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39 (17) 江釣子森山

 今回は「経埋ムベキ山」江釣子森山について報告する

 ”江釣子”とあるが北上市のあの江釣子にあるのではなく、花巻市の郊外にある山である。ただし、地元の人に聞いてもあまり知られていないと思うから、場所を知りたいのならば却って近くにある『観音山の円万寺はどこですか』と訪ねた方が早いかも知れない。

《1 花巻南IC付近からの江釣子森山と草井山》(平成20年4月26日撮影)
 写真の左が江釣子森山、右が草井山である。いわゆる「雨ニモマケズ手帳」には最初草井山も書かれていたが、後で消されている。

《2 江釣子森山》(平成20年11月5日撮影)

左奥の山が江釣子森山、手前右の山は観音山である。
《3 観音山登り口の大鳥居》(平成19年4月18日撮影)

 大鳥居脇の案内板には
《4 円万寺は多田等観ゆかりの寺》(平成19年4月18日撮影)

であることが書かれてある。
 この大鳥居の前の道路を北上し1㎞ほど行けば西方(左側)に
《5 江釣子森山》(平成20年10月13日撮影)

が三角形状に見える。この辺りから西方向へ歩いて行くと4月なら
《6 ハシバミの雄花》(平成20年4月9日撮影)

《7 ハシバミの雌花》(平成20年4月9日撮影)

《8 アブラチャン》(平成20年4月9日撮影)

《9 キクザキイチリンソウ群生》(平成20年4月9日撮影)

《10  〃 》(平成20年4月9日撮影)

《11 ヤマネコノメソウ》(平成20年4月9日撮影)

《12 ショウジョウバカマ》(平成20年4月9日撮影)

《13 ツボスミレの花の筵》(平成20年4月26日撮影)

などが見られる。
 やがて
《14 江釣子森山への林道出会い》(平成20年10月13日撮影)

に辿り着ける。上の写真の左側黒い陰の辺りで江釣子森山への林道に出会える。正確には国土地理院の地図のルートを見てほしい。
 そこから川沿いの林道を遡っていけば
《15 ウスバサイシン》(平成20年4月26日撮影)

《16 エンレイソウ》(平成20年4月26日撮影)

《17 エゾキケマン》(平成20年4月26日撮影)

《18 キクザキイチリンソウ》(平成20年4月26日撮影)

そして、鶯は軽やかに、河鹿は涼やかに鳴き、静かに
《19 ヒトリシズカ》(平成20年4月26日撮影)

が咲く。
 やがて左手に江釣子森山への登山路が見つかる。ただし、そこには地図上では川に架かる橋が描いてあるが、実際は今は架かっていない。川を徒渉して登山路を登ってゆくと
《20 ショウジョウバカマ》(平成20年4月26日撮影)

が色褪せているものが多かったが、結構咲いていた。
《21 カタクリ》(平成20年4月26日撮影)

は沢山はなかったが、時期的には今が見頃だった。
《22 ナガハシスミレ》(平成20年4月26日撮影)

がこの山には広く分布していた。
《23 タムシバ》(平成20年4月26日撮影)

《25 草井山を望む》(平成20年4月26日撮影)

と林道があるのが分かるが登る意欲はあまり湧いてこない。
《26 江釣子森山頂上》(平成20年10月13日撮影)

は直ぐそこ見える。楽勝と思って登ってゆくと
《27 セイヨウタンポポ》(平成20年4月26日撮影)

山の中腹だというのに、こんな所までセイヨウタンポポが進入していることにびっくり。
《28 マキノスミレ》(平成20年4月26日撮影)

ナガハシスミレも多かったが、頂上に近づくにつれてマキノスミレも多かった。
《29 葉っぱの裏側の色に注目》(平成20年4月26日撮影)

《30 キバナイカリソウ》(平成20年4月26日撮影)

キバナイカリソウは未だ蕾だった。
 次のスミレは葉の巻き込み方と花の色合いから推して
《31 アケボノスミレ》(平成20年4月26日撮影)

《32 〃 》(平成20年4月26日撮影)

《33 〃 》(平成20年4月26日撮影)

だろう。
《34 オオバクロモジの花》(平成20年4月26日撮影)

《35 シラネアオイ》(平成20年4月26日撮影)

は個体数は多くなかったが開花していた。
《36 頂上付近のマキノスミレの群》(平成20年4月26日撮影)

《37 マイヅルソウ》(平成20年4月26日撮影)

頂上付近はマイヅルソウが多かったが、せいぜい蕾だった。
《38 イワウチワ》(平成20年4月26日撮影)

《39 〃 》(平成20年4月26日撮影)

やはり、頂上付近に多かったが、殆どは散ってしまっていた。
 そして、やっとのことで
《40 江釣子森山の頂上》(平成20年4月26日撮影)

到着。実は、頂上への道はあまり良くなく、藪をかき分けながら登らなければならないところが多かったからである。賢治は何故こんな山を「経埋ムベキ山」に選んだのだろうか、恐ろしい人だと思ったくらいだ。
 さてこの頂上だが、そには神社も石塔もなかった。あったのは小さい
《41 標識》(平成20年4月26日撮影)
 
