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505 「賢治の昭和3年の病気」 (#2)

《創られた賢治から愛される賢治に》(承前)病気であるということにした可能性  さて、  たいした発熱があるというわけではありませんでしたが、両側の肺浸潤という診断で病臥する身となりました。……③についてだが、この文章は意味深長であり、これを注意深くを読み直してみるとあることが思い浮かんでくる。  まずは、なぜ佐藤隆房は   両側の肺浸潤という診断で病臥する身となりました。 という言い回しをしている . . . 本文を読む
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504 「賢治の昭和3年の病気」 (#1)

《創られた賢治から愛すべき賢治に》 さて、ここからは「賢治の昭和3年の病気」に関する記述のある著作等の幾つかを少し調べていきたい。 「八七 發病」より  まず今回は、佐藤隆房著『宮澤賢治』(昭和17年9月8日発行)の中の「八七 發病」を見てみたい。それは以下のような内容である。      八七 發病  賢治さんは…(略)…昭和三年の夏の或る日、腹の空いてゐるところへひどい夕立に降り込められ、へとへ . . . 本文を読む
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503 しばらくぼんやりして居りました

《創られた賢治から愛すべき賢治に》何時詠んだのか「澱った光の澱の底」  以前〝帰花直後の賢治〟におい一度触れたことだが、賢治は「澱った光の澱の底」というタイトルの詩を昭和3年6月下旬に詠んだ、と「新校本年譜」は推定しているようだ。  一般には6月24日に賢治は帰花したと言われているようだから、帰花した途端に「伊豆大島行」を含めた3週間程の不在を悔いて、即    さああしたからわたくしは    あ . . . 本文を読む
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『賢治昭和三年の実家蟄居』の「目次」

《創られた賢治から愛すべき賢治に》『賢治昭和三年の実家蟄居』の「目次」はじめに 461 「演習」とは何か 462 「陸軍大演習」のことではなかろうか 463 八重樫賢師という人物 464 すさまじい「アカ狩り」旋風 賢治と労農党 465 川村尚三と交換授業 466 賢治は労農党のシンパ 467 『宮沢賢治 修羅に生きる』より 468 賢治は「啄木会」の会員 469 賢治は「牧民会」にも出入り 47 . . . 本文を読む
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502 昭和3年7月特高新設

《創られた賢治から愛すべき賢治に》岩手の特高設置について  特高(特別高等警察)は昭和3年の7月に新設されたということだが、岩手の場合にはその設置の狙いは陸軍特別大演習と密接につながっていたのではなかろうか。  そこで当時の『岩手日報』のマイクロフィルムを見てみたところ、岩手県における当時の徹底した取り締まりや弾圧等に関する報道は『岩手日報』紙上では見ることが出来なかったが、関連する以下のような幾 . . . 本文を読む
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501 伊藤からの聴取は昭和2年6月(承前)

《創られた賢治から愛すべき賢治に》伊藤光弥氏の場合の見方  この事情聴取の時期については、伊藤光弥氏も同じく昭和2年の6月であると次のように論じている。  賢治は昭和二年六月に警察から出頭を命じられたことがある。花巻温泉遊園地に勤務する冨手一の回想(「南斜花壇」)に、「少し経って宮沢先生を巡査がつれて行ったと知らせた人があり、あわてて駐在所へかけつけました」とあることや、童話作品「ポラーノの広場」 . . . 本文を読む
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500 伊藤からの聴取は昭和2年6月 

《創られた賢治から愛すべき賢治に》 私がなぜ「同年6月」であると思ったのかというと、それはまず次のような菊池忠二氏の記述があることを知ったからである 『私の賢治散歩(下)』より  菊池忠二氏によれば  じっさい宮澤賢治は、社会主義教育を行っているとの風評もあった、昭和二年春頃(三月か)、花巻警察署刑事の事情聴取を受けたと言われている(『校本全集』一四巻「年譜」)。しかし上記教え子小原忠氏によれば、 . . . 本文を読む
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499 伊藤儀一郎からの事情聴取

《創られた賢治より愛すべき賢治に》伊藤儀一郎の花巻勤務の期間  なぜならば、次のようなことが『阿部晁日記』に記載されていることに気付いたからである。 【大正十五年】 ◎一〇月三日 [往来・往] 前署長菅沢松三郎/新署長伊藤儀一郎両氏歓送迎会 【昭和二年】 ◎六月二四日 [往来・往] 伊藤小川両警察署長歓送迎会 公会堂                ということは、 ・大正15年10月初めに花巻警察署 . . . 本文を読む
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498 事情聴取されていた賢治

《創られた賢治から愛すべき賢治に》 さて、名須川溢雄が「賢治と無産運動」等に関して公にする以前にこのことを公にした人達は殆どいなかったようだし、まして賢治が当時警察から事情聴取を受けていたということを公に詳らかにしていた人はなかったようだが、もしかすると、その噂だけは早い時点から拡がっていたのかもしれない。 伊藤儀一郎からの事情聴取  次のようなインタビュー記事が『國文學 53年2月号』に載ってい . . . 本文を読む
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497 警察から事情聴取の懼れ

《創られた賢治から愛すべき賢治に》 さて、ここまでの考察によって    下根子桜時代の宮澤賢治は労農党の少なくともシンパ以上の存在だった。 というのが現時点での私の結論となった。となれば危惧されることが、賢治は警察から事情聴取されたりしなかったかということである。 賢治周縁の人達の当時の動向   というのは、名須川の論文「宮沢賢治とその時代」によれば、  昭和三年秋の陸軍大演習とその時の天皇行幸こ . . . 本文を読む
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