ではここでは仮説
(2) いくつかの山は白鳥座を意識して選んだ
を検証してみたい。
そのために、以前にも述べた疑問『どうして夏油三山は一つも「経埋ムベキ山」に選ばれていないのだろうか』ということにまず触れたい。
実際登ってみて思うことだが、「経埋ムベキ山」の山々は花巻から望むことが出来て、三角点があり、昔から人々と関わりを持ってきた信仰の篤い山が多い。
下根子桜から眺めることが出来て . . . 本文を読む
前回、次のような私見を述べた。
宮沢賢治は「経埋ムベキ山」の山々を選定する際に
(1) 童話『銀河鉄道の夜』が重要な役割を果たした。
(2) いくつかの山は白鳥座を意識して選んだ。
(3) 八方山をアンタレスに擬した。
(4) 32座を白鳥座、鷲座、盾座、射手座を構成するための必要十分条件としたわけではない。
と云う仮説である。
まず、(1) について検証してみたい。
宮沢賢治の年譜より . . . 本文を読む
さて、『銀河鉄道の夜』においてジョバンニが乗った列車はどのように銀河を通過して行ったか。初期形で云えば、
白鳥の島と十字架→白鳥の停車場(十一時着)→アルビレオの観測所→鷲の停車場→かささぎの群→琴の宿→孔雀→海豚→射手のとこ→インデアン→鶴→双子の星のお宮→蠍の火→さそりの形の三角標→ケンタウルの村→サウザンクロスの停車場(第三時着)と十字架→石炭袋
であった。
一方、この辺りの実際の銀河 . . . 本文を読む
では今回は[ケンタウルの村]~[石炭袋]について述べたい。
まず、[ケンタウルの村]について
『新編 銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)の中では
その火がだんだんうしろの方になるにつれてみんなは何とも云えずにぎやかなさまざまの楽の音や草花の匂のようなもの口笛や人々のざわざわ云う声やらを聞きました。それはもうじきちかくに町か何かがあってそこにお祭でもあるというような気がするのでした。
. . . 本文を読む
今回は [双子の星のお宮→蠍の火→さそりの形の三角標] に関して述べたい。
まず、
[双子の星のお宮]について
草下 英明氏は『宮沢賢治と星』(草下英明著、學藝書林)の中で次のように言っている。
これは、星座の双子座のことではなく、賢治の他の作品『双子の星』の中で「天の川の西の岸に小さな青い二つの星が見へます」と書かれているもので、青い二つの星とあるからには、蠍座の尾の毒針にあたるλとυ . . . 本文を読む
前回触れたように、『銀河鉄道の夜』の初期形には「琴の宿」等が出てくることを知った。
具体的には、
そして青い橄欖の森が見えない天の川の向ふにさめざめと光りながらだんだんうしろの方へ行ってしまひ、そこから流れて来るあやしい楽器の音ももう汽車のひびきや風の音にすり耗らされて聞こえないやうになりました。
「あの森琴の宿でせう。あたしきっとあの森の中に立派なお姫さまが竪琴を鳴らしてゐらっしゃると . . . 本文を読む
賢治の童話『銀河鉄道の夜』に関して云えば、あるときの岩手山登山で次のようなことがあったそうである。
先生につれられて皆で岩手登山をしたときのこと、先生は種々星の話、天の河の話などされていた。自分たちもそれぞれ自分勝手な想像をしたり、そのときの感じなどをおしゃべりしていた。中の一人小田島治衛君だと思う。「先生 天の河の光る星、停車場にすればいいナッス」といった。そして登山中、みんなで天の河ステ . . . 本文を読む
前回述べたように、畑山氏は『美しき死の日のために』(畑山博著、学習研究社)において、
・三十二の山々の頂を線で結ぶと、それは、はくちょう座、わし座、たて座、いて座という四つの星座の形になる。
・それはまさしく銀河鉄道の走る場所そのものである。
と云う仮説を立てている。
つまり、畑山氏は「北上川」を銀河に模し、「経埋ムベキ山」32座を下図のように線で結んで四つの星座とし、
【Fig.3『美しき死 . . . 本文を読む
先日念願の大森山にも登ることができたので、これで「経埋ムベキ山」32座については自分としては全山の同定が完了した。
そこで、”「経埋ムベキ山」について(概論4)”で掲載した図を修正する。
まず、「経埋ムベキ山」の全32座の分布図は次のようになる。
【Fig.1 「経埋ムベキ山」の分布図(修正版)】
◎が八方山、それ以外は★で表してある。
なお、この地図は「Yahoo!地図」から無断で . . . 本文を読む
以前、”「経埋ムベキ山」について(概論3)”で『結局、「経埋ムベキ山」32座のうちで同定に不安が残るのは大森山だけである』とした大森山であった。
その後、”(19) 大森山”においてこの大森山は鉛温泉の傍の『大森山(543.6m)』のことであると結論し、『晩秋の日溜まりハイキングに行くか来春の残雪期に登ってみたい。それが叶ったときにはまた報告したい』と述べたが、この度その”大森山へ日溜まりハイ . . . 本文を読む
さて、「経埋ムベキ山」32座の殆どに登ってみての、当初気になっていたことにまだ他に次のようなこともあった。
(2) 32座中、11座もの多くが賢治の作品に登場していないこと。
(3) ○も◎も付いていない上に作品にも登場しない「愛宕山」「蝶ヶ森」「篠木峠」が入っていること。
(4) 「毒ヶ森」を含むいくつかの山に賢治は登っているのだろうか、ということ。
(5) 登ってみて、「物見崎」「篠木峠」「 . . . 本文を読む
”木にかこまれし神楽殿”(その1) の続きである。
《1 花巻城址》(平成20年11月17日撮影)
《2 〃 》(平成20年11月17日撮影)
である。
《3 西御門》(平成20年12月27日撮影)
《4 〃 》(平成20年12月27日撮影)
《5 〃 》(平成20年12月27日撮影)
《6 花巻城本丸址》(平成20年12月27日撮影)
《7 〃 》(平成20年11月1 . . . 本文を読む
さて、「経埋ムベキ山」32座の殆どに登ってみての、当初気になっていたことの一つに
があったということは以前に述べてあるが、このことに関しては多少考え方も変わってきた。
今回はこのことについての私見を述べたい。
たしかに、胡四王山という名前そのものは賢治の作品には出てきていない。ところが、「歌稿〔B〕」の「大正三年四月」と題された章の中に次のようないくつかの短歌がある。
178 . . . 本文を読む
さて、宮澤賢治は果たしてどれくらい山に登っているのだろうか。
賢治の日記が残っているわけでもなく確かなところは判らないが、奥田氏が『校本・宮澤賢治全集』第14巻の年譜などを手掛かりにして調べたものが『宮澤賢治の山旅』(奥田博著、東京新聞出版局)に記載されている。
同著で奥田氏は
もっとも登ったといわれるのは岩手山であることは間違いない。残念ながら正確な回数は全く不明である。一〇〇回を超え . . . 本文を読む
前回の”「経埋ムベキ山」のまとめ”の中の”【表1:「経埋ムベキ山」一覧】”では、堂ヶ沢山については宮澤賢治の作品に登場していないということにしておいた。
その堂ヶ沢山についての私見を述べたい。
次の賢治の詩『〔こぶしの咲き〕』
こぶしの咲き
きれぎれの雲のとぶ
この巨きななまこ山のはてに
紅い一つの擦り傷がある
それがわたしも花壇をつくってゐる
花巻温泉 . . . 本文を読む