「モチベーションカンパニー 組織と個人の再生をめざすモチベーションエンジニアリングのすべて」 小笹芳央・著、日本能率協会マネジメントセンター、2002年12月25日
p.20 そもそも組織は人の集合体である。従業員はあくまで組織の目標を達成するための構成員であるのと同時に、各々が個人的な目的あるいは欲求を持って働いている。そこには宿命的に「組織も目的達成」と「個人の欲求充足」との間で葛藤が生じる。いいかえれば「組織としてのやるべきこと」と「各人のやりたいこと」との間で多かれ少なかれ衝突が生じるのだ。この衝突を解消するために、いかに個々人のモチベーションを触発し、事業戦略の実現にリンクさせるか。さらにいえば、事業戦略そのものを、 いかに個々人のモチベーションを触発する中で組み上げていくか。
人材の流動化が進行する今、企業は「働く場」としての「従業員満足」を問われる時代に突入している。従業員はその企業で働くに値する「価値」を感じなくなった時、あっさりとその企業から立ち去り、場合によっては競合企業への転職を決意する。事業戦略の実行に向けて従業員のモチベーションを刺激できない企業は、市場での競争力を失うだけでなく、やがては大量の人材流出という非常事態に直面することになる。
p.26 事業案が企業風土とかみあわなければ、戦略が失敗に終わる可能性が高い。それまで売上至上主義で、短期的なゴールをめざして社員全員が競争してきた会社で、ある日突然、顧客との長期的信頼関係が重要で、チームワークを必要とする事業に手を染めても、失敗することは自明である。
p.46-7 戦略と人事は、いいかえれば従業員のモチベーションは、相互に補完関係にあるということである。個人を無視して戦略を立て、強制的にそれを実行しようとしても、最大の効果を上げることができない。バラバラな方向をみている個人の指向を無理やり同じ方向に向かせるのではなく、戦略そのものが個人個人に納得感を持って受け入れられるようにコミュニケートしていくのがベストである。もし、皆がバラバラの方向を向いているのであれば、戦略を構築するより前に、従業員全員が共通して持てるビジョンを醸成し、意識のインフラづくりを急がなければならない。
p.51-2 「従業員が組織に提供する貢献活動」と「組織が従業員に提供する報酬」の価値交換バランスがよければ、モチベーションクライシスは起こらない。注意しなければならないのは、ここでいう「報酬」は「金銭的報酬」を意味するものではない。従業員が魅力的と感じるモノやコトすべてを包括する「広義の報酬」だととらえなければならない。
p.70 新卒や中途採用の市場において、応募が殺到する企業がある一方、応募がまったくない企業もある。「食べるため」という単純な目的で仕事を探す人が減少し、多くの人が「仕事のやりがい」、「スキルの向上」など、厳しい視点で企業をみる。採用という入り口の段階だけでなく、企業は従業員に対し、そこで働く魅力を常に提供し続けなければ、「その会社に居続ける」という選択肢を捨て、社外に自らの新しいステージを探すだろう。
p.140-1 日本企業に「戦略至上主義」がはびこり、多くの企業が戦略によって人事施策を決定づけ、個人の目標は戦略を分解したものになっていた。従業員の指向、つまり「やりたいこと」を無視して、「やるべきこと」を明らかにすることに、すべての能力を注いできた。そして、結果を重視する「戦略至上主義」のもとでなされるマネジメントは、売上や利益の極大化を図るため、その会社に長い時間かかって醸成された「風土」を無視した戦略がとられることも少なくなかった。それらがもたらしたものは、従業員のモチベーションの急速な低下である。
p.234-5 株主が短期的な利益を追求することと、企業の利益の源泉である顧客や従業員の満足度を向上させることが、果たして同じ時間軸で両立するのだろうか。
企業の経営活動の主体は、外部環境や内部環境を熟知した経営者であり、士気高い従業員であり、経営の安定に寄与してきた取引先であろう。毎期毎期の経営成果のみを追求する株主が主体となるには限界があるのである。
p.237 過度な株主中心主義経営は早晩見直しを迫られることになるだろう。組織が人の集まりである以上、優秀な人材こそ組織の未来を支える宝であり、成長の根源であるならば、企業を取り巻く環境の中で最も重視されるべきは、「現在の従業員」および「未来の従業員」である。
p.248 もともそ組織は、多様な価値観や能力を持つ個人の集合体である。そこで例外なく、「組織としてのやるべきこと」と「各人のやりたいこと」の衝突が起こる。その衝突の緩衝材の役割を果たしてきたのが、金銭や地位といった旧来型の報酬であった。
今ではそれらの報酬の威力は低下し、多くの企業がモチベーションクライシスに陥っている。昨今の厳しい経済環境の中、各企業で行われている改革も成否を握るのは、つまるところ顧客接点を担う従業員のモチベーションである。企業としての「やるべきこと」だけを強調し、制裁力を背景に組織にとって望ましい行動を強要するだけでは、変革は途中で頓挫し、失敗しているケースも少なくない。変革にかかわる一人ひとりの「変わりたい」や「成長したい」、あるいは「貢献したい」という気持ちを上手に引き出さない限り、経営者が描いたプランも机上の空論で終わるのだ。
「組織としてのやるべきこと=組織の目標達成」と「各人のやりたいこと=個人の欲求充足」の同時実現がされている企業こそ、究極のモチベーションカンパニーである。
組織の事業の発展と、個人の自己実現とは両立、あるいは融合させていく必要がある。企業だから、企業の論理に従うのが当然だ、はもはや受け入れられないし、独裁に映るだろう。“苦渋の決断”でどちらかを取るということでもなかろう。
その方法は、一見二律背反するようなものが同じ方向のベクトルとして力を相加させるような考え方を取ることによって、浮かび上がってくるだろう。
p.249-50 我々は「労働は苦役である」というパラダイムに長い間慣れ親しんできた。「労働は人間が神から与えられた罰である」と。
我々は、労働、つまり働く時間は自分の時間を切り売りして金を稼ぐことであり、その対極に遊ぶ時間を置くことで両者を完全に区別するという考え方に支配されてきたように見える。
「遊」、「学」、「働」の時間と空間を完全に分離することで、ある意味での効率を追求してきたのである。
p.250 質の高い仕事は「やらされ感」や「時間の切り売り」という精神性からは生まれるものではなく、「遊」、「学」、「働」の融合状態から生まれることの方が圧倒的に高い。
これからの企業経営は「働いている=利益に貢献している」し、「遊びのようでもある=夢中になっている」し、「そこから自らを成長させる=自己の価値向上を実感する」ような時間と空間を従業員に提供することが求められる。
ひらたく言えば、これらが満たされることで、仕事が楽しくなるに違いない。とかく「遊」の部分が、仕事とはかけ離れてしまうとか、個人の感性が上層部には理解できず、無関係のことをやっているように見えたり、ムダをしているようにしか思えないことが多い。それは上司の感性が鈍かったり、何をチャレンジしているのか、試行しているのか、コミュニケーションが不足しているのだろう。上司の判断や想いが、すべて正しいかったり、組織の常識とみなされるのではないのだ。
p.20 そもそも組織は人の集合体である。従業員はあくまで組織の目標を達成するための構成員であるのと同時に、各々が個人的な目的あるいは欲求を持って働いている。そこには宿命的に「組織も目的達成」と「個人の欲求充足」との間で葛藤が生じる。いいかえれば「組織としてのやるべきこと」と「各人のやりたいこと」との間で多かれ少なかれ衝突が生じるのだ。この衝突を解消するために、いかに個々人のモチベーションを触発し、事業戦略の実現にリンクさせるか。さらにいえば、事業戦略そのものを、 いかに個々人のモチベーションを触発する中で組み上げていくか。
人材の流動化が進行する今、企業は「働く場」としての「従業員満足」を問われる時代に突入している。従業員はその企業で働くに値する「価値」を感じなくなった時、あっさりとその企業から立ち去り、場合によっては競合企業への転職を決意する。事業戦略の実行に向けて従業員のモチベーションを刺激できない企業は、市場での競争力を失うだけでなく、やがては大量の人材流出という非常事態に直面することになる。
p.26 事業案が企業風土とかみあわなければ、戦略が失敗に終わる可能性が高い。それまで売上至上主義で、短期的なゴールをめざして社員全員が競争してきた会社で、ある日突然、顧客との長期的信頼関係が重要で、チームワークを必要とする事業に手を染めても、失敗することは自明である。
p.46-7 戦略と人事は、いいかえれば従業員のモチベーションは、相互に補完関係にあるということである。個人を無視して戦略を立て、強制的にそれを実行しようとしても、最大の効果を上げることができない。バラバラな方向をみている個人の指向を無理やり同じ方向に向かせるのではなく、戦略そのものが個人個人に納得感を持って受け入れられるようにコミュニケートしていくのがベストである。もし、皆がバラバラの方向を向いているのであれば、戦略を構築するより前に、従業員全員が共通して持てるビジョンを醸成し、意識のインフラづくりを急がなければならない。
p.51-2 「従業員が組織に提供する貢献活動」と「組織が従業員に提供する報酬」の価値交換バランスがよければ、モチベーションクライシスは起こらない。注意しなければならないのは、ここでいう「報酬」は「金銭的報酬」を意味するものではない。従業員が魅力的と感じるモノやコトすべてを包括する「広義の報酬」だととらえなければならない。
