簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

江戸の道・亀山宿(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-30 | Weblog
 お城下の小さな公園「お城見庭園」には46番目の宿場町の碑が建ち、旧東海道
筋が公園を巻き込むように通っている。
その道を少し行くと武家屋敷や問屋場跡が残る旧東海道筋に出る。



 亀山市は市内の井田川地区から小野地区に至る約11Kmの間を、情緒あふれる
東海道「江戸の道・亀山宿」として整備している。



 今日の東海道筋は、人も車もほとんど通らない長閑な道で、所々で曲り見通しの
きかない造りがいかにも城下町らしい。
その両側には古びた格子戸のある低い家並みが続いていて、問屋場跡なども有り、
当時の繁栄ぶりを窺い知ることが出来、興味深い。



 それぞれの家の玄関先には、江戸時代当時の屋号の書かれた小さな木札が掛
けられている。
これは地元の「きらめき亀山21町並み保存会」が歴史的な佇まいを復活させようと
の発案で行われたものらしく、今では地元でもこの旧町時代の屋号で呼び合ってい
ると言う。



 城下には亀山城主・石川家の家老職を務めた加藤家の屋敷跡が有り、その表門
である長屋門と土蔵も遺されている。



 亀山宿のこの辺りから次の宿場・関までは1里半程の道程だ。
その途中には徳川幕府が整備した街道の里程標・野村の一里塚が残されている。



 三重県内の街道筋には12か所の一里塚が設けられていたが、現存するのはここ
だけで、塚には樹齢400年の椋の大木が聳え立っているらしい。
興味はあるが、残念ながらもう時間がない。(続)

                        
 『四国八十八カ所遍路  歩き旅』 写真増枚 本文再構成しました。
     新しくなった記事は、ここをクリックしてください。





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようござったな亀山(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-27 | Weblog
 「ようこそ亀山市へ」「ようござったな亀山へ」
次の加茂行きの発車までには少し時間が有るので、亀山駅の改札を出る。



 駅前ロータリーの直ぐ右手に観光案内所が有ったので立ち寄って話を聞き、地
図を頂いた。折角だから少し町を歩いて見ることにする。



 駅前に大きな石造りの鳥居が建っている。
これはヤマトタケル縁の能褒野(のぼの)神社の一の鳥居だと言う。
その能褒野はヤマトタケルが死去した地で、その周辺にある古墳がタケルの墓だ
と伝えられていて、その地に建立されたのが能褒野神社だ。



 その神社へは、駅の名所案内には、北へ7Kmと書かれていたが、実際には亀山
の一つ名古屋寄りの井田川が最寄り駅で、ここからは1.2Kmと近いらしい。



 「亀山城址から隣の関宿まで、ウォーキングコースが出来ていますよ。
8キロ程です」と教えられ、歩いて見ようかと若干心が動いたが、それほどの時間
的な余裕も無く、次に乗る電車の時刻を確認し、城跡に向かう。



 古い屋並みの中に、お城山に向かって緩やかに登る道がある。
途中旧国道1号線を越え10分程歩くと、整備された小さな公園「お城見庭園」に出る。
そこを真っ直ぐに登りつめると亀山城址、高さ13メートルの天守台と呼ばれる石垣
の上に、多門櫓が建っている。
明治の廃城令により取り壊された亀山城に有って、唯一残された遺構である。(続)



                        
 『四国八十八カ所遍路  歩き旅』 写真増枚 本文再構成しました。
     新しくなった記事は、ここをクリックしてください。





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嘗ての雄(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-25 | Weblog


 「快速・みえ」はこの後四日市に停車し、その先の河原田から津の間は、伊勢鉄
道の路線で鳥羽方面にショートカットする。
従って18きっぷで利用するときは、この区間分の運賃が別途必要になる。



 四日市で、関西本線の亀山行き普通に乗り換える。
かつて公害の町として悪名を轟かせた町は、今でも多くの工場が立地しているが
その空は青く澄み渡り明るい町に公害で汚れた翳りは感じられない。



 亀山には30分ほどで到着する。
関西本線はここ亀山から終点のJR難波までがJR西日本の管轄である。
その途中の加茂から先は関西圏の通勤路線と成り「大和路線」との通称で呼ばれ
ていて、この間では何本もの快速が便利に運行している。



