何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

指示されると豚を混入する社員

2007-06-29 10:04:13 | よくわからないこと
 ミートホープ社の牛ミンチ偽装事件は、お定まりともいえるような内部告発で始まった。当初社長は自らのあずかり知らぬところで従業員の判断で行われた可能性があると責任を否定しておきながら、捜査が進むにつれ、結局は自らが偽装に関与していた事実が発覚し、認めざるをえなくなった。許せない事件であると同時にあまりにもお粗末な実態をさらけだした。その結果、解雇通告を受けた従業員は不当解雇で訴えるという。

 内部告発の元幹部は、不正行為をどのように見てきたのだろうか。混入現場をその目で見てきただろうし、それが製品となって出荷されていく“後ろ姿”をどのような気持ちで見送ったのだろうか。彼をヒーローだなどと言うつもりはないが、最低限のことを果たしたと、評価できる部分もあるように思うのだが。

 止めるに止められない無力感、出てしまった以上、自分も少なからず加害者であるという意識、消費者への裏切り行為への罪悪感、軌道修正に向けた苦しみ、会社としてのリスク回避への思い、・・・挙げきれないほどの葛藤があっただろうし、会社崩壊への足音が聞こえていたのではないかと思う。社長を始め、創業家との数々の摩擦、偽装に限らず価値観の違い、食品製造に関する意見の食い違いなど、さまざまなものがあっただろう。

 一方、社員はどうなのか。会社の指示や忠誠心と消費者や社会を欺くことと、天秤にかけて会社の指示を選んだのか。しかも数年前から。それは自分の生活や保身を優先したことではないのか。どのような“抵抗”をしてきたのだろうか。そこを是非知りたいものだ。
 社員は自社のコロッケを食べていたのか。どういう味がしたのだろうか。美味しかったのか。


 コムスンでも現場のホームヘルパーやケアマネジャーに罪はないような言い方がされるが、果たしてそうなのか。収益を上げるためには、会社のためには、多少目を瞑らなきゃいけないこともあるとしていたのならば、立場の違いこそあれ、末端の者には責任は(ほとんど)ないとする風潮は、どこか釈然としないものがあるのだが。

 まったくもって、他人事ではないと感じている人は少なくないのではないか 
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする