宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

203 いわば岩手駒ヶ岳(その2)

2009年10月22日 | Weblog
 ”いわば岩手駒ヶ岳”の続きである。  では、下賽の河原を後にして 《1 平坦な山道》(平成21年10月12日撮影) を進む。あるガイドブックにこのあたりに五葉松があると書いてあったが 《2 これがその五葉松?》(平成21年10月12日撮影) なのだろうかと思い出しながら 《3 相変わらず平坦な山道》(平成21年10月12日撮影) を進んでいるうちに 《4 上賽の河原に到着》(平成21年1 . . . 本文を読む

202 いわば岩手駒ヶ岳(その1)

2009年10月20日 | Weblog
 以前から、『経埋ムベキ山』の”駒ヶ岳”とはほぼ秋田駒ヶ岳だと私も思っているのだが、金ヶ崎にあるいわゆる夏油三山のうちの一つの山である駒ヶ岳もその候補として捨てるには忍びないと思っている。と思いつつもつい怠慢で、この駒ヶ岳の報告は未だであったので去る10月12日に出掛けてみた。  ところで、この駒ヶ岳には固有名詞がないのでその表現は長ったらしくなってしまう。例えば、夏油三山のうちの一つである駒ヶ . . . 本文を読む

201 『観音山』はたして観音山?

2009年10月18日 | Weblog
 いままでは、つい安易に「経埋ムベキ山」の『観音山』とは「高松観音堂のあるあの山」のことだとばかり思ってきた。しかし、「円万寺観音山」は『観音山』と呼ばれていることが分かったから件の『観音山』のライバル出現である。  こうなると、「高松観音堂のあるあの山」がはたして地元の人たちから『観音山』と呼ばれてきたかどうかを早急に検証する必要が生じてきた。  なぜなら、以前報告した”観音山”で見る限り、「高 . . . 本文を読む

200 円万寺観音山は『観音山』と呼ばれている

2009年10月17日 | Weblog
 以前は、「経埋ムベキ山」のうちの一つ”種山”は花巻から見えないだろうと決めつけていた。しかし待てよ、もしかすると円万寺観音山からならば種山が望めるのではなかろうかと思い付き、そこを訪れてみた。  まずは麓から望んだ 《1 円万寺観音山》(平成21年10月14日撮影) である。樹間に見えるのが円万寺であり、地肌部分に九九段の階(きざわし)が見える。  たまたまこの写真を撮っていた麓で出会ったお . . . 本文を読む

199 戦争協力に関して

2009年10月08日 | Weblog
      以前、”『土に叫ぶ』出版後の甚次郎”の「生き急いだ松田甚次郎」で  ところで、松田甚次郎に対しては国策におもねた等の批判があるようだが、そのことについては今後関心を持って調べてみたい。 と述べた。なぜならば『「賢治の精神」の実践』(安藤玉治著、農文協)には   「時流にのり、国策におもねた」とか、「戦争協力者となった松田の存在が、人々の脳裡から痛みをともなって消えてゆく」という評価が . . . 本文を読む

198 盛岡測候所

2009年10月03日 | Weblog
      『賢治と盛岡』という著書の 「三十五、縄文の風 賢治と測候所」の中に次のような部分がある。  その山頂に盛岡測候所(現 盛岡地方気象台)ができたのは、関東大震災の当日、大正十二年九月一日で、初代所長の福井規矩三(一八七一~一九五〇)のエッセイ「測候所と宮澤君」によれば、そのころ花巻で農学校に勤務していた賢治が翌年七月末頃から測候所に姿を見せるようになったという。  私は、山岸 . . . 本文を読む