「恐れない技術」 桜井章一・著、ソフトバンク文庫、2012年3月25日
p.5 私がこれまでさまざまなことを恐れなかったのは、「恐怖」をまったく感じなかったというより、心の柔らかさがつねに保たれ、そのおかげで「こんなこと、大したことではない」とその状況を楽しめたからだと思う。
p.7 一体、どこが安泰で、どこが成功なのだろうか? そんな現代を、君たちはどう生きていけばいいのだろう? 答えは簡単だ。君は堂々たる自分の人生を歩めばいい。何事にも惑わされず、自分らしい生き方を貫くだけだ。
p.32 学校や会社、その他あらゆる組織が「規則」や「制度」でいつの間にか人間の行動を柴っていまったのだ。
p.37 会社の「社則」、「従業員規則」というのもどうなのだろうか。これもまた、社員という「群れ」をつくり、「制度」や「規則」で一律に管理すれば、経営がやりやすいという単なる経営者側の理屈に他ならないのではないだろうか。
p.58 君も一度でいい、平穏無事な時に「不調こそ、わが人生」と思ってみるのだ。そうすれば、どんな時だって平然としていられるものである。
p.69 確実に言えることは、君が物ごとを損得で考えるのではなく、一銭の得にならなくとも、自然に身体が動くようになるのであれば、君という器は大きくなり、君の心は必ず強くなるだろう。
p.74 私にとっての「裏切り」とは、自然が季節によって変化を見せるように、時と場合によって、人が「考えを変えること」というように捉え方が変わっていったのだ。
p.89 得たものは、必ず失う。それは、生きている者がいつか必ず死ぬのと同じことでもある。
p.94-5 何かに不安にならないようになるためには、まず、そうした自然に存在する不平等を素直に認めることが大事なことだと私は思う。
「自分に悪いことが一つ起こったら、どこかの誰かに一ついいことが起こっていると思うようにしているんだ」
p.97-8 君の上司がとにかく威張りくさっているタイプだったら、君が取るべき態度は、決して上司に媚びないことだ。相手は単に特別扱いを受けたいだけ、言ってみればわかりやすいタイプなのだから、こちらに敵対しようという気持ちがなければわざわざ手などは出してこないはずだ。ならば、君がやるべきことはつねに堂々としている、ということで十分だ。
私の経験からすれば、人を怯えさせたり威嚇するような態度を取る相手には、恐れずに毅然とした態度を貫くのが一番なのだから。威張った相手とはわざわざ戦わない。その代わり一歩も引かない。
p.111 これは明らかにおかしいと思う時は、たとえ多少はやられるかもしれないと思っても、たじろいだりなどすべきではない。まして、子どもが一緒にいるならば、それこそ腹をくくる必要があると私は思う。
p.164 貧しいのは、仕方がない。そして貧しいからいけないのではない。それを理由に卑屈になることがいけないのだ。
p.170 人間である以上、「悲しい」とか「つらい」とかいう感情はあって当たり前だ。君が仕事でミスをすれば、落ち込むのも当然のことなのだ。だが、そんな時こそ、肉体でその感情を支えてみるのだ。つまり、自分の身体で己の心の不安や動揺をコントロールするのだ。
p.178 勝つことだけを目的にすると、どうしても精神が卑しくなる。これは勝負の世界だけでなく、人生においても同じことだろう。「勝ちたい」と思えば、汚いことも、ずるいことも併記でやるようになってしまう。際限なく相手を叩きのめすようなやり方も、「勝ちたい」という欲望に支配された人間のやり方だ。
p.179 会社のために滅私奉公して、金を得ることばかり考えてきた人たちの人生がどこか空しいのは、なぜだろうか。君には、ぜひ、「人生は勝ち負けではない」ということをわかってほしい。そして、そこにある幸せをしみじみと感じてほしい。
p.190 私は、「素」のままでいられる人こそきれいな人だと思っている。
p.195 仕事だけじゃない。家庭内の問題だって大変な人は山ほどいる。病気の子を持った親たち、震災で家族を失った人たち、家や財産を流された人たちの悲しみを考えたら、君は自分の悩みの小ささがわかるようになるだろう。これが「自他を知る」ことなのである。
