成島の毘沙門と思われる『毘沙門』が詠み込まれている詩が
《1 「雨ニモマケズ手帳」の15~16p》(平成21年3月26日撮影)
<『復元版「雨ニモマケズ手帳」』(校本宮澤賢治全集 資料第五、筑摩書房)より>
にも現れる。
かなり推敲が重ねられていて判りにくいが、『校本宮沢賢治全集第六巻』(筑摩書房)によれば最終形態は
ロマンツェロ
あななつかしや なつかしや
こは毘沙門のおん矢なれ
天の功徳のそが故に
事とてならぬ年なくて
はや身は老ひし七十路の
すでにこゝろのたかぶりて
諸仏菩薩をあなづりて
悪道近きをあはれみまして
射て見たまひしおんかぶらやなり
とされているが、この手帳から大きな字を拾ってみるとこの初稿は
ロマンツェロ
あななつかしやなつかしや
こは毘沙門のおん矢なれ
わが身の乱をあはれみて
おんかぶらやを賜ひしか
であろうことが推定される。
そして、この詩の中の”かぶらや”に関連してだが、前回触れたようにここの三熊神社の案内板の中に”熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をした”とある。従って、少なくともこの詩に登場している『毘沙門』はここの成島の毘沙門である可能性が高いと思うからである。
なお、”鏑矢”に関しては、この三熊野神社にだけでなく近くの土沢にある『鏑八幡』にも同様な言い伝えがあるので、後ほど紹介したい。
では、成島の毘沙門天が祀られていた
《2 毘沙門堂》(平成21年3月26日撮影)
に向かおう。花巻市の公式HPの中の”花巻の観光情報”によれば
毘沙門天立像 兜跋(とばつ)毘沙門天立像(国指定重要文化財)は高さ4メートル73センチの、ケヤキ(欅)一本彫の成仏としては日本一のもの。その威厳ある姿は見る者を圧倒する迫力です。
平安時代に朝廷がこの地方に勢力を伸ばした時期に、北方の守護のために作られたものであると伝えられます。
地天女の両掌の上に支えられて立ち、左右に藍婆(尼藍婆)と毘藍婆の二鬼を従えて火焔を背に毅然と立つ姿は威圧感を与えます。
地天女のおだやかな表情と対照的に毘沙門天および左右の二鬼の形相はすさまじく、独特の雰囲気を醸す空間を形作っています。
近年までこの立像が納めてあった毘沙門堂(国指定重要文化財)は寄棟造でやや大型のお堂。柱も太く、室町時代の大らかな建築様式を残しています。
現在、兜跋毘沙門天立像はお堂から宝物庫へ昭和63年に遷座されております。
ということである。
《3 案内板》(平成21年3月26日撮影)
《4 毘沙門堂正面》(平成21年3月26日撮影)
《5 毘沙門堂額》(平成21年3月26日撮影)
では
《6 堂内》(平成21年3月26日撮影)
に入ってみよう。正面上方には
《7 額》(平成21年3月26日撮影)
が懸けてあるし、沢山の
《8 絵馬》(平成21年3月26日撮影)
《9 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《10 〃》(平成21年3月26日撮影)
《11 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《12 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《13 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《14 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《15 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《16 〃 》(平成21年3月26日撮影)
が掲げてある。それぞれのいわれを知りたいものだ。
では、この堂を出て、本尊の毘沙門天が安置されている宝物殿へ移ろう。この坂を登っていったところに
《17 宝物館》(平成21年3月26日撮影)
がある。
次の
”賢治と東和町(成島毘沙門天その3)”へ移る。
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《1 「雨ニモマケズ手帳」の15~16p》(平成21年3月26日撮影)
<『復元版「雨ニモマケズ手帳」』(校本宮澤賢治全集 資料第五、筑摩書房)より>
にも現れる。
かなり推敲が重ねられていて判りにくいが、『校本宮沢賢治全集第六巻』(筑摩書房)によれば最終形態は
ロマンツェロ
あななつかしや なつかしや
こは毘沙門のおん矢なれ
天の功徳のそが故に
事とてならぬ年なくて
はや身は老ひし七十路の
すでにこゝろのたかぶりて
諸仏菩薩をあなづりて
悪道近きをあはれみまして
射て見たまひしおんかぶらやなり
とされているが、この手帳から大きな字を拾ってみるとこの初稿は
ロマンツェロ
あななつかしやなつかしや
こは毘沙門のおん矢なれ
わが身の乱をあはれみて
おんかぶらやを賜ひしか
であろうことが推定される。
そして、この詩の中の”かぶらや”に関連してだが、前回触れたようにここの三熊神社の案内板の中に”熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をした”とある。従って、少なくともこの詩に登場している『毘沙門』はここの成島の毘沙門である可能性が高いと思うからである。
なお、”鏑矢”に関しては、この三熊野神社にだけでなく近くの土沢にある『鏑八幡』にも同様な言い伝えがあるので、後ほど紹介したい。
では、成島の毘沙門天が祀られていた
《2 毘沙門堂》(平成21年3月26日撮影)
に向かおう。花巻市の公式HPの中の”花巻の観光情報”によれば
毘沙門天立像 兜跋(とばつ)毘沙門天立像(国指定重要文化財)は高さ4メートル73センチの、ケヤキ(欅)一本彫の成仏としては日本一のもの。その威厳ある姿は見る者を圧倒する迫力です。
平安時代に朝廷がこの地方に勢力を伸ばした時期に、北方の守護のために作られたものであると伝えられます。
地天女の両掌の上に支えられて立ち、左右に藍婆(尼藍婆)と毘藍婆の二鬼を従えて火焔を背に毅然と立つ姿は威圧感を与えます。
地天女のおだやかな表情と対照的に毘沙門天および左右の二鬼の形相はすさまじく、独特の雰囲気を醸す空間を形作っています。
近年までこの立像が納めてあった毘沙門堂(国指定重要文化財)は寄棟造でやや大型のお堂。柱も太く、室町時代の大らかな建築様式を残しています。
現在、兜跋毘沙門天立像はお堂から宝物庫へ昭和63年に遷座されております。
ということである。
《3 案内板》(平成21年3月26日撮影)
《4 毘沙門堂正面》(平成21年3月26日撮影)
《5 毘沙門堂額》(平成21年3月26日撮影)
では
《6 堂内》(平成21年3月26日撮影)
に入ってみよう。正面上方には
《7 額》(平成21年3月26日撮影)
が懸けてあるし、沢山の
《8 絵馬》(平成21年3月26日撮影)
《9 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《10 〃》(平成21年3月26日撮影)
《11 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《12 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《13 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《14 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《15 〃 》(平成21年3月26日撮影)
《16 〃 》(平成21年3月26日撮影)
が掲げてある。それぞれのいわれを知りたいものだ。
では、この堂を出て、本尊の毘沙門天が安置されている宝物殿へ移ろう。この坂を登っていったところに
《17 宝物館》(平成21年3月26日撮影)
がある。
次の
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