 かつて関西本線は、東海道本線と互角に渡り合うほどの幹線で有った。
古い路線図を調べてみると、名古屋からは京都に向けて「平安」が、奈良や天王寺
に向けて「かすが」が、さらに南紀方面にも「くまの」など、華やかな観光客向けの優
等列車が関西本線を経由して運行されていたことが解る。
南紀白浜や勝浦が東の熱海、西の別府と共に、新婚旅行のメッカと言われ、賑わ
った時代が有ったからだ。



 しかし今では時刻表を見ても解るように本線と雖も東の亀山、西の加茂が区切
と成っていて、特急どころか普通ですら通して運行する電車は皆無で、これらの駅
で乗り換えることに成る。
このため亀山と加茂の61キロの区間だけが、凡そ1時間に一本のワンマン気動車
が走るローカル線として取り残されている。


(写真:御在所岳山頂 本文とは無関係)(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御在所ロープウェイ(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-23 | Weblog


 そして、もう一つの主役は何と言っても麓と山頂を結ぶロープウェイだ。
僅か12分の空中散歩で山頂まで気軽に登ることが出来る。
ここからは鈴鹿の山並みが一望で、晴れていれば遠く知多・渥美半島から富士山
まで望むことが出来る。



 高度が上がるほどに眼下には温泉街の先に四日市の市街地が広がり、さらに
雲に霞んで伊勢湾が僅かに望まれる。
途中に建つ白く塗られた6号支柱は標高1,004mの位置にあり、ここのシンボルだ。
この支柱は麓からも良く目に付くそうだ。





 ゴンドラからは運が良ければ天然記念物のニホンカモシカの姿を見かけることも
有ると言う。
さらに「鷹見岩」「大黒岩」など、花崗岩で出来た山らしく奇岩・巨岩の出迎えを受
けると山頂駅に到着だ。一帯は公園になっている。



 ここからは観光リフト(冬季はスキー用のリフト)に乗って、三重県と滋賀県の県
境にある一等三角点・山頂に向かうことが出来る。
昔はこの付近にカモシカセンターやユースホステルがあったはずであるが、どこに
もその姿は見当たらない。
聞けばカモシカセンターは2006年に閉園、ホステルはその建物も解体されたと言う。



 山頂には歩きと思われる登山者の姿も散見できる。
今でも登山道は残されているようだがそんな道も鈴鹿スカイラインの完成で、昔と
は随分と変わったらしい。
さらに数年前の集中豪雨では各所で土砂崩れが起き、登山道もその被害をうけ荒
れていると聞いた。
40年も経てば変わるのは当然のことながら、何とも寂しい気がする。(続)

 みちのくに息づく伝統こけしを訪ねる旅
最新記事 アップしました ここをクリック





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯の山温泉(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-20 | Weblog


 湯の山温泉の歴史は古く、その発見は養老年間(718年)まで遡る。
ここには、谷川のくぼみに足を付け、傷を癒していた鹿が教えてくれたと言う「鹿の
湯伝説」が残されていて、別名「鹿の湯」とも呼ばれている。



 御在所岳の東麓、温泉街の中心を三滝川が流れ、そこを通る抜ける道は狭く、
緩やかに登り、曲がりくねっている。その渓谷沿いの道縁に、20軒ほどの旅館や
ホテルが犇めいていてそれらは比較的大型のものが多い。



 温泉は、日帰り入浴も出来る旅館も有り、アルカリ性ラジウム泉の泉質が昔から
「美人の湯」と言われ、そのため女性の人気も高く、関西や中京からは気軽に行け
る行楽地となっている。



 しかし残念なことに温泉街は昔ほどの勢いは無く、観光客の減少や、後継者難
から廃業を余儀なくされた旅館や土産物屋も多く、所々で空地も目立ち、廃屋が
無残な姿をさらけ出している。



そんな温泉街の観光名所の一つが、温泉街の最奥に位置する大石公園だ。
三滝川の渓流と緑に覆われた地に、日本一大きい御影石が鎮座している。
かの大石内蔵助はこの大石繋がりの石を眺めながら、日々悶々の心の憂さを晴
らしたであろうと言われている。



近くには、かつて僧兵が勢力を誇示していた三岳寺がある。
今ではここに伝わる「折り鶴伝説」により、若い人たちから恋結びの寺として支持を
集めていることは知らなかった。(続)

 みちのくに息づく伝統こけしを訪ねる旅
最新記事 アップしました ここをクリック





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御在所岳登山(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-18 | Weblog
 『鈴鹿セブンマウンテン登山大会』キャンペーンの中心地はやはり、御在所岳と
その麓に位置する湯の山温泉であった。





