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56 (29) 蝶ヶ森山

 今回は「経埋ムベキ山」蝶ヶ森山について報告する。

 まずはこの山のイメージである。仙北町側から見た
《1 蝶ヶ森の全景》(平成20年11月8日撮影)

である。写真中央やや右寄りの低い方の山がそれである。なお、左手に見える高い方の山は鑪山(たたらやま。賢治が盛岡中学1年の時に遠足で登った)である。また写真に見える橋は南大橋である。

 さて、花巻から国道4号線を盛岡に向かう。仙北町を過ぎて北上川を越える。この北上川に懸かる橋は南大橋という。
 北上川を渡ると直ぐに十字路交差点があり、そこを渡りきって振り返って見た
《2 交差点と南大橋》(平成20年11月8日撮影)

この交差点からは
《3 国道396号線》(平成20年11月8日撮影)

を南下する。
《4 左前方に直ぐそこに見える山が蝶ヶ森山》(平成20年11月8日撮影)

 交差点から約1㎞のところに
《5 クロネコヤマト》(平成20年11月8日撮影)

があるので、次の交差点で左折し
《6 蝶ヶ森山》(平成20年11月8日撮影)

を見て
《7 東安庭郵便局》(平成20年11月8日撮影)

の前を真っ直ぐ進み、
《8 岩手大学付属特別支援学校》(平成20年11月8日撮影)

の青い標識のあるところで右折すると
《9 蕎麦工房あべ》(平成20年11月8日撮影)

があるので
《10 真っ直ぐ進む》(平成20年11月8日撮影)

とT字路に突き当たる。そこは左折し
《11 この道を真っ直ぐ進む》(平成20年11月8日撮影)

とほどなく
《12 カーブ・ミラーが2つある》(平成20年11月8日撮影)

ので2つ目の
《13 丸いカーブ・ミラー》(平成20年11月8日撮影)

のところで右折すると道の右手に
《14 馬頭観音の石塔》(平成20年11月8日撮影)

がある。そこを登って行くとやはり右手に
《15 貯水池》(平成20年11月8日撮影)

がある。
《16 この辺りは緩やかな上り坂》(平成20年11月8日撮影)

になっており
《17 Y字路》(平成20年11月8日撮影)

にぶつかったならば右側の道を進む。
《18 次のT字路》(平成20年11月8日撮影)

も右側の道を進む。
《19 その道には柿の木がある》(平成20年11月8日撮影)

《20 さらにT字路》(平成20年11月8日撮影)

があるがここも右側を選ぶ。坂道は次第に傾斜を増し道の周りは一面の
《21 りんご畑》(平成20年11月8日撮影)

が広がり
《22 岩手山も望める》(平成20年11月8日撮影)


《23 美しい色映えのノブドウ》(平成20年11月8日撮影)

もあった。
《24 ここを登りつめればまたT字路》(平成20年11月8日撮影)

 T字路を左に行けば
《25 墓地のある山》(平成20年11月8日撮影)

となるが、蝶ヶ森山行くのだからもちろん右折する。
《26 展望台への標識》(平成20年11月8日撮影)

に従って坂道を登ると、
《27 マムシグサ》(平成20年5月16日撮影)


《28 センボンヤリの穂》(平成20年11月8日撮影)

がある。
《29 坂道》(平成20年11月8日撮影)

《30 紅葉》(平成20年11月8日撮影)

《31 ミツバウツギ》(平成20年5月16日撮影)

そして
《32 ユキザサ》(平成20年5月16日撮影)

に会える。そして、あっという間
《33 頂上間近》(平成20年11月8日撮影)

そして頂上。桜の木の根元に
《34 三角点あり》(平成20年5月16日撮影)

が見つかるだろう。ここにもあった
《35 トライアングルのプレート》(平成20年12月16日撮影)

《36 頂上展望台》(平成20年11月8日撮影)

《37 頂上はあまり展望は効かない》(平成20年11月8日撮影)


《38 岩手山方向の眺望》(平成20年11月8日撮影)

《39 岩手山》(平成20年12月16日撮影)

《40 〃 》(平成20年12月16日撮影)

は可能である。
 頂上付近の山野草は
《41 タチアザミ?》(平成20年11月8日撮影)

《42 〃 》(平成20年11月8日撮影)

《43 何アザミ?》(平成20年11月8日撮影)

《44 〃 》(平成20年11月8日撮影)

《45 コウゾリナ》(平成20年11月8日撮影)

《46 ヒメジョオン》(平成20年11月8日撮影)

《47 ナギナタコウジュの果実》(平成20年11月8日撮影)

 なお、頂上には手入れの行き届いた
《48 花壇》(平成20年5月16日撮影)

もある。
 先程のT字路からの
《49 東根山や南昌山の夕焼け》(平成20年12月16日撮影)


 さて、「経埋ムベキ山」としての蝶ヶ森山(224.9m)であるが、何処にあるのかはまだ私は掴んでいないが実はこの山には経塚があるとのこと。
 そういわれてみるとこの山の名前「蝶ヶ森」は「ちょうがもり」だから、「経ヶ森(きょうがもり)」が訛ったものとも考えられる。
 おそらく、博覧強記の賢治はこの蝶ヶ森山には経塚があることを知っていたので「経埋ムベキ山」に是非入れたかった。また、「岩山」はしばしば鉱物採集に行った山だから「経埋ムベキ山」に入れたかったとしたならば、この蝶ヶ森山も入れたくなったのではなかろうか。
 それは、「経埋ムベキ山」の最初に書かれた3つの”旧天山、胡四王山、観音山”は花巻の下根子桜から見て指呼の距離にある鼎立する三山である。もし、中学と高等農林時代を過ごした盛岡で同じような事を賢治が考えたとすれば、盛岡市街から見て指呼の距離にある鼎立する第3の山としては愛宕山ということになるからである。
 つまり、盛岡の中心街から見て指呼の距離にある鼎立する三山として”岩山、愛宕山、蝶ヶ森山”をセットで「経埋ムベキ山」としたと考えてはどうだろうか。だから、賢治は『雨ニモマケズ手帳』の143pの1行にひとまとでこの3っつの山を書いたのではなかろうか。

 なお、蝶ヶ森山は賢治の作品には残念ながら登場していないようだ。

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