《『高村光太郎 書の深淵』(北川太一著、高村規写真、二玄社)の表紙》 石川朗様この度はご教示大変ありがとうございました。早速『高村光太郎 書の深淵』を手に入れまして、当該個所を見て安堵しております。
******************************************************************************* 以前〝高村光太郎の名誉のために〟において . . . 本文を読む
さて、やっとたどり着いた本物の〝上ン平〟に関する念願の報告である。
その名のとおり、そこには際立つピークがあるわけではなくて緩やかな斜面からなるほぼ平らな場所であった。
なお、賢治は〝上ン平〟と『雨ニモマケズ手帳』には書いているが、五万分の一地形図「日詰」(陸軍参謀本部発行)上での記載は〝上(ウハン)平〟である。つまり、〝ン〟がないのである。
賢治の生きていた頃はどうだったのか不明だが現 . . . 本文を読む
《1↑『報徳青年 第三巻・第二號』表紙》
神田の古本屋さんで『報徳青年』という小冊子を手に取ってみたならば、その巻頭言が
農民芸術概論綱要
とあった。この冊子は昭和25年2月25日発行のものであった。因みにその目次はこのブログの先頭に掲げたその表紙にあるとおりである。
表紙を捲ってみるとそこには下図のような内容の巻頭言があった。
《2『報徳青 . . . 本文を読む
《1↑『賢治先生と石鳥谷の人々』(板垣寛著、高橋印刷)>
この度板垣寛氏の著書『賢治先生と石鳥谷の人々』を読むことが出来た。その中には宮澤賢治にかわいがられ、信頼も厚かった教え子の菊池信一に関することが多く語られていた。
《2 菊池信一》
1.板垣寛氏と菊池信一
著者の板垣寛氏は亮一氏のご子息であり、この板垣亮一氏は菊池信一と親友であっ . . . 本文を読む
《↑『イーハトーヴォ六号』》
それでは今回は「イーハトーヴォ6号~13号」の中にある松田甚次郎関連の記事を抜き出すとともにその中にたまたま見つかった小笠原露の短歌を報告したい。
【第六号(昭和15年5月21日発行)】
特になし。
【第七号(昭和15年5月21日発行)】
☆ 四月賢治の会
山形 長期第十一回生として入塾した新たなる理想に燃ゆる七名の新入塾生を . . . 本文を読む
《↑『土に叫ぶ(第15刷)』(昭和18年発行、松田甚次郎著、羽田書店)》
では今回は『イーハトーヴォ(第一期)』の5号から松田甚次郎に関連する部分を抜き出してみたい。
【第五号(昭和15年3月21日発行)】
☆ 二月賢治の会
花巻 二十四日夜七時半、南城組合楼上で、南城振興共働村塾第三回開塾に、講師として来花された松田甚次郎氏及び盛岡賢治の会菊池暁輝氏、それに見 . . . 本文を読む
《↑『イーハトーヴォ(第一期)』》
このたび『イーハトーヴォ(第一期)』の中味を見ることが出来た。興味深い事柄が少なからずあったが、中でも松田甚次郎関連の記事が多いことにである。
昨今は松田甚次郎のことを賢治の周辺ではあまり重んじていないような気がするが、この『イーハトーヴォ(第一期)』が出版されていた頃(昭和14年11月~16年1月)は如何に . . . 本文を読む
《↑高瀬露》
あれっ、もしかするとあの人は小笠原露(高瀬露)と親戚ではなかろうかと思いついた。その人とはいまから30年ほど前に同じ職場で大変お世話になった人Nさんである。
というのは、最近花巻のある図書館で調べ物をしていた際に資料の寄贈者にNさんの名と思われる記載があった。そういえばNさんは花巻出身だったはず。そこで直感が働 . . . 本文を読む
《1↑『宮澤賢治全集一』(文圃堂)》
宮澤賢治没後約1年の昭和9年10月に早々と文圃堂から『宮澤賢治全集第三巻』(童話編)が刊行されたということだが、そのシリーズの第一巻がこのブログの先頭のようなものである。
森荘已池の「ふれあいの人々宮澤賢治」によれば、この表紙の字は高村光太郎の手によるものなそうで、
《2 『宮澤賢治全集一巻』奥付き》
には発行は
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《1↑『人と文学シリーズ 宮澤賢治』(島尾敏雄・真壁仁…、学研)》
学研の『人と文学シリーズ 宮澤賢治』の中に賢治が教え子富手一に宛てた封筒の写真があった。
《2 「昭和2年4月9日付富手一あて書簡封筒」》
この写真を見て「おっ!」と思った。というのは封筒の裏に『羅須地人協會 岩手縣稗貫郡下根子』のゴム印が押してあったからである。
ここの説明文
昭和2年4月9日 . . . 本文を読む
《1↑『岩手日報』(昭和8年9月25日付)》
昭和8年9月22日付け岩手日報の紙面の中に次のような報道があった。
1.宮澤賢治永眠
その紙面には、
《2 「詩人宮澤賢治氏 きのふ永眠す」》
という記事が載っており、宮澤賢治が昭和8年9月21日になくなったことに関わる新聞報道で
詩人宮澤賢治氏きのふ永眠す 日本詩壇の輝 . . . 本文を読む
《↑『風の又三郎』(宮澤賢治著、昭和14年、羽田書店)(ほるぷ社復刻版)》
前回の続きである。
「座談会 賢治像・賢治作品の評価をたどる」の中で興味を引いたことがもう一つあった。それは次のような西田良子氏の発言である。
…私も最初の出会いは小学校の時で、昭和十四年ころ、『風の又三郎』の中の「貝の火」の所でホが花文字になっていたのが強く印象に残っています。でも、「貝の火」 . . . 本文を読む