簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

こむらがえり(四国遍路の旅・高野山編)

2015-08-31 | Weblog


 人間の生命力には、何時も驚かされる。
あれほど苦しめられた足の裏の肉刺は、迅速な処置のお蔭で悩まされることが無く
なった。それどころか、歩き続けるほどに何となく足の裏も鍛えられていくのか、厚く
強くたくましくなっているのが実感でき伊予路に入る頃には、肉刺自体できることが
少なくなった。
たまに肉刺ができても、この処置のお蔭で、歩くことに影響を与えることは全くと言
って良いほど無くなっていた。



 しかし、良いことばかりが長くは続かないもので、菩提の道場・伊予路に入ると、
新たな異変に悩まされるようになった。
それは頻繁に起きる足のふくらはぎの異常な痙攣、「こむら返り」である。



 この「こむら返り」は、突然襲ってくる。
休んだ後歩き始めようと一歩踏み出したその瞬間であり、何かの拍子に体制が少
しおかしくなり、不安定で無理な力が掛った時であり、伸ばしていた体の向きを変
えようとした時などに襲ってくる。
それはおそらく筋肉の疲労に起因しているであろうことは、間違いがないが、この
ころの頻発は尋常では無かった。



 丁度そのころである。
加えて、激しい「息切れ」に襲われることが続いた。
息切れはどこでも起こるわけでは無く、平坦な道なら何て事もないが、山を登る坂
道などが続くと、進むほどに息が苦しくなり、まるで酸欠状態になり、やがては足を
止め、暫く休息して息継ぎをしないと歩けなくなってしまう。



 こんな状態だから山道に掛ると予定以上に時間がかかり、相棒にも随分と迷惑
をかけていた。(写真:四国遍路道・焼山寺遍路ころがし)(続)





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肉刺の処置(四国遍路の旅・高野山編)

2015-08-28 | Weblog
 歩き遍路がその道すがら泊まる宿は、たまに近くに手頃なのが無く観光旅館と
言う事も有るが、多くは安く泊まれる昔ながらの遍路宿か宿坊、民宿や小さな旅
館である。



 食事が出来て、風呂に入り、柔らかい布団で寝て、洗濯が出来れば良いわけで、
何も高い宿に泊まる必要も無く、多くの場合二食付き6000円程度の宿を利用する。



 歩き疲れた身には、そんな宿でお風呂に浸かるだけで十分で、これが何よりもの
安らぎである。こんな宿の多くは、一人二人程度しか入れない小さな浴槽だが、時
に手足を思い切り伸ばして入れるような大浴場に出会うと本当に嬉しくなる。



 そんな風呂で、見知らぬ遍路同士が出合えば、当然話は苦労話へと向いて行く。
見ればその足元も、テーピングされ、シップや絆創膏が張られ、時には足指の爪が
黒くなっていたりもする。



 歩き遍路は誰しもが足元には、苦しめられているようだ。
そんなある日、ある宿で、先達から良い話を聞いた。
「肉刺は放っておいたらダメ。すぐに潰し、水さえ出せば後は何ともない」と言う。



 早速試してみると、これが中々良さそうで、以後歩きに出るたびに少し太めの木
綿針を持ち歩くようになった。
ライターで針先を十分に焼き、出来た肉刺に何か所か穴を開け、たまった水を絞り
出し、後はしっかり消毒液をふりかけ、絆創膏かテープを巻いておく。
 夜なら、明けた穴に木綿糸を通したままにすると、寝ている間に穴がふさがり再
び水が溜まることも無い。



 この処置は殊の外効果的で、以後は肉刺に悩まされ、痛くて歩けないなんてことは、
格段に少なくなった。(続)





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無謀な計画(四国遍路の旅・高野山編)

2015-08-26 | Weblog
 四国を回る遍路は、88番札所・大窪寺で満願を迎えると、引き続きお礼参りと
称して1番札所・霊山寺に戻り、その後高野山・金剛峰寺に向かい、その奥の院・
大師御廟にお参りし、結願するのが一般的な作法とされている。



 まだ修行の道場・土佐路で難行を強いられているころ、この高野山行について、
何となく相棒との間では「どうせ行くのなら・・・」と、この時点では無謀ともいえる
思いがお互いの胸中に燻り始めていた。



