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『失楽園』ジョン・ミルトン著

2023年06月08日 | 読書雑感
「善を為すのも為さないのもわたしの自由であり、必然も偶然も、わたしに手を触れることはできぬ。わたしがわが意志と示すものこそ、運命なのだ」(第七章)

「最初わたしが人間を創造った時、彼に幸福と不死という二つの佳き賜物を与えておいたのだが、その幸福がむなしく失われてしまった。そうなれば、残ったもう一方の賜物である不死も、人間の苦悩をただ永遠ならしめるのに役立つにすぎなくなり。わたしが『死』をあてがってやるまでは、その苦悩は続こう。そうだとすれば『死』は人間の最後の救いの道ということになろう。人間が苛烈な苦難の試練を経、信仰と信仰の業によって浄められてこの世の生を終えたのち、正しきものの復活の機会が来るに及んで眠っているその人間を呼び醒まし、再び新しくなった天と地とともに、第二の生命へと甦らせるもの、それが『死』だ。」(第十一章)

「その死という傷を癒やすことのできる方こそ、お前の救主として来り給う方だ、それもサタンその者を滅ぼすことによってではなく、お前とお前の子孫のうちに働くサタンの業を亡ぼすことによって癒やし給うのだ。そしてこのことは、死の刑罰を条件として課せられた、神の律法への服従という、お前にはできなかった務めを救主がてゃたされることによって、また、お前の罪過と、そしてそれから生ずるお前の子孫の罪過とに当然課せられなければならぬ刑罰としての市の苦難を、自ら負われることによってのみ可能なのだ。(中略)主の市は人間のための、ーそうだ、贈られた永遠の生命に感謝し、その恵みを善き業を伴う信仰によって受け入れるすべての人々のための、死だ。この神々しい行為が、罪に沈淪して生命から永久に見放されたお前の宿命を、お前の当然死ぬべかりし死を、抹消する。この行為がサタンの頭を砕き、その力を粉砕し、その両腕として猛威を揮っていた『罪』と『死』を亡ぼし、この両者のもっていた針を彼の頭に深く差し込む。死は眠りに似ている。死は永遠不朽の生命への静かな移行に他ならない。」(第十二章)
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