宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

157 小岩井農場(その3)

2009年06月10日 | Weblog
 この度、小岩井農場の古い絵葉書を何枚か入手できた。”小岩井農場(その1)”や”〃(その2)”で小岩井農場の昔を偲んでみたが建物以外あまり昔の面影を感じられない。そこで、今回はそれらの絵葉書を紹介して往時を偲んでみたい。

《1 絵葉書の外包み》

1号&2号サイロが描かれているから、少なくとも明治41年以降に発行された絵葉書であろう。なお、発行元は東京の”株式会社光村原色印刷所”である。
 中には以下のような7葉の色刷り絵葉書が入っていた。
《2 往時の桜並木》

この右側の道路は網張街道だろうか。それとも、杉並木の方がそうなのだろうか。
《3 羊の放牧場》

この一帯はいまのまきば園の辺りだろうか。
 
《4 当時は農作業は馬力に頼ったようだ》

いずれも3頭建ての馬車で作業している。
《5 資料刈り取り作業》

キルギス式の広い畑に植えられた玉蜀黍の刈り入れ作業風景なのだろうか。こちらは2頭建ての馬車で作業している。
 次は、馬と牛の写真で
《6 優秀な種牡馬なのだろう》

《7 こちらは優秀な種牝牛?》

背景に見えるポプラの木はいまも健在なのだろうか。
《8 〃 》

右奥に見えるのは鞍掛山のようだ。
《9 これらの色刷り絵葉書の裏面》

”郵便はがき”が右書きであること以外は特に言うべきほどの事はなし。 

 次の3葉はモノクロ刷りの絵葉書である。いずれも、上の色刷り絵葉書よりは発行年は古そうだ。
《10 『乾草運搬ノ状況』》

これと同じような写真が小岩井農場の資料館に掲示されている。それは『耕耘部の作業風景』の中の写真3葉のうちの真ん中の写真である。
《11 『エーアシャー種牝牛放牧』》

奥に上丸牛舎らしきものあり。なお、前掲の写真《7》と《8》の牛はホルスタインのようだから、当初はエーアシャーが導入されてその後ホルスタインに変更になったということか。
《12 『緬羊放牧』》

《13 このモノクロ絵葉書の裏面》

一方、こちらの”郵便はがき”は左書きだから、やはり色刷り絵葉書よりは年代物のようだ。ところが、年代は古そうなのに『POST CARD』と印刷されていることと、さらにそれだけでなくて『POSTKARTE』とドイツ語でも印刷されているところが興味深い。

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