宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

211 鞍掛山(その1) 

2010年01月24日 | Weblog
 5月8日、鞍掛山に出掛けた。聖五月、好天に恵まれて麗しい山行であった。

 先ずは小岩井農場を経由して相の沢キャンプ場を目指す。
 そこの駐車場脇には、賢治の詩碑があるのでまずのそ写真から
《1 『くらかけの山』の詩碑》(平成21年5月8日撮影)

      くらかけの雪
   たよりになるのは
   くらかけつづきの雪ばかり
   野はらもはやしも
   ぽしやぽしやしたり黝んだりして
   すこしもあてにならないので
   まことにあんな酵母のふうの
   朧ろなふぶきではありますが
   ほのかなのぞみを送るのは
   くらかけ山の雪ばかりです
    (ひとつの古風な信仰です)
       ―誌集 春と修羅より―

と刻まれている。もちろん、『春と修羅』の2番目に出てくるあの詩である。なお、同じような題の賢治の詩があるがそれは後ほど。

 さて、駐車場付近から
《2 鞍掛山方向》(平成21年5月8日撮影)

を眺めてみよう。
《3 鞍掛山の裾野が相の沢牧野》(平成21年5月8日撮影)

《4 鞍掛山登山道案内》(平成21年5月8日撮影)

西側コースを登る。
 なお、登山口には最近出来たと思われる
《5 たきざわ自然情報センター》(平成21年5月8日撮影)

があり、訪ねれば職員はいろいろと親切に教えてくれる。
 さて上り始めると
《6 タチツボスミレ》(平成21年5月8日撮影)

《7 オオタチツボスミレ》(平成21年5月8日撮影)

《8 ミヤマスミレ》(平成21年5月8日撮影)

《9 フイリミヤマスミレ》(平成21年5月8日撮影)

があるし、沢山の
《10 シロバナエンレイソウ》(平成21年5月8日撮影)

が咲いている。どちらかというと
《11 エンレイソウ》(平成21年5月8日撮影)

よりもその個体数が多そうだ。
 もちろん、
《12 キクザキイチゲ》(平成21年5月8日撮影)

もあちこちに咲いている。
 気をつけると
《13 シュンラン》(平成21年5月8日撮影)

も咲いている。
 ただし、
《14 イカリソウ》(平成21年5月8日撮影)

はまだ花が開いていないし
《15 マイヅルソウ》(平成21年5月8日撮影)


《16 ツクバネソウ》(平成21年5月8日撮影)

はまだ蕾である。
 そして、カラマツの林が現れ
《17 若芽が幹から芽吹いていた》(平成21年5月8日撮影)

 賢治が『小岩井農場 パート三』で
  からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
と詠んだネクタイピンのイメージはこんなものだったのだろうか。
《18 若緑のカラマツ林》(平成21年5月8日撮影)

 鞍掛山のカラマツの若葉が清々しい。そのカラマツの木々の間から岩手山が垣間見られる。
《19 カラマツの向こうに岩手山》(平成21年5月8日撮影)

《20 〃 》(平成21年5月8日撮影)

 賢治は落葉松が大好きで、作品に良く登場させているようだ。例えば、1922/05/21に詠んだであろ詩『小岩井農場 パート九』の最後にラリックスという名で次のように詠み込まれている。
     ・・・(略)・・・
   もうけっしてさびしくはない
   なんべんさびしくないと云ったとこで
   またさびしくなるのはきまってゐる
   けれどもここはこれでいいのだ
   すべてさびしさと悲傷とを焚いて
   ひとは透明な軋道をすすむ
   ラリックス ラリックス いよいよ青く
   雲はますます縮れてひかり
   わたくしはかっきりみちをまがる

   <『校本 宮沢賢治全集 第二巻』(筑摩書房)より>

 ところで、このブログの最初に賢治のよく知られた詩『くらかけの雪』を挙げたが、もう一つの同じような題の詩とは
《『雨ニモマケズ手帳』の79~80p》

  <『復元版 宮澤賢治手帳』(校本宮澤賢治全集 資料篇、筑摩書房)より>
に書かれた詩
   くらかけ山の雪
   友一人なく 
   たゞわがほのかにうちのぞみ
   かすかなのぞみを托するものは
   麻を着
   けらをまとひ
   汗にまみれた村人たちや
   全くも見知らぬ人の
   その人たちに
   たまゆらひらめく

のことである。
 なお、『校本 宮沢賢治全集 第六巻』(筑摩書房)等によれば、この詩については
   〔くらかけ山の雪〕
   くらかけ山の雪
   友一人なく
   たゞわがほのかにうちのぞみ
   かすかなのぞみを托するものは
   麻を着
   けらをまとひ
   汗にまみれた村人たちや
   全くも見知らぬ人の
   その人たちに
   たまゆらひらめく

となっているから、もちろん仮題が〔くらかけ山の雪〕ということになる。
 しかし、賢治は『雨ニモマケズ手帳』の中のこの詩の題を
  『くらかけ山の雪』
としたという可能性も私はあると思う。なぜなら、賢治は
 最初に
   同志一人もなく
と書き、そのすぐ右の行に
   友一人もなく
と手入れをしているから、初めはこの行は空欄だったと思うからである。つまりこのページは最初
   くらかけ山の雪

   友一人なく 
   たゞわがほのかにうちのぞみ
    ・・・・・・・・・・・・

のようになっていたと思うからである。

 なお、賢治が昭和6年の病臥中に”春と修羅”に収めた詩『くらかけの雪』を改作をしようとして推敲していたのがこのページの詩なのだろうが、同じ”くらかけ”の詩とはいえ、春と修羅の中の詩を詠んでいるときの心情と雨ニモマケズ手帳の中の詩のそれを忖度すると、それらの余りもの落差が気になる。前者は大正11年(1922年)に、後者は昭和6年(1931年)に作られたものとなると思うから、もしかすると『鞍掛山』に対する賢治の認識は、約10年を経て様変わりしてしまっていたのかも知れない。

《21 オオバクロモジ》(平成21年5月8日撮影)

《22 ムシカリ》(平成21年5月8日撮影)

《23 アケボノスミレ》(平成21年5月8日撮影)

《24 高台展望台到着》(平成21年5月8日撮影)

 眺望すこぶる良し。
《25 姫神山》(平成21年5月8日撮影)

《26 早池峰山》(平成21年5月8日撮影)

《27 鞍掛頂上》(平成21年5月8日撮影)

 途中登山路左手にあった
《28 石窯》(平成21年5月8日撮影)

説明があったなら嬉しいのだが。
 やがて路は下りとなって、沢を渡るのだがそこの
《29 スミレサイシン》(平成21年5月8日撮影)

《30 〃 》(平成21年5月8日撮影)

 沢を渡って路は再び上りとなる。
《13 ぶなの若葉がまぶしい》(平成21年5月8日撮影)


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