<↑Fig.1 大正15年7月13日付 岩手日報>
今回は紫波郡内の農民の苦闘と苦悩を知って、賢治はヒデリ(旱魃)のときに涙したに違いないということを論じてみたい。
(1) 雨乞い
今の時代から見れば何を馬鹿な真似をやっているのだと嗤われることなのだろうが、大正15年の大干魃のときには皆真剣に、必死になって雨乞いをしたようだ。
例えば、7月13・14日に紫波郡の農民は雨乞い . . . 本文を読む
【↑Fig.1 「夜の警戒」(大正15年7月15日付岩手日報より)】
次は新聞報道を通じて賢治はヒデリ(旱魃)のときに涙したに違いないということを論じてみたい。
賢治が花巻農学校を辞して下根子桜で独居自炊生活を始めた大正15年、紫波地方は未曾有のヒデリ(旱魃)が続いたというから大正15年の岩手日報の新聞記事を調べてみた。
岩手日報はそれぞれ次のようなことを報道している。
& . . . 本文を読む
<↑Fig.1『渇水と座禅詩碑』>
8 『渇水と座禅』とナミダヲナガシ
W氏は『ヒデリに不作なし』という言い伝えがあるから
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
というのはおかしい、ということで「ヒドリ=ヒデリ誤記」説を退けようとしている。しかし、はたして宮澤賢治はヒデリ(旱魃)のときに涙を流すことはなかったのだろうか。もちろん『ヒデリに不作なし』につても論じてみたいのだが、それはこ . . . 本文を読む
<Fig.1 花巻市松庵寺にある天明時代の「飢饉疫病死供養」塔>
8 『ヒデリにケガチなし』
前回述べたように、なかなか説得力のある「ヒドリ=ヒデリ誤記」説、すなわち、
「ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ」は「ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ」の書き間違いだ。
とする説に対して、ある人は次のように反論するかも知れない。
賢治の次の詩
三一七
善鬼呪禁
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【↑Fig.1 「雨ニモマケズ手帳」(71~72p)】
6 「ヒドリ」は限りなく誤記に近い
ここまでの報告の要点をまとめてみると
(1) 「雨ニモマケズ」は標準語で書かれている。
(2) 「ヒドリ」のみが方言ではありえず、標準語。
(3) 「ヒドリ=日用取(日傭労働)」説には無理がある。
とすれば、標準語「ヒドリ」の中に他の候補はあるだろうか。辞書で確認すれば
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<↑Fig.1 昭和6年7月10日付 岩手日報>
4 昭和6年の稲作に懐いた賢治の虞
宮澤賢治は昭和6年の稲作をどのように捉えていたのだろうか。
まずは、このブログの先頭に載せた岩手日報の記事からそれを窺うことが出来る。その内容は以下のとおりである。
【昭和6年7月10日付 岩手日報】
本年稲作は平年作以下か 宮澤元花農教諭予想を発表 花巻地方の分蘖状況
花巻豊沢町元花巻農学校 . . . 本文を読む
<↑Fig.1 昭和4~6年・米価一覧俵(玄米・石当)>
3 日傭労働のときに涙を流すか
今回もW氏の主張についてもう少し考えてみたい。
もし、W氏の主張するように「ヒドリ」が”日傭労働(日用取)”のことだとすれば、
ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ………①
の意味は
日傭労働のときは涙を流し
とる。
そこで、W氏は①を . . . 本文を読む
【↑ Fig.1 「雨ニモマケズ手帳」(51~52p)】
「雨ニモマケズ手帳」に書かれている「ヒドリ」は「ヒデリ」の誤記だというのは定説でもう決着が着いていると聞いていたが、最近手に入れたある著書で、その著者W氏は
「ヒドリ」とは南部藩が使っていた公用語で日傭労働のことを意味し「日用取」と表記していた。
したがって、
ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ
とは、冷夏にヒ . . . 本文を読む