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96 羅須地人協会について(その1:明神様の湧水)

 過日、岩田しげ(宮澤賢治の一番下の妹)さんの「思い出の記」を読んでいたらその中に
 その年(大正11年のこと)の七月頃だったっと思いますが、病氣の姉をいまの碑の建っているところの家へ移すことになりました。母が姉の看病疲れで弱っているので、若い看護婦さんと付き添いのおきよさんと私が泊まることになりました。私は食欲のない姉の食事拵らえが役目でしたが、夜は農學校から帰った兄が泊まることになりました。そのころの兄は書き度いことが次から次へと湧き出すようで、それがとてももどかしくていちいち字にしていられないというようなときも多かった様でした。
 或る日、すっかり労れ切ったように見える兄を慰めるつもりで、「脳味噌を洗ってあげましょうか。」と申しました。兄は思いがけない様でしたが、「今日はひどい面しているが?」ときまり悪そうに言いました。
「あん、いまお明神様の湧水で脳味噌をよく冷やして、洗ってあげるから。」と言って、まず兄の頭の錠を静かに外して手際よく頭蓋骨の蓋を明け、好き透った硝子の入れものに脳を移して湧水につけることにしました。脳にくっついた何かもやもやしたものが、すうすう流れていって熱っぽい脳が硝子の中で冷えています。隣室の姉もついに笑って、「ついでに頭の椀コも洗えばいい。」と言いましたのでそれも洗い、綺麗になった脳味噌をまた大事に椀コに入れて蓋をして、皮をかぶせてスーツと撫でて取り付けて「それ氣持ちがよくなったでしょう。」といいました。兄も姉も私も皆スーツとして晴ればれと楽しく笑いました。こんな冗談が非常に兄を喜ばせたり、力づけたりしたことを先頃のことのように思い出すのでございます。

    <『宮沢賢治研究』(草野心平編、筑摩書房)より>
というエピソードが書かれていた。
 仲のよい兄妹だったのだということはもちろんだが、しげさんのユーモアに賢治もたじたじであったであろうことが窺えてほほえましい。

 そこで、その”明神様の湧水”の案内等をしたい。

 まず次の
《1『手づくり観光マップ』》(『桜地人館』からもらったものから抜粋)

を見てほしい。上図の川岸の赤い点線は
《2 『心象ロード』》(平成20年12月15日撮影)

と名付けられているイギリス海岸から続く遊歩道で、この道にそって進んでゆくとやがて(マップで言えば赤点線が鋭角状に折れている地点に)
《3 水道橋》(平成20年12月15日撮影)

が見えてくる。そして、この橋の向こう岸のたもとにある杉林を目指す。そこが明神様の湧水のある場所である。
 赤煉瓦が敷かれた『心象ロード』を道沿いにそのまま進むと次のような橋
《4 豊沢川に架かる桜橋》(平成20年12月11日撮影)

がある。この橋を渡ると
《5 桜一丁目バス停》(平成20年12月11日撮影)

があり、そこを過ぎると左手に
《6 煉瓦敷きの歩道》(平成20年12月11日撮影)

があるのでそこを歩いて行く。すると、
《7 『新奥の細道』の標識のあるT字路》(平成20年12月11日撮影)

がある。この写真の屋根の左側上にちょこんと見えるのはドイツトウヒである。
 その
《8 ドイツトウヒ》(平成20年12月11日撮影)

がこれで、
《9 『賢治手植えの樹』案内板》(平成20年12月11日撮影)