 この土佐路の海岸を歩いているころ、足の裏は肉刺だらけであった。
歩き続けるほどに足の裏はヒリヒリと熱くなる。指と指は擦れて痛くなる。



 やがてそんなところには肉刺が出来、その肉刺は進むほどに大きくなり、やがて
潰れ、体液が出る。靴の中でふやけた皮は忽ち剥け、柔らかな薄桃の皮膚は瞬く
間に裂けてそこからは血が滲んでくる。



 そんな足をテープでぐるぐる巻きにして、引きずるようにして歩いていた頃である。
何でこんなに苦労しながら・・・、痛い思いをしながら・・・、歩いているのだろうか?
誰に頼まれたわけでも無いのに、格段の信仰心が有るわけでも無いのに、特別に
願をかけているわけでも無いのに・・・。



 こまで頑張ってきたのだから、もうこんなもんで良いではないか、止めてしまっても
いいのでは・・・。いや、やっぱりやめられない、せっかくここまで来ているのだから・・・。



 そんな葛藤にいつも心の中では自問自答が続いていた頃である。
「高野山、歩いて行きたいね」
この先満願が迎えられるかどうかも知れぬのに、こんなことを考え始めていた。(続)





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海風の悪戯(四国遍路の旅・高野山編)

2015-08-24 | Weblog
 あれは、いつ頃のことであったのか?
恐らく「修行の道場・土佐路」で、長い長い札所間の行程に、難儀を強いられてい
たころ・・・だったと思う。



 土佐路に入ると遍路道の多くは、荒波の打ち寄せる海岸沿いの道を、次の札所
に向けて、ただひたすら黒潮を眺めながら進むことに成る。
車なら、刻々と移り変わる風景に、時に感動し、思わず感嘆の声を上げることもあ
ろうが、たかだか1時間に4キロ程度の移動は、こと海岸線の道ではその目に入る
景観はほとんど変わることが無い。



 いつ見ても遥か先に霞む岬の突端は、霞んだままでなかなか近づいてはこない。
目を足元に転じても、奇岩怪石の大小が散らばる磯は、打ち寄せる波に洗われる
だけで、一向に変わらず、「まだ、いくらも進んではいないぞ!」と、そんな風にも聞
こえる、変化に乏しい波音を返してくるばかりである。



 加えて海岸特有の風だ。
時に海風は砂煙を巻き上げ、行く手を妨げ、進路をふさぎ、疲れた身体をいたぶっ
てくる。簡単には行かせぬぞ、と思わず体を押し返してくる。
グイと体を横に揺るがされたりもする。
そんな意地悪な風も、時に優しく背中を押してくれることがある。
暑さを少し、和らげてくれたりもする。





 どうやら海風は気まぐれで、悪戯が好きなようだ。
そんな、ふく風と絡みながら、長い長い海岸線を歩いているころであった。
まだこの先どうなるか、まったく予測もつかないと言うのに、もうすでにその
先のことを考え始めていた。(続)








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朝の音

2015-08-21 | Weblog
 網戸の前のカーテンを、三分の二ほど開け放っているので寝室は、夜明けととも
に明るさが増してくる。すると、不思議なものでその明るさで自然に目が覚める。
と言っても、こんなに早くから起き出す気など毛頭ない。
 まだ眠気で朦朧と混濁した意識の中で、ぐだぐだと惰眠をむさぼっている。



 バイクの音が近付いてくる。
玄関前で一際弾んだエンジン音は、一気に吹かされて遠のいて行った。
どうやら朝刊が届いたようだ。



 どこかで犬が吠えている。
何かに怯えて吠えたてていると言う風ではなく、何かを訴えるように鳴き続けている。
夜が明けたことを飼い主に告げているのか、空腹を訴えているのか、そんな鳴き声
である。



 東からラジオが近付いてきた。
割れたスピーカーの音が一段と高くなり、そのまま止むことも無く玄関前を離れ、西
の方に遠ざかっていく。

 話し声が聞こえてくる。
二人連れであろうか、歩きながら何を話しているのか良く聞き取れない声が、通り
過ぎて行った。
どうやら、朝の涼しい内に散歩をしようとする人たちも動き出したようだ。



 いつしか犬の鳴き声は止んでいる。
飼い主が起き出したのか、朝食が届いたのであろうか。

 団地から出た車が、乾いたタイヤの摩擦音を残し通り過ぎて行った。
雨は降っていないようだ。
気が付けば、何時しか蝉も鳴き始めている。



 まだ眠気で朦朧と混濁した意識の中で、ぐだぐだと惰眠をむさぼりながら、朝のこ
んな音を聞くともなく聞いている。
何とも至福なひと時である。どうやら今日も暑い日になりそうだ。(完)