p.70 新卒や中途採用の市場において、応募が殺到する企業がある一方、応募がまったくない企業もある。「食べるため」という単純な目的で仕事を探す人が減少し、多くの人が「仕事のやりがい」、「スキルの向上」など、厳しい視点で企業をみる。採用という入り口の段階だけでなく、企業は従業員に対し、そこで働く魅力を常に提供し続けなければ、「その会社に居続ける」という選択肢を捨て、社外に自らの新しいステージを探すだろう。
p.140-1 日本企業に「戦略至上主義」がはびこり、多くの企業が戦略によって人事施策を決定づけ、個人の目標は戦略を分解したものになっていた。従業員の指向、つまり「やりたいこと」を無視して、「やるべきこと」を明らかにすることに、すべての能力を注いできた。そして、結果を重視する「戦略至上主義」のもとでなされるマネジメントは、売上や利益の極大化を図るため、その会社に長い時間かかって醸成された「風土」を無視した戦略がとられることも少なくなかった。それらがもたらしたものは、従業員のモチベーションの急速な低下である。
p.234-5 株主が短期的な利益を追求することと、企業の利益の源泉である顧客や従業員の満足度を向上させることが、果たして同じ時間軸で両立するのだろうか。
企業の経営活動の主体は、外部環境や内部環境を熟知した経営者であり、士気高い従業員であり、経営の安定に寄与してきた取引先であろう。毎期毎期の経営成果のみを追求する株主が主体となるには限界があるのである。
p.237 過度な株主中心主義経営は早晩見直しを迫られることになるだろう。組織が人の集まりである以上、優秀な人材こそ組織の未来を支える宝であり、成長の根源であるならば、企業を取り巻く環境の中で最も重視されるべきは、「現在の従業員」および「未来の従業員」である。
p.248 もともそ組織は、多様な価値観や能力を持つ個人の集合体である。そこで例外なく、「組織としてのやるべきこと」と「各人のやりたいこと」の衝突が起こる。その衝突の緩衝材の役割を果たしてきたのが、金銭や地位といった旧来型の報酬であった。
今ではそれらの報酬の威力は低下し、多くの企業がモチベーションクライシスに陥っている。昨今の厳しい経済環境の中、各企業で行われている改革も成否を握るのは、つまるところ顧客接点を担う従業員のモチベーションである。企業としての「やるべきこと」だけを強調し、制裁力を背景に組織にとって望ましい行動を強要するだけでは、変革は途中で頓挫し、失敗しているケースも少なくない。変革にかかわる一人ひとりの「変わりたい」や「成長したい」、あるいは「貢献したい」という気持ちを上手に引き出さない限り、経営者が描いたプランも机上の空論で終わるのだ。
「組織としてのやるべきこと=組織の目標達成」と「各人のやりたいこと=個人の欲求充足」の同時実現がされている企業こそ、究極のモチベーションカンパニーである。
組織の事業の発展と、個人の自己実現とは両立、あるいは融合させていく必要がある。企業だから、企業の論理に従うのが当然だ、はもはや受け入れられないし、独裁に映るだろう。“苦渋の決断”でどちらかを取るということでもなかろう。
その方法は、一見二律背反するようなものが同じ方向のベクトルとして力を相加させるような考え方を取ることによって、浮かび上がってくるだろう。
p.249-50 我々は「労働は苦役である」というパラダイムに長い間慣れ親しんできた。「労働は人間が神から与えられた罰である」と。
我々は、労働、つまり働く時間は自分の時間を切り売りして金を稼ぐことであり、その対極に遊ぶ時間を置くことで両者を完全に区別するという考え方に支配されてきたように見える。
「遊」、「学」、「働」の時間と空間を完全に分離することで、ある意味での効率を追求してきたのである。
p.250 質の高い仕事は「やらされ感」や「時間の切り売り」という精神性からは生まれるものではなく、「遊」、「学」、「働」の融合状態から生まれることの方が圧倒的に高い。
これからの企業経営は「働いている=利益に貢献している」し、「遊びのようでもある=夢中になっている」し、「そこから自らを成長させる=自己の価値向上を実感する」ような時間と空間を従業員に提供することが求められる。
ひらたく言えば、これらが満たされることで、仕事が楽しくなるに違いない。とかく「遊」の部分が、仕事とはかけ離れてしまうとか、個人の感性が上層部には理解できず、無関係のことをやっているように見えたり、ムダをしているようにしか思えないことが多い。それは上司の感性が鈍かったり、何をチャレンジしているのか、試行しているのか、コミュニケーションが不足しているのだろう。上司の判断や想いが、すべて正しいかったり、組織の常識とみなされるのではないのだ。