”(6)早池峰山(1)”の続きである。
ここは、小田越コースの四合目
《1 あちこちに黄色の塊がある》(平成20年6月16日撮影)
《2 ナンブイヌナズナだ》(平成20年6月16日撮影)
《3 〃の花》(平成20年6月16日撮影)
ナンブイヌナズナは早池峰山以外の北上山地の蛇紋岩帯にもあると云うことだが、実質は早池峰山の特産種と云ってもよさそうだ。
もちろん、ナンブイヌナズナの . . . 本文を読む
それでは、今回は「経埋ムベキ山」早池峰山について報告する。
さて、宮澤賢治はいつ早池峰山に登ったのかを調べてみる。
○大正 7年9月23日(22歳) 岳-早池峰山-七折れの滝-岳
○大正14年8月10日(28歳) 河原の坊(野宿)-11日 早池峰頂上でご来光迎える
とあった。
なお、大正13(1924)年8月17日(27歳)にも賢治は早池峰山に登っているようだ。なぜなら、次の . . . 本文を読む
”(5)物見崎(その1)”の続きである。
前回『物見ヶ崎にはいかにも「経埋ムベキ山」らしいところがあまりない。逆に言えば、この物見ヶ崎についてはもっともっと調べてみる必要があると思う』と述べた。
そこで、この物見ヶ崎の東側には北上川が流れているから対岸からまずは物見ヶ崎を眺めてみようと思って昭和橋方向に進路をとった。すると、物見ヶ崎の参道入り口から約1㎞行ったところに次のような標識あり。
《 . . . 本文を読む
『経埋ムベキ山』の5番目に書かれた物見崎を訪ねる。
なお、賢治の「経埋ムベキ山」には”物見崎”と書かれているが、ここでは”物見ヶ崎”と同じものとして考えている。因みに、小倉豊文氏も『「雨ニモマケズ」新考』(東京創元社)において、
「物見崎」、北上市八森、飯豊川が北上川に流入する川口近い右岸の小丘。
と説明している。つまり、『物見ヶ崎』のことである。
花巻から南下して花巻市と北上市の境界付近 . . . 本文を読む
「経埋ムベキ山」の4番目に書かれた飯豊森に出掛けてみた。
花巻市街から国道4号線を南下する。”花巻市山の神”付近の国道沿い西側に花巻市公設地方卸売市場がある。そこをやり過ごしてさらに南下すると同じく西側に生物工学研究所がある。さらに南下した次の信号のある交差点を曲がり、西方向に進路をとる。
やがて北上市の飯豊に達し、東北自動車道の西側に小高い丘を発見出来るはず。そこが飯豊森である。
《1 飯 . . . 本文を読む
観音山は、「経埋ムベキ山」として『旧天山、胡四王、観音山・・・』とかかれているから3番目の「経埋ムベキ山」である。
ところで、花巻市内の観音山には「(高松)観音山」の他に「(円万寺)観音山」もある。下根子桜から見れば、鼎立する配置で
胡四王山、旧天山、(高松)観音山
がいずれも指呼の距離にあり、それらの背後に早池峰山が控えていることを考えれば(高松)観音山(260.7m)の方であるこ . . . 本文を読む
「経埋ムベキ山」胡四王山(その1)の続きである。
胡四王山の三角点頂上の脇にある
《1 宮沢賢治記念館の案内標識》(平成20年5月23日撮影)
この大石の傍にある標識の左手が
《2 記念館へと続く”シグナル”のある小径》(平成20年5月23日撮影)
であり、ここを歩いてゆくと直ぐに
《3 宮沢賢治記念館》(平成20年5月23日撮影)
《4 〃 》(平成20年5月23日撮影)
が現れ . . . 本文を読む
それでは今回からは
「賢治は、夜の十一時近くに生徒をつれ胡四王山麓に行き心象スケッチに更け、明け方の三時頃に帰宅」
したと花農時代の同僚白藤慈秀が語るところの、縦走とはちょっと大げさではあるが、胡四王山(こしおうざん)の縦走をしてみよう。
《1 まずは縦走のイメージ》(平成20年5月23日撮影)
今回のコースは、(この写真では下のやや右の)社務所の傍を通り、表参道を通って胡四王神社に . . . 本文を読む
まず羅須地人協会跡地を訪れて「経埋ムベキ」山のうちの3つの山『旧天山、胡四王山、観音山』を眺めてみよう。
4月下旬の頃であれば、羅須地人協会跡地の入り口ではキクザキイチリンソウが出迎えてくれる。
《1 キクザキイチリンソウの花叢》(平成20年4月20日撮影)
《2 下ノ畑ニ居リマスの立看板》(平成20年4月20日撮影)
『ここはかつて花巻川口町下根子八景とよばれたところで、そのころ柾葺き . . . 本文を読む
『雨ニモマケズ手帳』の「経埋ムベキ山」の144pを再掲する。
《Fig.4 144p》
「八方山」の右肩に◎(正確には中の小丸は塗りつぶした●であるがその様な記号がないので◎で代用する)印が付いている。このことについては小倉 豊文氏でさえも、『解説 復元版宮沢賢治手帳』(筑摩書房、解説小倉 豊文)で、
手帳にこの山に◎印を付けてある所以はわからない。
と言っている。
というわけで、「八方 . . . 本文を読む
ところで、気になっていることがある。「経埋ムベキ山」について(概論3)で触れたことだが、そこで
『もし、この駒ヶ岳が「経埋ムベキ山」でいう駒ヶ岳でなければ、下根子桜から見える”西根山”の中に君臨している夏油三山(駒ヶ岳、経塚山、牛形山)・・・』
のように”西根山”と云う名詞を用いたのだが、この”西根山”についてである。
『イーハトーボ農学校の春』(宮沢賢治著、角川文庫)の中の『十月の末』に . . . 本文を読む
今回は、宮澤賢治の作品に登場する山について詳しい奥田 博氏の著書『宮澤賢治の山旅』(東京新聞出版局)おける「経埋ムベキ山」の同定について触れてみたい。
「毒ヶ森」については
毒ヶ森とは珍しい山名であるが、その名前が岩手県に集中しているのも面白い。南昌山系と花巻と和賀の境の毒ヶ森(九一九㍍)がある。ここで登場願うのは前者の山である。
と記してあり、南昌山の隣りに並んでいる方の毒ヶ森(782m) . . . 本文を読む
「経埋ムベキ山」に関しては
《Fig.2 復元版『雨ニモマケズ手帳』143~144p》(校本宮澤賢治全集 資料第五、筑摩書房)
のように、縦線で消した山が4座(松倉山、高倉山、草井山、臺山)、後で追加したのであろう山が3座(鬼越山、篠木峠、沼森)あるから、「経埋ムベキ山」の32座とは
旧天山、胡四王、観音山、飯豊森、物見崎、早池峯山、鶏頭山、権現堂山、種山、岩手山、駒ヶ岳、姫神山、六角牛山、 . . . 本文を読む
賢治が晩年に記したいわゆる『雨ニモマケズ手帳』に書かれている「経埋ムベキ山」についてまず触れたい。
『兄のトランク』(宮沢 清六著、ちくま文庫)において宮澤 清六氏は次のように述べている。
……あのトランクについての思い出は、最後に一番大切なことが残されている。実は私はそのことを長い間気付かなかったのであるが、あのトランクの蓋の後には、ポケットのような袋があったのである。私はそのポケットか . . . 本文を読む