(写真:和歌山県・熊野古道 本文とは無関係)





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扇風機

2015-08-19 | Weblog


 そんな熱帯夜の折、我が家で活躍するのが扇風機である。
最近では川内原発が再稼働したものの、電力事情の事も有り消費電力の少ない
扇風機等が見直されているようだが、クーラーを我慢している我が家の寝室では、
30年以上も前から頑張っている。



 扇風機は、開放し網戸に成った窓に、三分の一ほど開け放ったカーテンのその前
に置いている。
ベッドに横になり、片膝立てればその膝頭を、上体を少し起こせばその頭頂を、僅か
に感じる程度に風は上向きで、首を振りながら夜通し風を送り続けている。
直接体に風を当てることなく、重く暑く淀んだ室内の熱気を撹拌し、逃がす役割を担
ってくれているのだ。



 四半世紀も前のこと、有る夏の日に、知り合いの息子さんが亡くなった。
夜勤を終え、何時ものように自室で眠りについたが、起き出す時間になっても姿を
見せないことを不思議に思った家人が、部屋を覗いて異変に気付いたが早手遅れ
であったと言う。

 所謂突然死である。枕元では、扇風機が首も振らず、強風を送り続けていた。
後で聞いたが、これがいけなかったらしい。


 
 そんな話を聞いて以来我が家では、扇風機は出来るだけ直接体に当てず、首振
で使うように心掛けてきたが、これで十分である。



 窓は開放し網戸に成っているし、カーテンも三分の一ほど開け放っているので、
その前に置いた扇風機からは、熱帯夜と言え、室内の淀んだ熱気よりは多少ましな
冷気を送り続けてくれる。
我が家ではそんな扇風機が、クーラーに代わって夏の夜の主役を続けている。(続)


(写真:長野県・別所温泉 本文とは無関係)





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ヒートアイランド現象

2015-08-17 | Weblog
 熱帯夜の原因の一つに、ヒートアイランド現象が有る。
山野が開発され、田畑が埋め立てられ減少し、川や用水の護岸は石やコンク
リートで固められ、或は地中化され、周辺から緑が少なくなった。



 地のままの土地が減りアスファルト舗装や、熱をためやすいコンクリート造りの
建物が増えたことも一因だ。
大きな建物は、風の通り道を遮り、或は流れを変えてしまった。
さらに無視出来ないのが自動車やエアコンからの放熱である。
これらによってヒートアイランド現象がもたらされると言われ久しい。



 何年か前、JR岡山駅の橋上化工事の折り、その駅務室や周辺商業施設で使わ
れるエアコンの室外機を、階下の在来線ホームの隅に集めたことが有った。
本来ホームは風通しが良いから・・・との思いが有ったのであろうが、夏を迎えると
忽ちこの放熱でホームがサウナ状態に陥り、列車を利用する客から散々な苦情が
出た。



 JRは、急遽ミストクーラーや冷風機の設置で取り繕ったが、この程度では放熱の
熱さは凌げず、結局工事をやり直し、室外機を他の場所に移設したことが有った。



 公共交通機関に恵まれた地にあっても、今は完全な車中心の社会で有る。
車の排熱も無視は出来ない。
 最近のビルやマンション、建物や住居などは、当初から自然の通風よりも、エアコ
ンを使う前提で作られているものも多い。



 従って当然のことながら、エアコンは増え、結果その室外機が放熱する熱気も増
加傾向になる。こんなわけだから、今後も熱帯夜の増加・長期化傾向はますます
避けられないのかもしれない。(続)


(写真:福岡県・門司港レトロ 本文とは無関係)




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熱帯夜

2015-08-14 | Weblog
 我が家の寝室には、クーラーが無い。
眠られないほどの熱帯夜が何日も続くと、やはりクーラーが欲しいと思う。
しかし、何時も「そう何日も続くものでもない・・・」と、言い聞かせ、我慢をしてきた。
そんな我慢が、もう30数年も続いている。



 最近では自宅の近辺でも開発がジワジワと広がっている、とは言え、まだまだ周
りには豊かな自然が残されている。
だから吹きさえすれば、田畑や川面を渡る風は爽やかで心地いい。



 そんな自然の風を期待して、夜は、寝室の南と北側に有る窓を開け放ち、網戸だ
けにしてカーテンを引く。それも全部引いてしまえば折角の夜風を遮ってしまうので、
三分の一程度は開けたままだ。
こうしておけば、すこしの風が有れば大抵の夜は過ごすことが出来た。



