宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

156 小岩井農場(その2)

2009年06月07日 | Weblog
 では、小岩井農場の技術研究センターの方へ行ってみよう。
 舗装道路をしばらく行くと 
《1 右手に砂利道があるのでそちらへ進む》(平成21年5月19日撮影)

小岩井農場には木造の建築物が多いし、それも現役で活躍しているようだ。この建物は何の建物なのだろうか。
《2 これは牛舎かな》(平成21年5月19日撮影)

《3 環境品質部》(平成21年5月19日撮影)

《4 酪農部》(平成21年5月19日撮影)

《5 山林部・環境緑化部》(平成21年5月19日撮影)

 そして木々の間に
《6 四階倉庫》(平成21年5月19日撮影)

が見えた。
《7 四階倉庫》(平成21年5月19日撮影)

《8 〃の入り口》(平成21年5月19日撮影)

《9 この倉庫は国登録有形文化財》(平成21年5月19日撮影)

 建築年代は1916(大正5)年で、用途は穀物類乾燥庫であったという木造四階建ての洋風建築で、内部にはエレベーターがある。花見・月見の宴や物見櫓としても活躍した農場の象徴的建物です。
などと云うことが説明してある。 
《10 四階倉庫》(平成21年5月19日撮影)

《11 〃 》(平成21年5月19日撮影)

《12 〃 》(平成21年5月19日撮影)

それこそ、『小岩井農場 パート一』に
   新開地風の飲食店
   ガラス障子はありふれてでこぼこ

という一節があるが、この倉庫の窓ガラスがまさしくでこぼこである。
《13 軒下にはこんなもの》(平成21年5月19日撮影)


《14 鉄製のこんなもの》(平成21年5月19日撮影)

が置かれている。馬橇であった。
 『小岩井農場 パート四』の中に
   耕耘部へはここから行くのがちかい
   ふゆのあひだだつて雪がかたまり
   馬橇も通つていつたほどだ
    (ゆきがかたくはなかつたやうだ
     なぜならそりはゆきをあげた
     たしかに酵母のちんでんを
     冴えた気流に吹きあげた)
   あのときはきらきらする雪の移動のなかを
   ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
   往つたりきたりなんべんしたかわからない

    <『校本 宮沢賢治全集 第二巻』(筑摩書房)より>
という一節があるが、その当時にも使われていたものであろうか。

 その他にはこんな
《15 四階倉庫付近の建物》(平成21年5月19日撮影)

《16 〃》(平成21年5月19日撮影)

がある。そこからは
《17 酪農部入口》(平成21年5月19日撮影)

が直ぐである。そして、この道は県道219号線である。
 なお、これから県道219号線を北上して上丸牛舎に向かうのだが、途中左手にある
《18 天然冷蔵庫》(平成21年5月19日撮影)

《19 〃 》(平成21年5月19日撮影)

これも国登録の有形文化財とのことである。

 そもそも、小岩井農場は明治24(1891)小野、岩崎、井上の3氏により創業された。そこで、その3氏の頭文字をつなげて「小岩井農場」と名付けられたのだという。爾来百二十年弱、小岩井農場は日本の酪農の歴史と共に歩んできた。
 そこで、小岩井の酪農発祥地である上丸牛舎を訪ねてみよう。この上丸牛舎は歴史ある牛舎やレンガサイロが創業時の面影を強く伝えているだけでなく、現役の牛舎としても営み続けられているという。 

 その牛舎は県道219号線を挟んで『まきば園』の真向かいにある。
《20 上丸牛舎入口》(平成21年5月19日撮影)

この入口の左手に
《21 上丸牛舎案内板》(平成21年5月19日撮影)

があるので、大まかなイメージが掴める。
 そのまま真っ直ぐ進むと
《22 サイロの向こうに借景の岩手山》(平成21年5月19日撮影)

《23 左手には牧野》(平成21年5月19日撮影)

があり、ホルスタインが寛いでいる。
 牧柵の向こうの大木は
《24 コナラ》(平成21年5月19日撮影)

で、暑さに弱い牛達を夏の日ざしから保護し小岩井の歴史とともに育ってきたという。
 上丸牛舎には、6棟の国登録有形文化財がありその中の4つは牛舎であり、それぞれ
《25 一号牛舎》(平成21年5月19日撮影)

は昭和9年建設の搾乳用の牛舎
《26 二号牛舎》(平成21年5月19日撮影)

は明治41年建設の分娩用の牛舎
《27 三号牛舎》(平成21年5月19日撮影)

は昭和10年建設の子牛用の牛舎
《28 四号牛舎》(平成21年5月19日撮影)

は明治41年建設の搾乳用の牛舎であるという。
 そしてこれらの2つのサイロである。
《29 一号サイロと二号サイロ》(平成21年5月19日撮影)

向かって右が一号サイロで明治40年の、そして左が明治41年建設の二号サイロである。
 その他には
《30 資料館》(平成21年5月19日撮影)


《31 こんな建物》(平成21年5月19日撮影)

そして
《32 こんな建物も》(平成21年5月19日撮影)

もあった。この
《33 煉瓦造りの構造物》(平成21年5月19日撮影)

は何んだったのだろうか。
 さらに奥に進むと
《34 牧草の格納倉》(平成21年5月19日撮影)

などがあり、その裏手に
《35 賢治の詩碑》(平成21年5月19日撮影)

《36 〃 》(平成21年5月19日撮影)

が建っている。その
《37 碑文は》(平成21年5月19日撮影)

   すみやかなすみやかな万法流転のなかに
   小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が
   いかにも確かに継起するといふことが
   どんなに新鮮な奇蹟だらう

というものである。詩碑の左隣にはこの詩碑についての
《38 案内板》(平成21年5月19日撮影)

があり、
「小岩井農場」(パート一)から撰んだものです
などと云うことが説明してある。

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