宮澤賢治の主治医でもあった佐藤隆房の著書『宮澤賢治』(冨山房刊)が興味深い。
《1 『宮澤賢治』(冨山房刊)の表紙》
《2 〃 巻末》
である。幾つかの版があるようだが、これは昭和17年9月8日発行版のものである。
再び最初の方に戻ってみる。
《3 前の見返し》
には『日輪と山』の絵が載せてある。
《4 次のページを開くと》
題簽 高村光太郎
とあるから、表紙の題字は佐藤隆房と親交のあった高村光太郎の自筆だということなのだろう。
そして、この本の最後の方に
《5 宮沢賢治年譜》
が付いており、それは宮澤清六編となっている。興味深いと最初に述べたのは、この年譜には昭和8~17年の分も記載されているからである。
続きの
”宮澤賢治の年譜について(その2)”へ移る。
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《1 『宮澤賢治』(冨山房刊)の表紙》
《2 〃 巻末》
である。幾つかの版があるようだが、これは昭和17年9月8日発行版のものである。
再び最初の方に戻ってみる。
《3 前の見返し》
には『日輪と山』の絵が載せてある。
《4 次のページを開くと》
題簽 高村光太郎
とあるから、表紙の題字は佐藤隆房と親交のあった高村光太郎の自筆だということなのだろう。
そして、この本の最後の方に
《5 宮沢賢治年譜》
が付いており、それは宮澤清六編となっている。興味深いと最初に述べたのは、この年譜には昭和8~17年の分も記載されているからである。
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