とこの、国土地理院の地図には書かれたいないが
《42 三角点?》(平成20年4月26日撮影)

と思われる標識だけがあった。周りを彷徨ってみても
《43 ツクバネソウ》(平成20年4月26日撮影)

が見つかったくらいで、それも未だ蕾だった。
 しばしくつろいだ後下山、登るときは気がつかなかったが
《44 珍しい白花のナガハシスミレ》(平成20年4月26日撮影)

《45 シラユキナガハシスミレとも言う》(平成20年4月26日撮影)

発見。とはいえ、距には紫色が残っていた。
 チョウ類も結構飛んでいて
《46 ミヤマセセリ》(平成20年4月26日撮影)

《47 ルリタテハ》(平成20年4月26日撮影)

《48 スジグロシロチョウ》(平成20年4月26日撮影)


 満足して麓に下りたならば、途中で出会った道路工事の人夫から『熊に遭わなかったか、最初に遭ったときはびっくりしたよ』と言われた。私は熊などいるわけないと暢気に登っていたので、知らぬが仏であった。

 ところで、実は「経埋ムベキ山」の山の中には賢治の作品に登場しないものが案外多い(32座中11座が登場していないと思う)。例えば、花巻市内の山で云えば胡四王山、観音山がそうであり堂ヶ沢山もそうである。
 それに引き替え、この江釣子森山ときたらすこぶる登場回数が多い。例えば以下の通りである。
   『セレナーデ 戀』
   江釣子森の右肩に
   雪ぞあやしくひらめけど
   きみはいまさず
   ルーノの君は見えまさず

    『講後』
   いたやと楢の林つきて
   かの鉛にも續くといへる
   廣きみねみち見え初めたれば
   われ師にさきだちて走りのぼり
   峯にきたりて悦び叫べり
   江釣子森は黒くして脚下にあり
   北上の野をへだてて山はけむり
   そが上に雲の峯かゞやき立てり
   人人にまもられて師もやがて来りたまふに
   みけしき蒼白にして
   単衣のせななうるほひ給ひき
   われなほよろこびやまず
   石をもて東の谷になげうちしに
   その石遥か下方にして
   戞として樹をうち
   また茂みを落つるの音せりき
   師すでに立ちてあり
   あへぎて云ひたまひけるは
   老鶯をな驚かし給ひそとなり
      (以下略)

    『郊外』 
   卑しくひかる亂雲が
   ときどき凍った雨をおとし
   野原は寒くあかるくて
   水路もゆらぎ
   穂のない粟の塔も消される
     (中略)
   山の向ふの秋田のそらは
   かすかに白い雲の髪
       毬をかゝげた二本杉
       七庚申の石の塚
   たちまち山の襞いちめんを
   霧が火むらに燃えたてば
   江釣子森の松むらばかり
   黒々として溶け残り
   人はむなしい幽靈写眞
   たゞぼんやりと風を見送る

     『秋』
   江釣子森の脚から半里
   荒さんで甘い亂積雲の風の底
   稔った稲や赤い萓穂の波のなか
   そこに鍋倉上組合の
   けらを装った年よりたちが
   けさあつまって待ってゐる
      (中略)   
   青じろいそばの花から
   蜂が終りの蜜を運べば
   まるめろの香とめぐるい風に
   江釣子森の脚から一里
   雨つぶ落ちる萓野の岸で
   上鍋倉の年よりたちが
   けさ集って待ってゐる

    『〔甲助 今朝まだくらぁに〕』 
   甲助
   今朝まだくらぁに、
   たった一人で綱取さ稼ぐさ行ったでぁ
      (中略)   
   一人で威張って歩って
   大股に行くうぢはいがべぁ
   向ふさ着げば撰鉱だがな運搬だがな
   夜でば小屋の隅こさちょこっと寝せらへで
   たゞの雑役人夫だがらな
     ……江釣子森が
       ぼうぼうと湯気をあげて
       氷醋酸の塊りのやう……
   あらがだ後藤野さかがったころだ

    『〔そゝり立つ江釣子森の岩頸と〕』
   そゝり立つ江釣子森の岩頸と
   枝みだれたる雪の松
   枝すぐならぬ雪の松
   そらのけぶりにうちみだれ
   か黒き針を垂るゝとか
      (以下略)
     『會合』
   唐獅子いろのずぼんをはいて
   どこの親方かと思ったよ
   春木を伐りに行くんだな
       (中略)
   いまどの邊で伐ってるのかな
   八方山の北側か
   ずゐぶん奥へはいったな
       ……雪に黠々けぶるのは
         三ツ澤山の松のむら……
   ぼくの方はまるでだめだ
   からだを傷めてしまってさ
   今日はソーシへ行くとこだ
   例の肥料といもちのことさ
       ……江釣子森が
         氷醋酸の塊りのやうだ……

   <『宮澤賢治全集 三』(筑摩書房)より>      

 というわけで、江釣子森山(379m)はこれだけ詠まれているから、里山らしさも神社も石塔もそして(地図上では)三角点もない山だが、花巻の郊外の山でもあることだし「経埋ムベキ山」に選ばれていることは納得できる。

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