宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

219 「ヒドリ」は限りなく誤記に近い

2010年03月24日 | Weblog
      【↑Fig.1 「雨ニモマケズ手帳」(71~72p)】
   <『校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)』(筑摩書房)より>

6 「ヒドリ」は限りなく誤記に近い
 ここまでの報告の要点をまとめてみると
 (1) 「雨ニモマケズ」は標準語で書かれている。
 (2) 「ヒドリ」のみが方言ではありえず、標準語。
 (3) 「ヒドリ=日用取(日傭労働)」説には無理がある。

 とすれば、標準語「ヒドリ」の中に他の候補はあるだろうか。辞書で確認すれば
 ひ・どり
 【日取り】
 あることを行う日をとりきめること。また、その期日。

     <『広辞苑』より>
とある。「ヒドリ」をこの意味で
  ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ
  サムサノナツハ オロオロアルキ

に当て嵌めることは明らかに無理である。
  日取りのときは涙を流し
ということではあまりにも曖昧な表現となるからである。

 よって、他に標準語「ヒドリ」は存在しないから、
 「雨ニモマケズ」の中の「ヒドリ」は限りなく誤記に近い。
と言わざるを得ない。

7 「ヒドリ=ヒデリの誤記」説    
 では、「ヒドリ」が誤記だとすれば何の誤記であったのだろうか。
 それは定説になっているように
  ヒドリ=ヒデリ(旱魃)の誤記
だと思う。

 なぜならばまず第一に、直ぐに気がつくように「雨ニモマケズ」の中には対句表現が多いから
  ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ
  サムサノナツハ オロオロアルキ

も対句と見ることが出来る。
 すると、
  サムサノナツ=冷夏
だから、「冷夏」の対となる気象としては「ヒドリ」という読み方に似ていて直ぐに思い浮かぶものは「ヒデリ(旱魃)」である。すなわち
  ヒドリ=ヒデリ(旱魃)の誤記
の可能性がかなり高いと思うのである。
 なお、もちろん『ヒドリ(日用取、日傭労働)ノトキ』と『サムサノナツ』では対にはななり得ない。したがってこの観点からも『ヒドリ』≠日傭労働(日用取)だと思う。

 第二に、「雨ニモマケズ手帳」の<71~74p>のメモも「ヒドリ=ヒデリの誤記」説を示唆していると思う(71~72p部分はこのブログの先頭の如し)。
 そこには「土偶坊」という次のようなメモがある。
 これらのページに書かれた主な部分を以下に抜き出すと
      土偶坊
       ワレワレハ(後で削除)カウイフ
       モノニナリタイ
第一景
     薬トリ(後で削除)
第二景 母
    子(後で削除)病ム
 ナアニ腹膜ヅモノ
                              小便ノ音
                  デクノ坊見ナィナ ウーイ<注1>

第三景 青年ラ ワラフ
      土偶坊 石ヲ
      投ゲラレテ遁ゲル
第四景 老人死セントス
第五景 青年ラ害シニ(後で削除)
      ヒデリ
第六景 ワラシャドハラヘタガー<注2>

【Fig.2 「雨ニモマケズ手帳」(73~74p)】

   <校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
      雑誌記者 写真
第七景 遠国ノ商人(後で削除)
第八景 恋スル女
第九景 青年ラ害
       セントス
第十一景 春

        忘レダアダリマダ来ルテ
        云フテドゴサガ行タナ<注3>

第十景 帰依者
      帰依ノ女

となっている。

 お気づきのようにこのメモの一節
   土偶坊
   ワレワレカウイフ
   モノニナリタイ

は「雨ニモマケズ」の一節
   ミンナニデクノボートヨバレ
   ホメラレモセズ
   クニモサレズ
   サウイフモノニ
   ワタシハナリタイ

に酷似しており、”土偶坊”は”デクノボー(木偶坊)”のイメージを彷彿とさせる。

 さらに注意深く見ると、上の写真で判るように小さい文字で書かれたメモがあり、興味深い。それは緑色の小さい文字の部分であり、拡大すると次のようになる。
       ナアニ腹膜ヅモノ
              小便ノ音
 デクノ坊見ナィナ ウーイ

というわけで、実はこのメモ「土偶坊」の中にずばり「デクノ坊」という言葉が登場していたのである。”土偶坊”は”デクノボー(木偶坊)”のイメージを彷彿とさせるどころか、
  ”土偶坊”=”デクノ坊”
と捉えて良いということだろう。

 そして、これらのメモの少し前の<51~59p>に書かれているのが「雨ニモマケズ」である。したがってこれらの書かれているページの位置関係、及び、これらの2つの内容の酷似性などから判断して、この<71~74p>のメモ「土偶坊」は「雨ニモマケズ」を演劇化、脚本化しようとしたためのメモなのではなかろうかという推測もできる。

 すると俄然注目を引いてくるのが
第五景 青年害シニ(後で削除)
     ヒデリ

の部分である。このメモ「土偶坊」の中の「ヒデリ」は、「雨ニモマケズ」の中の「ヒドリ」と対応するとも見ることが出来るからである。

 とすれば、「雨ニモマケズ」の「ヒドリ」はやはり「ヒデリ」の誤記ではなかろうかということがこのメモからも推測できる(人によっては「ヒドリ」と「ヒデリ」が直ぐ近くに書かれているのだから賢治はこれらの2つを使い分けていたと主張する人があるのかも知れないけれど)のである。

 したがって、かなり早い時点から例えば次のように
【Fig.2 『土に叫ぶ』の中の「雨ニモマケズ」の「ヒデリ」】

   <『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店(昭和13年版))より>
「ヒドリ」の部分は
  ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
  サムサノナツハ オロオロアルキ

と直しているのだろう、と思うのである。

 「ヒドリ=ヒデリの誤記」説は至極自然だと思う。

  **************************************************************************
<注>この中の幾つかの方言はそれぞれ次のような意味だろう。
<1>「デクノ坊見ナィナ ウーイ」=木偶坊は見なかったな。(酔っぱらいの出す声の)ウーイ。
<2>「ワラシャドハラヘタガー」=子供達よ腹は減ったか?
<3>「忘レダアダリマダ来ルテ 云フテドゴサガ行タナ」=忘れた頃にまた来ると言ってどこかに行ってしまったな。


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