宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

261 「日用取=ヒドリ」の新たな実証を

2011年01月25日 | Weblog
     <『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』(入沢康夫著、書肆山田)>

1.「新田開発の奨励」から言えることと言えないこと
 さて前回投稿したように、
 直ぐにお判りのように、森嘉兵衛の「新田開発の奨励」の方にはなくて和田氏の記したところの「南部藩資料」にあるのが、このタイトル「南部藩の「日用取」の指令」であり、さらにそのフリガナである。
だった。

 ついつい森嘉兵衛の著書を見る迄は、和田氏の『宮沢賢治のヒドリ』の71pを見て当然南部藩の資料(森嘉兵衛の著書)には
  ”「日用取」にフリガナが振ってありそれは「ヒドリ」である”
とばかり思っていた。
 ところが、実は森嘉兵衛の著書の資料の方には
  ”タイトル「南部藩の「日用取」の指令」も、「ヒドリ」というフリガナもともになかった”
のである。

 したがって、寛保4年(なんと遥か昔の1744年)のこの南部藩の資料を拠り所としたのでは、
  ”「日用取」が「ヒドリ」と呼ばれていたとも、「ヒドリ」は「日用取」と書かれていたとも共に言い切れない”
のではなかろうか(そもそも単純に考えれば、南部藩のこの資料の「日用取」は「ひようどり」と読むのが普通であり、「ひどり」と読むことはあまりないのではなかろうか)。
 せいぜい言えるのは、
  ”南部藩の資料の中に「日用取」という用語(公用語と言ってもいいだろう)があった”
ということ及び
  ”南部藩では「手間取」や「日手間取」のことを「日用取」という公用語で表していた”
ということあたりではなかろうか。

 というわけで、前回迄の段階では次の2点
 ・このような苦汁作業が「ヒドリ」と呼ばれていた。(?) ……①
 ・「ヒドリ」は南部藩では公用語として使われていて、「ヒドリ」は「日用取」と書かれていた。(?) ……②
からは疑問符”?”を取り去ってもいいかなと一旦は思いかけたていのだったが、それは今回のこのことで全く無理だということが分かった。

 逆に、森嘉兵衛の『南部百姓一揆の研究』のこの資料からでは①の保証も②のそれも何ら得られないから、ますます疑問は増してきた。
 よって、
 「ヒドリ」は「日用取」と書かれていた、とはいまのところ言えないはずである。
また、
 「手間取」、「日手間取」のことを「ヒドリ」と呼んでいた、ともいまのところ言えないはずでもある。

2.牽強付会の懼れ
 一方、和田氏は”「ヒドリ」は「日用取」と書かれた”ということをベースにしてこの著書『宮沢賢治のヒドリ』を論じているはずである。しかしこの南部藩の資料ではその保証は出来ないし、これ以外の実証を和田氏はこの著書では提示していない。
 とすれば、この森嘉兵衛の著書を引き合いに出して
  ”「ヒドリ」は「日用取」と書かれた”
と結論するとするならば、和田氏の折角の力作『宮沢賢治のヒドリ』は「ヒドリ」に関して牽強付会であるなどと誹られる懼れはないだろうかと、とても危惧している。
 森嘉兵衛の著書の当該資料にはタイトルの「南部藩の「日用取」の指令」も、「日用取」に「ヒドリ」というフリガナもともにないのに、恰もそれらがあったかのような誤解を受けかねない形で同著71pに載せることは如何なものでしょうか。

 このことに関しては入沢康夫氏も危惧しており、このブログの先頭に掲げたような『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』の巻末に
 こうして、「ヒドリとよばれる短期または臨時的就労機会は多く土木作業、荷物の出し入れの倉荷作業、そして農繁期に集中的なもので、肉体労働などの苦汁作業をさして用いてい」られるという断定の根拠が全く示されないまま、既知・周知のことであるかのごとくに、以下のページでは、この「ヒドリ」という言葉が一人歩きして行くのである。
☆ 「ヒドリは方言ではない」と言われる著者であるが、「ヒドリ=日傭稼ぎの方言」説の人々に対してと同様、「ヒドリ」という語そのものについての納得のいく実証的説明を要望したいものである。

     <『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』(入沢康夫著、書肆山田)より>
と「付記」で要望している。

 私も同じ様なことを感ずる。そこで、
 和田氏におかれましては「日用取」が「ヒドリ」と読まれていたということを新たな実証に基づいてお示しになされる必要はないのでしょうか。
と思い、併せて  
 山折氏は私などとは違って著名な宗教学者であり、その語るところは世間に大なる影響力があります。ですから、和田氏の主張を引き合いに出してそれを複数の出版物で活字にして公になされるのであるならば、和田氏の主張は正しく引用し、なおかつご自分でもある程度は検証なさる必要があるのではないでしょうか。
と私は思うのである。

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