p.199 「動じるな。ぶれるな。求めるべきは、安住ではなく試練である」
p.5 私がこれまでさまざまなことを恐れなかったのは、「恐怖」をまったく感じなかったというより、心の柔らかさがつねに保たれ、そのおかげで「こんなこと、大したことではない」とその状況を楽しめたからだと思う。
p.7 一体、どこが安泰で、どこが成功なのだろうか? そんな現代を、君たちはどう生きていけばいいのだろう? 答えは簡単だ。君は堂々たる自分の人生を歩めばいい。何事にも惑わされず、自分らしい生き方を貫くだけだ。
p.32 学校や会社、その他あらゆる組織が「規則」や「制度」でいつの間にか人間の行動を柴っていまったのだ。
p.37 会社の「社則」、「従業員規則」というのもどうなのだろうか。これもまた、社員という「群れ」をつくり、「制度」や「規則」で一律に管理すれば、経営がやりやすいという単なる経営者側の理屈に他ならないのではないだろうか。
p.58 君も一度でいい、平穏無事な時に「不調こそ、わが人生」と思ってみるのだ。そうすれば、どんな時だって平然としていられるものである。
p.69 確実に言えることは、君が物ごとを損得で考えるのではなく、一銭の得にならなくとも、自然に身体が動くようになるのであれば、君という器は大きくなり、君の心は必ず強くなるだろう。
p.74 私にとっての「裏切り」とは、自然が季節によって変化を見せるように、時と場合によって、人が「考えを変えること」というように捉え方が変わっていったのだ。
p.89 得たものは、必ず失う。それは、生きている者がいつか必ず死ぬのと同じことでもある。
p.94-5 何かに不安にならないようになるためには、まず、そうした自然に存在する不平等を素直に認めることが大事なことだと私は思う。
「自分に悪いことが一つ起こったら、どこかの誰かに一ついいことが起こっていると思うようにしているんだ」
p.97-8 君の上司がとにかく威張りくさっているタイプだったら、君が取るべき態度は、決して上司に媚びないことだ。相手は単に特別扱いを受けたいだけ、言ってみればわかりやすいタイプなのだから、こちらに敵対しようという気持ちがなければわざわざ手などは出してこないはずだ。ならば、君がやるべきことはつねに堂々としている、ということで十分だ。
私の経験からすれば、人を怯えさせたり威嚇するような態度を取る相手には、恐れずに毅然とした態度を貫くのが一番なのだから。威張った相手とはわざわざ戦わない。その代わり一歩も引かない。
p.111 これは明らかにおかしいと思う時は、たとえ多少はやられるかもしれないと思っても、たじろいだりなどすべきではない。まして、子どもが一緒にいるならば、それこそ腹をくくる必要があると私は思う。
p.164 貧しいのは、仕方がない。そして貧しいからいけないのではない。それを理由に卑屈になることがいけないのだ。
p.170 人間である以上、「悲しい」とか「つらい」とかいう感情はあって当たり前だ。君が仕事でミスをすれば、落ち込むのも当然のことなのだ。だが、そんな時こそ、肉体でその感情を支えてみるのだ。つまり、自分の身体で己の心の不安や動揺をコントロールするのだ。
p.178 勝つことだけを目的にすると、どうしても精神が卑しくなる。これは勝負の世界だけでなく、人生においても同じことだろう。「勝ちたい」と思えば、汚いことも、ずるいことも併記でやるようになってしまう。際限なく相手を叩きのめすようなやり方も、「勝ちたい」という欲望に支配された人間のやり方だ。
p.179 会社のために滅私奉公して、金を得ることばかり考えてきた人たちの人生がどこか空しいのは、なぜだろうか。君には、ぜひ、「人生は勝ち負けではない」ということをわかってほしい。そして、そこにある幸せをしみじみと感じてほしい。
p.190 私は、「素」のままでいられる人こそきれいな人だと思っている。
p.195 仕事だけじゃない。家庭内の問題だって大変な人は山ほどいる。病気の子を持った親たち、震災で家族を失った人たち、家や財産を流された人たちの悲しみを考えたら、君は自分の悩みの小ささがわかるようになるだろう。これが「自他を知る」ことなのである。
p.199 「動じるな。ぶれるな。求めるべきは、安住ではなく試練である」