 ここには昭和34年に営業を開始したロープウェイも有り、温泉が楽しめてさらに
麓から気軽に千メートル級の山に登る事が出来るとあって、多くの観光客が押し
掛けていた。
また当時御在所岳を歩いて登る登山者向けには色々なルートが設けられ、登山
道も整備されていた。





 麓から登るルートは主に三本である。
一番ポピュラーなのが表道で、三岳寺脇から大石橋を経て山頂に至るコースだ。
ここからは途中鎌ケ岳を経て、武平峠を越えるルートが有ったように記憶している。



 温泉街の外れの名勝・蒼滝を抜け、途中ロッククライミングのメッカ・藤内壁を見
てゆっくりと登る裏道は、距離は長いが木陰も多く勾配もゆるくて歩きやすく、一番
好きなルートであった。

 ロープウェイの直下には中道があり、開放的で眺望の開けた登山道は、距離は
短いが、荒地や岩場の続く勾配の厳しい登り道ではあったが結構人気が有った。



 当時は仕事を終え夕方近鉄で移動、この地で一泊、早朝出発であったが、温泉
街の宿に泊まるほどの経済力も無い身には、登山道の途中に有った「近鉄山の家」
が格好の場所で、ここには何度となく宿泊したものだ。(続)

 みちのくに息づく伝統こけしを訪ねる旅
最新記事 アップしました ここをクリック





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴鹿セブンマウンテン(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-16 | Weblog
 進行方向右手遥かに、山塊が連なって見えてきた。
関ヶ原から鈴鹿峠に向けて南北50㎞ほどの間に霊仙山、鈴ケ岳、御池岳、藤原岳、
竜ケ岳、釈迦ケ岳、国見岳、御在所岳、雨乞岳、鎌ケ岳などの1000mを超える山々
が10座以上も連なる鈴鹿山脈である。



 このうち最高峰は御池岳で1247m、それに次ぐのが御在所岳の1212mで、その
登山口には関西・中京の奥座敷として人気の観光地であった湯の山温泉がある。
温泉からは御在所岳の山頂に向けてロープウェイも有り、歩き登山のみならず気軽
に千メートルを超える山頂を目指すことが出来る。



 こんな地には懐かしい思い出がある。
かつて昭和40年代、鉄道会社やテレビ局、新聞社、地元の山岳会などが中心に成
って、『鈴鹿セブンマウンテン登山大会』と言うキャンペーンを行っていた。



 それは、御在所を始め、鎌、竜、藤原、雨乞、入道、釈迦の7座を舞台に誰もが
自由に参加でき、気軽に登山を楽しもうと言うものだった。



 近鉄の名古屋線に乗り、途中三岐鉄道三岐線や近鉄湯の山線に乗り換え、思い
思いの目的地に向かうハイカーや登山者は多く、当時俄か登山ブームを巻き起こし
ていた。
このため週末や休日ともなると、近鉄の名古屋駅には、大きなザックを担いだ若者
が溢れ、大いに賑わったものだ。





 こんなキャンペーンが功を奏したのか、昭和43年には、鈴鹿山脈一帯が鈴鹿国定
公園に指定され、さらに昭和47年には公園内を貫く鈴鹿スカイラインも開通した。(続)

 みちのくに息づく伝統こけしを訪ねる旅
最新記事 アップしました ここをクリック





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おちょぼさん(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-13 | Weblog
 治水神社から北に10キロ程行った旧海津町の町中に、室町時代の創建で知ら
れる稲荷神社がある。
正式には千代保稲荷神社と言うが、地元では「おちょぼさん」の愛称で親しまれて
いて、京都の伏見、愛知の豊川と共に日本三代稲荷の一つを名乗っている。



 神社としてはどこの町中でも見かけるような小さな社域で、規模的にも余り大きい
とは言えないが、商売繁盛、家内安全のご利益があるとされ、特にこの地域での信
仰には目を見張るものがあり、年間の参拝者は200万とも250万人とも言われている。



 特にお正月の初詣や、月末の夜から月初の朝にかけてお参りする「月並祭」が知
られていて、徹夜でお参りする老若男女が尽きないと言う。



 参拝は社前で「おあげ」と「ローソク」のセットを買い求め、献灯所で「ローソク」を
献じ、その奥の社殿に「おあげ」をお供えしてお参りする。
お供えされた「お揚げ」は、時に御下がりとして参拝者に振舞われたりする。
商売繁盛を願う人は、お賽銭に名刺を張り付けて投げ込んだり、霊殿に自身の名
刺を挟み残し、お願いするのだそうだ。



