蔵書として『宮沢賢治研究資料集成 第7巻』(続橋達雄著、日本図書センター)があったので、ここはやはり千葉恭出身地だと確信した。この本には「宮沢先生を追ひて」(『四次元』と全く同じ内容のものを一括して載せている)があるので、千葉恭自身あるいは縁者が寄贈したのかも知れないななどと想像してみた。
 図書館を後にして、地元の二、三の旧家を訪ねて千葉のことを訊いて廻った。が、千葉恭自身そのものも含めて残念ながら関連事項さえも分からなかった。大船渡一帯には千葉姓が多いのでなおさら判りにくいようである。
 次は地元の新聞社「東海新聞」社に訊いてみた。千葉恭本人のことは分からないということだったが、”盛町の生き字引といわれている”古老を紹介してもらった。
 そこで期待に胸ふくらせてその古老にお訊きしたのだが、その古老でさえも千葉恭のことは知らないということだった。

 その後千葉恭に繋がる新たなるルートも見つからず手詰まり状態であった。

 ところがそんなあるとき、ある方からアドバイスを頂いた。佐藤成が千葉恭は大船渡の盛町の出身だと思っているのは何かの間違いで、水沢出身じゃないのかと。

 その後紆余曲折を経て探しあぐねていた千葉恭の家がやっと判った。それが次の写真である。
《2 千葉恭の家》(平成22年12月15日撮影)

ただし、現在はどなたも住んでおられないとのことである。

 たしかに千葉恭は水沢の出身であった。大船渡で見つかるわけはなかったのだ。考えてみれば、もし千葉恭が大船渡の盛出身ならば何もわざわざ遠い水沢農学校に来るまでもなかったろうし、水沢出身ならばまさしく地元でもあり千葉恭が水沢農学校に通うのはごく自然であり、納得。
 また、千葉恭は帰農後もしばしば下根子桜に通ったということであったが、大船渡の盛町から通うとすれば大変だなと思ったが、水沢であればそれほどではないからその点でも納得。

 では次、千葉恭は一体どんな容姿をしていたのであろうか。そのお顔などを拝見したいものだと以前から思っていたが、この度千葉恭のご子息のお一人からこのブログの先頭にあるような写真を見せてもらった。縄綯い機械で荒縄を綯っている一場面のようである。この写真の中の千葉恭が写っているという。
 そこでこの写真から本人を抜き出してみると下のような写真となる。
《3 千葉恭》
 
右側の帽子を被り、ベストも付けているとてもおしゃれな人が、若き日の千葉恭(昭和10年岩手県穀物検査所黒沢尻出張所勤務の頃)である。 

 以下に、千葉恭の簡単な年譜をつくってみた。一番気になるのが何時穀物検査所を辞めたのかということだが、現時点では大正15年の夏と推定してみた。
*********************************<千葉恭 略年譜>*********************************
明治39年12月20日(0歳) 水沢に生まれる
大正10年 4月(14歳)   水沢農学校入学 
大正13年 3月(17歳)     〃   卒業
大正13年10月(17歳)   岩手県穀物検査所花巻出張所着任、検査員
      11/12(水)   穀物検査所にて賢治と出合う
      11/14(金)夜  花巻農学校の賢治を宿直室に訪ね、その後やぶ屋へ
大正14年(18歳)      岩手県穀物検査所花巻出張所検査員
      10/20(火)   豊沢町の賢治宅訪問
大正15年夏(推定)     岩手県穀物検査所退職、下根子桜に半年間寄寓
      7/25(日)    白鳥省吾に賢治の代わりに断りに行く
昭和 2年以降(推定)   実家に戻り農業従事、研郷会組織
               以後頻りに下根子桜訪問→研郷会に伝達講習→賢治に報告
               桜に2,3日泊まっては実家にて農業
昭和 8年(26歳)      穀物検査所福岡出張所検査員復職
昭和 9年(27歳)      岩手県穀物検査所黒沢尻出張所 立花、二子兼更木派出所検査員
昭和12年(30歳)               〃           立花兼更木派出所検査員
昭和18年(36歳)      岩手県食糧管理事務所久慈出張所検査技手
昭和20年(38歳)     久慈にて勤務、空襲による火災で賢治からの手紙など焼失
昭和21年頃        岩手県食糧管理事務所久慈支所長
昭和23年(41歳)          〃     気仙支所長
昭和25年(43歳)          〃     大船渡支所長
昭和26年(44歳)          〃     江刺支所長
昭和29年(47歳)          〃     和賀支所長
昭和32年(50歳)          〃     東磐井支所長
昭和34年(52歳)          〃     盛岡支所長
昭和36年(54歳)          〃     江刺支所長
昭和38年(56歳)          〃     退職
平成元年9月29日    逝去(84歳) 水沢森山墓地
 
 続き
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