 しかし、最近では夕方になるとパタリと風が止んで、その後も蒸すような昼間の暑
さがそのまま残る夜が多くなった。所謂熱帯夜と言われる奴だ。
「夜間に成っても最低気温が摂氏25度以上」のことを言うのだが、最近ではこれが
全国的に増加・長期化している傾向にあると言い、確実に当地でも多くなったように
感じられる。



 この地では最近、田畑が埋め立てられ、新しい住宅や賃貸アパートが増え、宅地
化がすさまじい勢いで進んでいる。
特にここ二三年の開発には目を見張るものが有る。
そのため、こんな田舎の町でも、俄かに人や車や住居が増えた。



 そんなことが、ここのところの熱帯夜の増加とは無縁ではないのかも知れない。
この夏もことのほか暑い夜が続いている。(続)


(写真:佐賀県・大川内山 本文とは無関係)




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取り巻く自然

2015-08-12 | Weblog
 幸いなことに我が家の周りには、まだ自然が一杯だ。
目の前には標高160mほどの緑に覆われた山がどっかと居座っている。
緑豊かな山であるが、最近では山裾の竹林が、勢力を広げ山肌を駆け上がってい
るように見受けられる。



 そんな山からは北風が吹き下ろしてくる。
時に風は、その麓から自宅までの間に広がる豊かな田圃の砂埃を巻き上げて吹き
込んでくる。だから我が家の車庫はいつも埃っぽい。



 田畑を囲むように、左程川幅の広くない川が流れている。
魚類も多く、岸辺ではカワセミの目撃情報も有るが、残念ながらこの目で見たことは
まだない。春になると岸の桜が、流れを覆うように咲き誇り、近年は特に見応えのあ
る花を楽しませてくれる。小さいが、国・県が管理する一級河川である。



 溜池から流れ出る農業用水が、田畑を縫うように縦横に通っている。
最近は余り見かけなくなったが、田に水を引く頃になるとザリガニや、ナマズ、フナ、
カメがごく自然に泳いでいた。この頃にはホタルも飛んでいた。



 その昔秀吉が備中高松攻めの折り、陣を敷いたとの言い伝えのある山は、開発
で宅地化されたとは言え、その斜面の一部は雑木林のまま残されている。
この地に住み始めた頃は、自宅の庭からそんな林で遊ぶ野生のキジを目にする事
も有った。



 さすがに近頃はいなくなったが、まだまだ自然に恵まれているので、風さえ吹けば、
暑い夏、昼夜を分かたず、この地を渡る風は爽やかで本当に心地良い。(続)


(写真:山梨県・清里 本文とは無関係)




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石段街 (JR全線乗潰しの旅)

2015-08-10 | Weblog
 伊香保温泉の石段は、400年以上も前に現在の原型になる整備が行われている。
そして最近その石段は更に増やされて365段になった。
「一年365日、温泉街が賑わいますように・・・」との願いを込めてのことだそうだ。



 その願い通り訪れたこの日も、大勢の人々で賑わっていた。
石段の両側には旅館やお土産屋さんや、お食事処など間口の狭い家が立ち並ん
でいて、そんな店先を覗き、冷やかしながら大勢の観光客が「しんどい、しんどい」
と口にし、そのことを楽しむように上り下りしている。



 石段の途中には、なつかし横丁と言う店が有る。
まるで昭和の縁日にタイムスリップしたような場所で、大勢の大人が童心に帰り、
射的や輪投げを楽しんでいる。
元祖温泉まんじゅうの店先や、こんにゃくを売る店先の縁台にも、嬉しそうに頬張
る観光客の姿がある。日帰り入浴や足湯で、疲れた身体や足を癒す人も多い。



 温泉街を貫く石段の所々には、左右に細い路地が伸びていて、そこにも沢山の
店が並び、こんな小さな路地にも、浴衣姿のそぞろ歩きを楽しむ人も多く、これが
一種独特の景観を醸し出していて、いかにも人気の温泉地らしくみせている。



 石段には下からの段数が書かれたところや、与謝野晶子の「伊香保の街」と言う
詩が刻まれた場所がある。
そんな石段を探しながら365段を登り切ると、そこには、パワースポットとして知ら
れる伊香保神社が鎮座している。



 近くには伊香保温泉の源泉も有り、そこはまるで温泉街の繁栄を優しく静に見守
っているようだ。(完)





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