が立っている。
 因みに『〔同心町の夜あけがた〕』は次のような詩である。
   同心町の夜あけがた
   一列の淡い電燈
   春めいた浅葱いろしたもやのなかから
   ぼんやりけぶる東のそらの
   海泡石のこっちの方を
   馬をひいてわたくしにならび
   町をさしてあるきながら
   程吉はまた横眼でみる
   わたくしのレアカーのなかの
   青い雪菜が原因ならば
   それは一種の嫉視であるが
   乾いて軽く明日は消える
   切りとってきた六本の
   ヒアシンスの穂が原因ならば
   それもなかばは嫉視であって
   わたくしはそれを作らなければそれで済む
   どんな奇怪な考が
   わたくしにあるかをはかりかねて
   さういふふうに見るならば
   それは懼れて見るといふ
   わたくしはもっと明らかに物を云ひ
   あたり前にしばらく行動すれば
   間もなくそれは消えるであらう
   われわれ学校を出て来たもの
   われわれ町に育ったもの
   われわれ月給をとったことのあるもの
   それ全体への疑ひや
   漠然とした反感ならば
   容易にこれは抜き得ない
     向ふの坂の下り口で
     犬が三疋じゃれてゐる
     子供が一人ぽろっと出る
     あすこまで行けば
     あのこどもが
     わたくしのヒアシンスの花を
     呉れ呉れといって叫ぶのは
     いつもの朝の恒例である
   見給へ新らしい伯林青を
   じぶんでこてこて塗りあげて
   置きすてられたその屋台店の主人は
   あの胡桃の木の枝をひろげる
   裏の小さな石屋根の下で
   これからねむるのでないか

   <『校本 宮澤賢治全集 第四巻』(筑摩書房)より>
 そして、次の写真の
《10 中央奥に見える鴇色の建物》(平成20年12月11日撮影)

まで歩いて行けば
《11 盛岡工兵第八大隊演習場厰舎跡》(平成20年12月11日撮影)

となる。この厰舎は『桜の兵舎』と呼ばれ、桜の大木が数十本もあったことから近在随一の名所であったことが記されている。下根子桜の”桜”はこの桜のことであろう。
 因みに
《12 花巻付近概念図(大正初期)》(『校本宮沢賢治全集第十四巻』(筑摩書房)より)

で場所が判ると思う。
 そしてこの概念図の”工兵演習厰舎”の文字の上の辺り、つまり豊沢川と北上川の合流点付近に行けば小高い杉林がありその中に
《13 瀧清水神社》(平成20年12月11日撮影)

がある。境内には沢山の山岳信仰の供養塔が立っている。
 道路を回り込んでこの神社を前から眺めてみよう。それがこの
《14 瀧清水神社全景》(平成20年12月11日撮影)

であり、この写真の下部中央に見えるコンクリートの塀の所に勢いよい
《15 湧水》(平成20年12月11日撮影)

があり、これが
《16 明神様の湧水》(平成20年12月11日撮影)

とも呼ばれている湧水である。この湧水は羅須地人協会跡地から500mほどの距離にあり、岩田しげさんはこの湧水を使って
「あん、いまお明神様の湧水で脳味噌をよく冷やして、洗ってあげるから。」
と言ったのである。

 境内に入ると、さすが下根子”桜”というだけあって
《17 冬桜》(平成20年12月11日撮影)

が咲いていた。
《18 由緒》(平成20年12月11日撮影)

には
 この神社は北上川と豊沢川の合流点を見下ろす高台にある。かつては数十本の桜の古木があったのでこの一帯は「桜ヶ丘」といわれた。また、神社のある崖下より清水が滝のように湧き出る故、清水は「桜の瀧清水」あるいは「桜のお明神さま」と呼ばれ広く信仰を集めているという。この地で海運業を営んでいた「伝七」という人が、稲荷の小祠を建てて守護神として進行していたのが始まりである。
というようなことが書かれてある。
《19 瀧清水神社拝殿》(平成20年12月11日撮影)

《20 〃の額》(平成20年12月11日撮影)

この神社の側には
《21 小さめの別の社もある》(平成20年12月11日撮影)

《22 金毘羅神社》(平成20年12月11日撮影)

である。
《23 その額『金毘羅大権現』》(平成20年12月11日撮影)

