宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

205 鳥越八幡神宮

2009年11月25日 | Weblog
 初冬の新庄市鳥越を訪ねてみた。そこは松田甚次郎生まれた所でもあり、甚次郎が「賢治精神」をひたむきに実践した土地でもある。
 考えてみれば、甚次郎は明治42年の生まれだからこの年2009年(平成21年)は”松田甚次郎生誕100年”の節目の年でもある。彼の誕生日は3月3日だから、生誕100年を祝って何等かの行事があったと思われる。私が訪れたのは11月だからその行事は終わっていたにしても、その名残はあるだろうと思って期待しながら訪ねた。

 まずは、最初に訪れた例の土舞台がある鳥越八幡宮について報告する。
【Fig.1 越八幡宮付近の地図】

   <『新庄市報H4,7,7号”土を愛し、土に叫んだ人”』より>
この地図の”a”の個所が鳥越八幡宮のあるところである。新庄駅から旧羽州街道を南下すると道路左側に現れる
《1 八幡宮入り口》(平成21年11月10日撮影)

坂道の参道を上ってゆくと左手に
《2 鳥越公民館》(平成21年11月10日撮影)

があり、次に
《3 駐車場》(平成21年11月10日撮影)

が現れる。
《4 駐車場からの田園風景》(平成21年11月10日撮影)

戻って
《5 参道》(平成21年11月10日撮影)

に沿って上って行くと
《6 一の鳥居》(平成21年11月10日撮影)

が現れ、そこに建っている
《7 神社由緒》(平成21年11月10日撮影)

である。
《8 境内》(平成21年11月10日撮影)

に入ると
《9 右手には御神木夫婦杉》(平成21年11月10日撮影)

があり、
《10 左手には胸像など》(平成21年11月10日撮影)

が建っている。
《11 松田甚次郎の像と石碑》(平成21年11月10日撮影)

であり、左側の石碑には”義農松田甚次郎先生碑”と刻まれている。
《12 松田甚次郎の胸像》(平成21年11月10日撮影)

の下のプレートには
《13 松田甚次郎の辞世の句》(平成21年11月10日撮影)

  冬寒く雪降る奥羽の山里に道を求めてここに十八年
が彫られてある。
《14 拝殿》(平成21年11月10日撮影)

《15 〃 》(平成21年11月10日撮影)

宮司さんが、松田甚次郎はこの神社に何度か参籠したと教えてくれた。
《16 振り返ってみた境内》(平成21年11月10日撮影)

 では、次は
《17 本殿前の左側にある階段》(平成21年11月10日撮影)

を上って行く。そこには
《18 平坦部分があり》(平成21年11月10日撮影)

盛土で造られた
《19 土舞台が現れる》(平成21年11月10日撮影)

因みに次が往時の舞台である。
【Fig.2 八幡神社の境内につくった土舞台】

   <『宮澤賢治精神の実践』(安藤玉治著、農文協)より>
《20 土舞台の右袖》(平成21年11月10日撮影)

の階段を上ると
《21 舞台》(平成21年11月10日撮影)

に立てる。
《22 舞台の奥を見る》(平成21年11月10日撮影)

【Fig.3 上演中の舞台】

   <『宮澤賢治精神の実践』(安藤玉治著、農文協)より>
この舞台で「水涸れ」を始め多くの農村劇が上演されたことになる。
 なお、舞台の上には
《23 センボンヤリ》(平成21年11月10日撮影)

《24 ノコンギク》(平成21年11月10日撮影)

《25 ガンクビソウ》(平成21年11月10日撮影)

などがあった。
 舞台の右の階段の
《26 紅葉》(平成21年11月10日撮影)

が美しい。その階段を上ってそこから
《27 見下ろした土舞台》(平成21年11月10日撮影)

《28 同じく八幡宮の拝殿・本殿》(平成21年11月10日撮影)

足元には
《29 ヤマブキショウマ?の黄葉》(平成21年11月10日撮影)

 では、土舞台を後にし
《30 黄楽の美しい境内》(平成21年11月10日撮影)

に下りよう。その際には
《31 もう一つの階段》(平成21年11月10日撮影)

あるこの階段を下りることも出来る。

 では、次回は最上共働村塾跡を訪ねてみたい。

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