宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

319 六原

2011年05月06日 | Weblog
     《0↑ 六原からの種山(物見山)遠望》(平成23年1月3日撮影)

 かつての軍馬補充部六原支部跡に昭和7年9月『六原青年道場』が施設された。当時この軍馬補充部や青年道場へ行くためには黒沢尻駅(現北上駅)で下車していたのだが、そこまでの道のりはかなりのものであった(おそらく8㎞はあると思う)。そこでその交通の便の悪さを解消するために昭和12年2月、東北本線のとある信号所を廃止して開駅したのが六原駅であったという。そこで今回、この周辺を少し彷徨ってみた。

《1 六原駅》(平成23年1月4日撮影)

 というわけで、昭和12年以降に六原青年道場へ行きたい多くの人々はこの駅で降り、4㎞強の道を徒歩で向かったという。

 六原駅を降りて西方向に向かうと奥州街道(現国道4号線)にぶつかるので、そこは右折して黒沢尻方向に進む。ほどなく国道左側に
《2 赤鳥居》(平成23年1月4日撮影)

という大きな鳥居が現れ、この鳥居をくぐって真っ直ぐに西上すればやがて青年道場にたどり着けた。
 なお、この鳥居は『二ツ森稲荷神社』のものであり、その神社とは”参上の一路”で触れた神社のことである。

 実際その道を辿ってみる。途中、東方向の山並を眺めてみればそこには北上高地が横たわっている。その中には
《3 種山(物見山)》(平成23年1月3日撮影)

も見出せる。
 なお、かつて宮澤賢治が遊んだこの種山には、当時は藤沢放牧地、上野放牧地、高坪放牧地、大文字放牧地、姥石放牧地、菜種沢放牧地、小牧沢放牧地、鷹巣放牧地などの放牧地があったが、この放牧地はいずれも陸軍省軍馬補充部六原支部の出張所であった。
《4 参照:種山の放牧地(六原支部種山出張所)》

          <『人と文学シリーズ宮澤賢治』(学研)より>
 この放牧地(六原支部種山出張所)には八〇〇頭以上の軍馬が放牧されていたというからおそらくこの道は、放牧するに当たっては種山ヶ原へ連れて行き、冬場はその放牧していた軍馬を六原支部へ連れて来た、大群の軍馬が往き来した道なのだろう…かな?

 さて、そのまま視線を北の方向に移すと
《5 早池峰》(平成23年1月3日撮影)

も見える。
 一方、振り返って西の山並を見てみると
《6 西根山(奥羽山脈)》(平成23年1月3日撮影)

が見える。なお、右手に見えるスキー場は夏油高原スキー場である。
 この時期山肌を真白に粧うっているのは
《7 牛形山の一連なり》(平成23年1月3日撮影)

である。
 さらにこの山並に沿って視線を南方向に移すと
《8 駒ヶ岳や経塚山》(平成23年1月3日撮影)

などが鎮座ましまし、その奥に白い山容の焼石の峰々が眺められる。

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