ここに金毘羅さんがあるのは、「伝七」という人が海運業を営んでいたからであろうか。

 次は賢治詩碑へ行き、羅須地人協会のことを少し調べてみたい。

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コメント
 
 
 
脳ミソを洗うエピソード「思い出の記」 (鈴木)
2019-05-23 23:41:13
はじめまして、
宮澤賢治研究の熱意に敬意を表します。
私は多くの漫然とした宮沢賢治作品ファンの1人に過ぎませんが、こちらで、瀧清水神社の湧き水についての宮澤きょうだいのやり取りを初めて知った後、実際に神社でこちらの写真と同じ湧き水で頭を冷やしてきました。真夏の暑い日だったので気持ちよかったです。
エピソードのご紹介ありがとうございました。
ところで、この岩田しげさんの回想を、インターネットで調べても他にまったくヒットせず、「思い出の記」の実物を見ることもできない状況にあります。
もしよろしければ、「思い出の記」の表紙や裏表紙とともに、当該の記述箇所をお写真でみせていただくことは可能でしょうか。
しげさんととしさんのウィットに富んだ非常によいエピソードで、埋もれてしまうのはもったいないと思っています。
 
 
 
Unknown (鈴木)
2019-05-23 23:43:10
すみません、見返しましたら、「思い出の記」という出版物ではなく、草野心平さんの「宮沢賢治研究」の中の記述だったのですね。
すみません、すっきりしました。
 
 
 
再々度 (鈴木)
2019-05-24 01:55:24
たびたび失礼します。
出典がわかって喜んでいたのですが、国立国会図書館のデジタルサービスでも、この宮澤賢治研究は表示できないようになっており、やはり出どころで確認できませんでした。
現在日本国外におり、図書館に行くこともできないものですから、もし隙間のお時間がおありの際に、「やれ、仕方ないな」と、くだんのきょうだいのやり取りのページのお写真をこちらのページなりに掲載いただけたら、嬉しく感謝に堪えません。
もちろん唐突なご依頼の失礼は承知です、お応えいただけなくとも致し方ございません。
 
 
 
これで如何でしょうか (鈴木 様へ)
2019-05-24 12:59:05
鈴木様
 拙ブログに関心を持っていただきありがとうございます。
 さてご依頼の件、最後尾に付けてみました。これで如何でしょうか。
 なお、これらの写真は後ほど削除いたしますので、ご覧になりましたならば、お知らせ下さい。
                          鈴木 守
 
 
 
ありがとうございます! (鈴木)
2019-05-24 21:18:51
鈴木様、

本当にありがとうございます!
わざわざ本を出してページを開いて写真を撮って掲載して、と、お手間を考えると、お礼の言葉もありません。
しっかりと内容も読めて、見ず知らずのサイト訪問者にここまでしていただいて、本当にありがとうございました。
ますます宮澤賢治さんへの興味もわきました。
日本に帰国時には、図書館で本を読んでみようと思います。
貴重なお写真はダウンロードさせていただきました。
どうぞ削除なさってください。
今後も貴方様の情報を楽しみにしております。
欧州某国より。
 
 
 
お役に立てましたならば嬉しいです (鈴木 様へ)
2019-05-25 19:58:43
鈴木 様
 お役に立てましたならばとても嬉しいです。
 それでは、近々今回の写真は削除いたします。
 なお、これからも必要なものがございましたならば、ご遠慮なさらずにお申し付け下さい。私に用意出来るものでしたら、喜んで対応いたします。
 と申しますのは、私はもう72歳の老いぼれですから消え去るのみです。そしてこれからは若い人の時代ですので、鈴木様の今後のご活躍の手助けが出来れば嬉しいからです。
 なお、その際はこちら「宮澤賢治の里より」ではなくて、
  「みちのくの山野草」
  https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku
のコメント欄を通じてご依頼いただいても結構です。
 それでは、鈴木様のますますのご活躍を祈念しております。
                        鈴木 守                
 
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