宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

241 検証2:岩手日報で知った

2010年05月04日 | Weblog
     <↑『村塾建設の記』(松田甚次郎著、実業之日本社)  残念ながら”農村文化の創造に努む”で述べたとおり、松田甚次郎が下根子の宮澤賢治宅を訪ねる切っ掛けとなった記事が大正15年の4月1日のものであるかどうか、ということの確認は現時点では出来ないでいる。  ただし、岩手日報の報道がその切っ掛けであった(宮澤賢治と私(『宮澤賢治研究』)で既述)ことの確認が新たに出来たので報告する。  とい . . . 本文を読む

240 農村文化の創造に努む

2010年05月03日 | Weblog
   <↑ Fig.1 昭和2年2月1日付 岩手日報>  前回のブログで大正15年4月1日付岩手日報の記事を挙げ、この記事が『84 師とその弟子』の中に次のように出て来る  「岩手日報」紙上で「宮沢賢治氏が羅須地人協会を開設し、農村の指導に当たる」という記事を見て の記事のことではなかろうかと推理したはずだったのだが…。  軽率であった。この記事を冷静に読み直してみると、記事の中に”羅須地人協会 . . . 本文を読む

239 松田甚次郎下根子桜への初訪問日?

2010年05月02日 | Weblog
     大正12年佐藤隆房は稗貫農学校跡地に『花巻共立病院』を開院し、大正13年には宮澤賢治に頼んでその病院の中庭に花壇を造園した。 【Fig.2 花巻共立病院の花壇】      この写真は大正13年に写したもので、右上の人物は佐藤隆房である。  佐藤隆房は宮澤賢治の主治医も務め親密な交友関係にあったという。その隆房の著書に『宮澤賢治』(冨山房)という本があり、この本は以前”宮澤賢治の年譜に . . . 本文を読む

238 辻潤と佐藤惣之助とは?

2010年05月01日 | Weblog
      <1↑『ふれあいの人々』(森荘已池著、熊谷出版)>  前回のブログ”草野心平とはどんな人?”の中に、宮澤賢治を『中央で認めたのは佐藤惣之助と辻潤、心平の三人であった』とあったので、今回はその辻潤と佐藤惣之助について投稿したい。『宮澤賢治研究』の中にこの2人の小論があったから、その中から一部を拾ってみる。 1.辻潤について   『宮澤賢治研究』の中にダダイスト辻潤のし . . . 本文を読む