 この神社参拝の楽しみは、南口大鳥居から神社の門前を経て、東口大鳥居に至
る800mほどの参道に立ち並ぶ100軒以上の様々な店巡りだ。



 食べものなら草餅、串カツ、ドテ煮、漬物、川魚料理などと多彩で、特に淡白な味
で美味しいナマズの蒲焼はこの地の名物料理として知られている。
招き猫や、子供のおもちゃ、お菓子、野菜、果物、唐辛子などなど何でもありの参道
は雑然とした雰囲気がどこか懐かしく、昭和の香りがプンプンする通りである。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝暦の治水(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-11 | Weblog
 宝暦四年一月、総奉行・平田勒負(ひらたゆきえ)を初めとする薩摩藩士947名
は美濃の地に派遣されることに成る。
工事区域は、三川の河口域から上流に向けた数十キロの広範に渡った。



 とにかく水の勢いの強いところで、工事は難渋を極めた。
過酷な飯場は、自然と闘う凄惨な消耗戦となり、人柱まで立てて、ようや完成した
と言われるほどに困難を極めることに成る。



 中でも最大の難工事は、木曽川と伊尾川(揖斐川)の流れを分離する「油島千間
堤」で、ここでは多くの犠牲者を出した。
慣れぬ地で疫病に倒れ、望郷の念を抱きつつ朽ち果てる藩士も多数出た。



 藩士を事故や病で亡くし、藩に多額の借財を残した責任、度重なる設計変更や
工事費の増額など、幕府の不条理な対応への義憤。
それらを決着させ、鎮魂の思いを込めた平田勒負は、労苦を共にしながら、半ば
で逝った多くの藩士と共にかの地に眠ることを決意、終には自裁するのである。



 しかし、その死すら「持病による病死」と届けられている。
当時割腹は、「お家断に処す」と定められていたから、身を呈した抗議も幕府に伝え
られることが無かったのだ。
宝暦五年六月、島津藩主・薩摩守重年は、幕府に請負普請の完成を届け出ている。


 
 出来栄検分を終えた背割り堤約1Kmには、勒負らにより薩摩から取り寄せられ
た日向黒松が植えられた。
今その場所は「油島千本松原」と名付けられ国の史跡に指定され、その北端には
勒負を祭神とする「治水神社」が祀られている。



 堤防道路を行くかう車の幾人のドライバーが、こんな凄惨な史実を知っているので
あろうか。薩摩義士の偉業はもっと広く世に知られて良い筈だ。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外様潰し(JR乗り潰しの旅・関西本線)

2017-01-09 | Weblog
 その話は、中学生時代まで遡る。
当時の社会科の担任教諭が聞かせてくれた、ある話が興味を引いた。
勿論その当時の話の内容を今に覚えているわけではないが、強く胸を打たれた出
来事を、その後もずーっと忘れることは無かった。



 「薩摩藩士による宝暦の治水」の話である。
それから何年か過ぎたある時、偶然この有名な「宝暦の治水」の様子を描いた、
直木賞受賞の長編小説と出会った。
「弧愁の岸(杉本苑子・昭和38年 講談社)」である。



 江戸時代この「輪中」地帯の尾張藩側には、「お囲い堤」が聳え建っていたが、
美濃側はそれよりは一段と低い堤しか築く事を許されていなかった。
木曽三川は、それぞれの水面の高さが違うため、ひとたび豪雨に見舞われると
水難は深刻な事態となった。



 幸か不幸か、巨大な河川がもたらすのは災害だけではない。
度重なる氾濫は、尾張・美濃を広大な沃地にし、豊かな農産物をもたらすものでも
あった。
しかし幕府はそれでも大水害を見捨ててもおけず、川普請に着手することになる。



 とは言え幕府が直接金を出し工事を行うのでは無く、当時の有力な大名、薩摩藩
77万石にその工事を下命する。
薩摩藩の勢力を衰えさせるための、外様潰しの方策で有る。



 剣術では後れを取らないと自負する薩摩隼人でも、土木工事は全くの素人集団
に過ぎず、彼らが立ち向かうには自然の猛威は余りにも大きなものでその工事は
凄惨を極めることになる。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする