何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

心が軽くなる本

2012-05-09 22:50:41 | Book Reviews
「不安」を「安らぎ」に変える57のヒント 心が軽くなる本 山崎房一・著、PHP文庫、1996年11月15日

p.17-8 分離不安という本能は、読んで字のごとし、他者との共存関係がなければ不安でたまらないと感じる本能です。ひとはこの本能にせきたてられて他者との共存関係をむすぼうとします。そして、そのアクションを愛と呼んだのです。

p.20 愛は、初めからそこに用意されているものでも、とつぜん姿をあらわすものでもなく、人間関係を円滑にすすめるためのことば、あるいはそのための配慮や行為にすぎなかったのです。

p.24 愛はどこにも存在しないのですから、自分でつくり出さなければならないのです。それには「愛は、心のなかにある」というまやかしを一蹴して、相手が喜ぶことを口にし、相手から感謝されることを実行に移すことです。それには自分の愛が一方通行であることに我慢しなければなりません。なにしろ愛は「与える」ことに氏名があるばかりか、ことばと行動の中にしかないのですから。

p.24 「いちどほれた会社だ、ここに骨を埋める気で最後までとことん付き合ってやろう」と思うとき、あならの愛は一方通行です。それでよいではありませんか。

p.25 不平や不満などのストレスのタネは「与えられる愛」に対する期待が裏切られたときに生じるものだったからです。

p.51 ストレスの正体が見えてきました。ストレスは、この三つの世界(個、家族や友人、社会)の境界線をあいまいにしてしまったしっぺ返しだったようです。社会に対して家庭の温かさを求め、自分に対して社会の厳しさを課し、家庭に我執をもちこめば、そこは摩擦や軋轢が渦を巻くストレス地獄になってしまうのは、当たり前のはなしなのです。

p.127-8 ホンネをずけずけといい、元気いっぱいで顔色のよいエネルギッシュなひとは、正しいことと世のなかを動かしているパワーは別ものだと、よく承知しています。世のなかを動かしているのは、きれいごととは無縁の荒々しいパワーだと見抜いているのです。

p.128 「ストレスは、やさしさや思いやり、きれいごとや正しさをパワー(ちから)だと信じていた純粋な気持ちが、現実社会に裏切られたときに受ける心の傷である」

p.130-1 ホンネは、エゴイズムや物欲あるいは名誉欲と、正しさややさしさを両立させ、万事うまく運ぼうとする欲求にほかなりません。実は、礼儀や常識や法を守ってさえいれば、人間はどんなふうに生きてゆこうと少しも構わないのです。それを「かくあるべし」というきれいごとのタテマエをふりまわしてしまうため、罪の意識にとらわれ、ストレスの餌食になってしまうというわけです。

p.150-1 失敗しても、しくじっても、たとえ間違ったとしても、自分は百点満点。あるがままの今の自分――それを変える必要など少しもなかったのです。

p.158 ご安心なさい――心は、今あるがままの姿のときが最強なのです。今のままでよい、と安心すると、心はすっかり元気になり、どんなトラブルに対してでも柔軟に対応できるようになります。

p.164 自分に対する過剰な関心を薄めるとっておきの方法があります。それは、あるがままの自分に百点満点をつけ、あるがままの自分に満足することです。

p.169 自信とは、決して揺れ動くことがない絶対的な自意識――自分の心は極上の宝物である――という自覚です。

p.185 悪い心は、表に出さず心の奥にしまっておくだけでよかったのです。たしかに悪い心は表の場面では有害でした。しかし、それは生きてゆく情熱そのものだったのです。


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