
今回は「経埋ムベキ山」愛宕山について報告する。
この山に行く場合は、もし盛岡で訊くならば『盛岡グランドホテルは何処ですか』と尋ねればよい。誰でも直ぐその場所は解ると思うからである。因みに、次の写真が
《1 中の橋からの愛宕山》(平成20年11月8日撮影)

であり、山の上方に見えるのが愛宕山の展望台、その下方に見えるのがそのホテルである。なお、流れている川は”中津川”であり、秋には鮭が遡上する清流である。
この中津川沿いに道を遡ってゆくと欄干に”擬宝珠”の着けられた上の橋がある。因みに、この擬宝珠の中には慶長年間に南部藩主南部利直が取り付けた400年前のものがまだ残っているとのことで、上の橋の擬宝珠は盛岡のシンボルになっている。
その
《2 上の橋からの愛宕山》(平成20年11月8日撮影)

である。
さらに道を遡ってゆくと盛岡市公民館があるので、そこまで辿り着けば迷うことなく盛岡グランドホテルの登り坂が分かる。
その坂道を登って行くと道沿いには、晩秋なら
《3 ヒヨドリジョウゴの実》(平成20年10月18日撮影)

《4 〃 》(平成20年10月18日撮影)

が赤く輝いているし
《5 ナナカマド紅葉》(平成20年11月8日撮影)

《6 愛宕山登り口到着》(平成20年10月18日撮影)

ここは盛岡グランドホテルへの上り坂の途中にあり、標識もあって直ぐ判る。
《7 登山口》(平成20年5月16日撮影)

《8 登山路》(平成20年5月16日撮影)

登り始めは、ホテルを左手に見ながら進むことになる。
5月半ばなら、道沿いにあまり花は咲いていないが、
《9 タニウツギの花》(平成20年5月16日撮影)

《10 ミツバウツギの花》(平成20年5月16日撮影)

まだ、花は白くなっていないが
《11 フタリシズカ》(平成20年5月16日撮影)

間もなく開花しそうな
《12 オニタビラコ》(平成20年5月16日撮影)

そして
《13 ハルジオン》(平成20年5月16日撮影)

などが見られる。
また、晩秋なら
《14 紅葉》(平成20年10月18日撮影)

や
《15 ちょっと寂しい黄葉》(平成20年10月18日撮影)

何と健気に
《16 ヒメジョン》(平成20年10月18日撮影)

も咲いている。
そろそろ頂上間近の
《17 登山路風景》(平成20年5月16日撮影)

《18 展望台到着》(平成20年5月16日撮影)

《19 頂上から空を見上げる》(平成20年10月18日撮影)

《20 紅葉》(平成20年10月18日撮影)

この展望台からは
《21 箱ヶ森、赤林山、南昌山》(平成20年5月16日撮影)

《22 蝶ヶ森山》(平成20年10月18日撮影)

(なお、この蝶ヶ森山も「経埋ムベキ山」の一つである)
《23 早池峰山》(平成20年10月18日撮影)

などを望むことが出来る。
しかし、この愛宕山には如何にも「経埋ムベキ山」らしい属性が見つからない。そこで頂上周辺を彷徨ってみる。
頂上付近には
《24 愛宕山南部太郎坊堂跡》(平成20年5月16日撮影)

《25 武島繁太郎歌碑》(平成20年5月16日撮影)

《26 その説明》(平成20年5月16日撮影)

が見つかった。
さらに、頂上から登った方向と逆方向に辿ると春なら
《27 ガマズミの花》(平成20年5月16日撮影)

や
《28 コゴメウツギの蕾》(平成20年5月16日撮影)

があるし、晩秋なら
《29 こんな淡い黄葉》(平成20年10月18日撮影)

も見られるし
《30 ガマズミだろうか赤い木の実》(平成20年10月18日撮影)

にも会える。
そしてその道を進めば直に駐車場があり、そこを左折すれば
《31 立原道造の詩碑案内》(平成20年10月18日撮影)

《32 〃の説明》(平成20年10月18日撮影)

《33 立原道造の詩碑》(平成20年10月18日撮影)

《34 詩碑の前のセンボンヤリの果実》(平成20年10月18日撮影)

しかしこれ以外には目立ったものはない。
結局この愛宕山であるが、花巻からは望めない、三角点もあるわけでもない、頂上には石塔も権現様もない、せいぜいあるのは麓の方に愛宕神社があるだけだ。また、この愛宕山は宮澤賢治の作品には一切登場していないと思う。
どうも典型的な「経埋ムベキ山」としての特徴が乏しいと思う。では、なぜ宮澤賢治はこの山を選んだのだろうか。
そこで再度『雨ニモマケズ手帳』の143pを見直してみると1行内に”岩山、愛宕山、蝶ヶ森”とひとまとめに書かれている。また、この3つの山は地理的にはバランスのよい三角形の頂点上にあり、鼎立しているようにも思える。それは、花巻の”旧天山、胡四王、観音山”の鼎立関係によく似ている。そのあたりが『愛宕山(196m)』を「経埋ムベキ山」の一つにしたのかなと思うこの頃である。このことについては、次の『(29)蝶ヶ森山』でさらに補足したい。
続きの
”(29) 蝶ヶ森山”のTOPへ移る。
前の
”(27) 岩山”のTOPに戻る。
「経埋ムベキ山」32座のリストのある
”「経埋ムベキ山」のまとめ”のTOPに移る。
”宮澤賢治の里より”のトップへ戻る。
”目次”へ移動する。
この山に行く場合は、もし盛岡で訊くならば『盛岡グランドホテルは何処ですか』と尋ねればよい。誰でも直ぐその場所は解ると思うからである。因みに、次の写真が
《1 中の橋からの愛宕山》(平成20年11月8日撮影)

であり、山の上方に見えるのが愛宕山の展望台、その下方に見えるのがそのホテルである。なお、流れている川は”中津川”であり、秋には鮭が遡上する清流である。
この中津川沿いに道を遡ってゆくと欄干に”擬宝珠”の着けられた上の橋がある。因みに、この擬宝珠の中には慶長年間に南部藩主南部利直が取り付けた400年前のものがまだ残っているとのことで、上の橋の擬宝珠は盛岡のシンボルになっている。
その
《2 上の橋からの愛宕山》(平成20年11月8日撮影)

である。
さらに道を遡ってゆくと盛岡市公民館があるので、そこまで辿り着けば迷うことなく盛岡グランドホテルの登り坂が分かる。
その坂道を登って行くと道沿いには、晩秋なら
《3 ヒヨドリジョウゴの実》(平成20年10月18日撮影)

《4 〃 》(平成20年10月18日撮影)

が赤く輝いているし
《5 ナナカマド紅葉》(平成20年11月8日撮影)

《6 愛宕山登り口到着》(平成20年10月18日撮影)

ここは盛岡グランドホテルへの上り坂の途中にあり、標識もあって直ぐ判る。
《7 登山口》(平成20年5月16日撮影)

《8 登山路》(平成20年5月16日撮影)

登り始めは、ホテルを左手に見ながら進むことになる。
5月半ばなら、道沿いにあまり花は咲いていないが、
《9 タニウツギの花》(平成20年5月16日撮影)

《10 ミツバウツギの花》(平成20年5月16日撮影)

まだ、花は白くなっていないが
《11 フタリシズカ》(平成20年5月16日撮影)

間もなく開花しそうな
《12 オニタビラコ》(平成20年5月16日撮影)

そして
《13 ハルジオン》(平成20年5月16日撮影)

などが見られる。
また、晩秋なら
《14 紅葉》(平成20年10月18日撮影)

や
《15 ちょっと寂しい黄葉》(平成20年10月18日撮影)

何と健気に
《16 ヒメジョン》(平成20年10月18日撮影)

も咲いている。
そろそろ頂上間近の
《17 登山路風景》(平成20年5月16日撮影)

《18 展望台到着》(平成20年5月16日撮影)

《19 頂上から空を見上げる》(平成20年10月18日撮影)

《20 紅葉》(平成20年10月18日撮影)

この展望台からは
《21 箱ヶ森、赤林山、南昌山》(平成20年5月16日撮影)

《22 蝶ヶ森山》(平成20年10月18日撮影)

(なお、この蝶ヶ森山も「経埋ムベキ山」の一つである)
《23 早池峰山》(平成20年10月18日撮影)

などを望むことが出来る。
しかし、この愛宕山には如何にも「経埋ムベキ山」らしい属性が見つからない。そこで頂上周辺を彷徨ってみる。
頂上付近には
《24 愛宕山南部太郎坊堂跡》(平成20年5月16日撮影)

《25 武島繁太郎歌碑》(平成20年5月16日撮影)

《26 その説明》(平成20年5月16日撮影)

が見つかった。
さらに、頂上から登った方向と逆方向に辿ると春なら
《27 ガマズミの花》(平成20年5月16日撮影)

や
《28 コゴメウツギの蕾》(平成20年5月16日撮影)

があるし、晩秋なら
《29 こんな淡い黄葉》(平成20年10月18日撮影)

も見られるし
《30 ガマズミだろうか赤い木の実》(平成20年10月18日撮影)

にも会える。
そしてその道を進めば直に駐車場があり、そこを左折すれば
《31 立原道造の詩碑案内》(平成20年10月18日撮影)

《32 〃の説明》(平成20年10月18日撮影)

《33 立原道造の詩碑》(平成20年10月18日撮影)

《34 詩碑の前のセンボンヤリの果実》(平成20年10月18日撮影)

しかしこれ以外には目立ったものはない。
結局この愛宕山であるが、花巻からは望めない、三角点もあるわけでもない、頂上には石塔も権現様もない、せいぜいあるのは麓の方に愛宕神社があるだけだ。また、この愛宕山は宮澤賢治の作品には一切登場していないと思う。
どうも典型的な「経埋ムベキ山」としての特徴が乏しいと思う。では、なぜ宮澤賢治はこの山を選んだのだろうか。
そこで再度『雨ニモマケズ手帳』の143pを見直してみると1行内に”岩山、愛宕山、蝶ヶ森”とひとまとめに書かれている。また、この3つの山は地理的にはバランスのよい三角形の頂点上にあり、鼎立しているようにも思える。それは、花巻の”旧天山、胡四王、観音山”の鼎立関係によく似ている。そのあたりが『愛宕山(196m)』を「経埋ムベキ山」の一つにしたのかなと思うこの頃である。このことについては、次の『(29)蝶ヶ森山』でさらに補足したい。
続きの

前の

「経埋ムベキ山」32座のリストのある



※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます