簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

湯郷温泉(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-31 | Weblog
 湯郷温泉の歴史は古く、今から1200年余り前、慈覚大師円仁が白鷺に化身
した文殊菩薩に導かれ発見したと伝えられていることから、「白鷺の湯」と
も言われている。



 泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉で、消化器病、貧血病、皮膚病、
神経痛などに効能が有るとされ、白鷺が足の傷を癒した薬湯として、また
美肌作りの湯としても知られていて、それを使って作った化粧水なども温泉
では売られている。





 温泉街は吉野川西岸に開けていて、堤は桜の名所としても知られている。
この川に架かる「ゆ~らぎ橋」では、流れの中に設けられた高さ15m巾27
mもの壮大な噴水が眺められる。夜間にはライトアップされ、白鷺が羽根を
広げたような幻想的な風景を見ることが出来る。



 そんな温泉の中心的な施設が、日帰り温泉の「湯郷鷺温泉館」である。
桧の大浴場や家族風呂、ジェットバス、ミストサウナ、水風呂、洞窟風呂や、
打たせ湯、寝湯など多彩な入浴を楽しむことが出来る。
また、町中には無料で使える足湯「ふれあいの湯」や、河原に設けられた野
趣豊かな「市営露天風呂」もある。



 宿泊者用には「湯めぐりコースター」の販売も有り、「湯郷鷺温泉館」の
他、11軒ある温泉旅館の中から、希望する三か所の内湯を利用することが出
来る。折に触れ色々なイベントも開催されていて、カップルや若い家族連れ
なども多く、温泉街は明るい雰囲気で、「国民温泉保養地」の指定を受けた
この地にかつての歓楽温泉街の面影はどこにも無い。(続)





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かつての歓楽温泉(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-29 | Weblog


 美作三湯とは、岡山県の北部、美作地方にある湯郷・奥津・湯原の三つの
温泉地を総称した呼び名である。何れの地も山や森に囲まれて、中心を川が
流れる鄙びた趣あるところで、風光明媚ないで湯の里として、西日本でも有
数の温泉郷を形成している。
そんな三湯の代表格が湯郷温泉である。



 温泉街の周辺には緑豊かな丘陵地が広がっていて、そんな地勢を生かした
幾つものゴルフコースが有り、昼間プレーをした後、夜は温泉を楽しみ、一
大イベントの宴会が終わればコンパニオンなどと町の飲み屋に繰り出し、更
には何軒もあった劇場で思い思いにショーを楽しむ。



 かつてはそんな歓楽温泉地として名を馳せ、関西方面からはマイカーや観
光バスで、中国自動車道を使って訪れる大人のおじさん客で賑わった時期が
有ったが、バブル崩壊とともにそんな喧騒はあっけなく去り、今では静かで
落ち着いた雰囲気のある、いで湯の里に生まれ変わっている。



 大人のおじさんや、職場旅行の団体客で賑わった劇場も今は無く、「てつ
どう模型館&レトロおもちゃ館」「現代玩具博物館・オルゴール夢館」など
の施設が立地し、町ではこれらで町おこし、おもちゃフェスティバルを開催
し、おもちゃのまち宣言を出している。



 温泉街の北部には、緑の中にジョギングロード、サッカー・ラグビー場や
野球場、グランドゴルフ場やテニスコートや体育館などの施設が集約し設け
られている。
合宿など、温泉とスポーツを組み合わせた「健康リゾート地」として売り出し
中で、ここは女子サッカーなでしこリーグ、「岡山湯郷Belle」の本拠地として
も知られている。そんな努力の甲斐あって、温泉は2017年5月には「国民温泉保
養地」の指定を受けた。(続)





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林野駅(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-26 | Weblog


 姫新線は美作江見を出ると、旧出雲街道と吉野川に挟まれるように西に向
かう。遠くに那岐山を始めとする中国山地の山並みを望み、線路の近く遠く
に川が流れ、よく手入れされた田畑が広がり、そんな中所々で僅かばかりの
集落が時々姿を見せてはすぐに後ろに遠のいていく。



 そんな景色の中やがてやや北に進路を変え、それらと別れるとその先が楢
原駅で、更に進み中国自動車道の高架に出会うがすぐに分かれ、今度は吉野
川に注ぐ梶並川の流れに沿いながら林野駅に到着する。



 単式ホーム1面1線の駅で、所在する美作市の玄関駅である。
ホームから駅舎は少し離れていて、その間には花壇と言うか、緑地帯になっ
ていて様々な花木が植えられ、幾つもの植木鉢が無造作に置かれていた。
駅利用者はその間を抜けることになる。



 ここ林野は美作三湯の一つ「湯郷温泉」の最寄り駅で、駅舎の待合には、
温泉の宿泊施設の案内も掲げられている。

 大勢の温泉客でごった返して、駅前には送迎の車が溢れている、と言う
光景を期待したいところだ、残念ながら何となく寂れた感じで、華やかさ
に欠けるのは、駅そのものにも賑わいが感じられないからであろう。



 その温泉街は駅の裏を流れる梶並川(吉野川)の下流3Kmほどの所にある
ので歩くにはやや遠く、駅近くにあるバスセンターから市営のバスを利用す
るか、駅にタクシーを呼ぶかの選択となる。

 また岡山駅前・市内からのバス便もあるが、それらは一日数本しかなく、
しかも時間もかかるので便利とは言い難く、タクシーやマイカーに頼らざる
を得ないのが現状だ。そんなところにもかつては歓楽温泉として活況を呈し
今はさびれてしまった有名温泉の現状が窺い知れるのである。(続)





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あじさい寺・大聖寺(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-24 | Weblog
 「バレンタインパーク・作東」から更に北東に10キロ近くも入り込んだ
山の中に「大聖寺」が静かに佇んでいる。
兵庫県と県境を接する地で、ここまでの公共交通機関の便はなく、マイカー
を使うか、美作江見駅前からならタクシーを飛ばすことになり、時間にして
20分ほどのところである。



 山陽地方には岡山、広島、山口の各県で構成する、「山陽花の寺・24ケ寺
巡り」というのがあり、最近ではこれが静かな評判を呼び、巡る人々も次第
に多くなっていると聞く。



 広島県の宮島の地にある大聖院を第一番札所とし、そこから西へと時計回
りに進み、「芳(かぐわし)の国・山口」を経て、「美(うるわし)の国・
岡山」から、「癒(いやし)の国・広島」の第24番札所・観音寺に戻る巡礼
路だ。この間各々の県に有る八ケ寺を、花をご縁に、癒しやパワーを求めて
廻ろうとするものだ。最近では御朱印集めも加わっているようだ。



 ここ「大聖寺」もそんな山陽花の寺・札所の一つで、この寺でしか見るこ
とのできない幻の秘花「仙翁花(せんのうげ)」や、アジサイ寺としても知
られたところである。
参道や本坊の周辺はもとより、山の斜面を利用したアジサイ園は約一万坪の
広さを誇っていて、シーズンには「あじさい花祭り」も開かれる。



『武蔵は沢庵和尚の説得に自ら縛られ七宝寺の千年杉に吊るされた・・・』



 吉川英治が小説「宮本武蔵」の構想を練るのにこの寺に逗留した際、ヒン
トとなったのが山門前に立つ2本の大イチョウである。
傍らにはNHKの大河ドラマ化を記念した、「武蔵とお通」の像が建てられ、
こんな山間の古刹をさらに有名にした。(続)





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バレンタインパーク作東(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-22 | Weblog


 美作江見のホームには、「大聖寺 北東へ10Km」「総合中央公園 北東
へ1.5Km」と書かれた名所ガイドが建てられている。



 駅を出て、江見の集落を抜け、中国自動車道の高架を潜り、さらに進むと
道は上り坂となり、やがて広大な緑の広がる丘陵地へと登っていく。
そこは、駅の名所ガイドにあった「総合中央公園」で、今では「バレンタイ
ンパーク・作東」と呼ばれているところである。



 旧作東町は、フランスのセント・バレンタイン市と「愛」をテーマとして
国際姉妹都市縁組を結んでいて、それを象徴する場所がこの地である。
豊かな自然の溢れる丘陵地に広がる「バレンタインパーク・作東」は、広大
な敷地の中に様々な施設が集約された「愛」をテーマとした多目的パークで、
まさに総合中央公園の名に相応しい威容を誇っている。



 その中心になるのが傾斜地を利用して作られた「愛の泉」に立つ「天使と
恋人達の像」だ。フランス在住のレイモン・ペイネ画伯の原画をもとに、イ
タリア産大理石で彫像されたもので、1990年に建てられた。
されに2007年には、地域活性化支援センター主催の「恋人の聖地プロジェク
ト」により「恋人の聖地」に認定されている。



 周辺には、レイモン・ペイネの作品140点余りを所蔵・展示する「作東美
術館」や、数々のスポーツ施設、「作東バレンタインホテル」、「作東歴史
民俗資料館」などが立地している。
車窓から、あるいはふもとから見え隠れしていた三角屋根の塔は、このホテ
ルの一日一組オリジナルウエディングが挙げられる結婚式場の塔である。(続)





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ホームの名所ガイド(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-19 | Weblog
 車窓からは小高い山の頂付近に建つ、何やらメルヘンチックな建物、三角
屋根の塔が町屋の隙間から見え隠れする。
山里には何だか似つかない建物のようでもある。



 美作江見駅、ここは行き違いのできる二面二線を持ち、小さな木造の駅舎
がなんだか懐かしくなるようなそんな雰囲気の駅である。



 ホームには、錆びて黒く汚れた名所ガイド板が建てられている。
昔はどの線の、どんな駅にも、白いペンキを塗った木製のガイド板が建ち、
「おらが町の誇り」のような名所・旧跡が書かれていたりした。
時には簡単なイラストが添えられたものもある。
しかし、最近では都会駅を中心に随分と減ったようで、地方の駅でも見ら
れないところも多くなった。



 門前町や城下町であればそのランドマークが、さらには川や山の景勝地か
ら史跡や伝説の地に至るまで、駅のホームの名所案内にはその町の観光が凝
縮されている。



 中には駅から随分と離れた地までもが当然のように書かれていたりして、
昔の観光はやはり鉄道を中心に開けていと言うことが実感できた。
この町にこんな処が在ったのか、こんな物が有るのか、と初めて知ること
も多く、それはまさに社会科や歴史の教科書のような役割を果たしてたと
思ってみたりもする。



 駅に着いて列車のスピードが落ち、ゆっくり流れる車窓から駅弁売りの声
が飛び込んできて、駅名標と並んでホームに立つこんなガイド板を見つける
と、ああ着いた・・・と言う気持ちになったものだ。
列車を降りることが叶わない町で、たとえその場所に行けなくても、それを
眺めているとなんだか行ったような気になれるのがうれしかった。



 今や駅弁売りはすっかり影を潜めてしまった。次はこの名所ガイド板が消
え去るのかと思うと、錆びていても残されていることが嬉しくなる(続)



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武蔵の里(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-17 | Weblog
 智頭急行線の宮本武蔵駅を後に旧因幡街道を10分ほど歩くと、その昔は
美作の国宮本村、今日では、美作市宮本(旧大原町宮本)と呼ばれる地に
「武蔵の里」がある。



 武蔵の生誕地はここ美作説と、自身が五輪書に明記したと言われる播磨
説があるらしいが、吉川英治が小説「宮本武蔵」では当地の生まれとした
ことからその通説が今日では一般的になっているようで、そこから「武蔵
の生誕地」として町おこしを続けてきた。



 そんな町にとっての大恩人・吉川英治の記念碑を挟むように、右側には
「宮本武蔵生家跡」があり、傍らには町民有志の寄付金による「宮本武蔵
生誕地碑」が建っている。記念碑の北側には宮川が流れ、その向こうには
「讃甘神社」が大きな木立に囲まれるようにして立っている。
幼少のころ、太鼓を打つ撥が発する音から、二刀を案出したとされるのはこ
の神社の祭礼を見てのことであった。



 その前にあるのが「武蔵の里 五輪坊」である。
大きな鯉の泳ぐ池を中心とした回遊式の日本庭園を持つ宿泊施設で、源泉か
け流しの温泉入浴施設も備えている。
敷地内には広大な剣道場が建っていて、大学などの合宿利用も多いらしい。



 館内のロビー前には「武蔵資料館」(有料)があり、直筆の「達磨頂相図」
や、自作の「鍔」をはじめ、NHK大河ドラマの折使用された衣装などが展示さ
れている。



 旧因幡街道をそのまま南にたどれば、道は緩やかな登り道に転じ、途中武
蔵の墓のある「武蔵神社」があり、そこをさらに上り詰めれば街道の要衝、
鎌坂峠である。
その峠下には、銭一貫を出しても飲みたいおいしい水と言われる「一貫清水」
が今もコンコンと湧き出ている。(続)





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宮本武蔵駅(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-15 | Weblog
 姫新線の美作土居や美作江見の位置する作東地域は、旧美作の国の北東
部に位置し、旧播磨の国境に近いところで周辺は、剣聖と言われた宮本武
蔵ゆかりの地である。
とは言え、美作土居なら30キロ以上、美作江見でも18キロもの距離があり、
公共交通機関の便もなく、とても最寄り駅とは云い難い。



 しかしその点、智頭急行線ならそのものずばりの宮本武蔵駅が間近にあり、
ここなら武蔵ゆかりの「武蔵の里」までは至近で便利がいい。



 この智頭急行線は山陽本線の上郡と、因美線の智頭の間56.1Kmを14駅で
結ぶ第三セクターの鉄道線で、関西と山陰を結ぶ短絡線として、大阪方面
からは特急「スーパーはくと」、岡山からは特急「スーパーいなば」が鳥
取まで運転されている。



 宮本武蔵駅はそんな智頭急行線の高架線上に作られた、瓦屋根を乗せた和
風の民家のような建物で、無人駅である。
岡山県内には、井原鉄道線に「吉備真備駅」というのもあるが、人名のつ
いた駅は全国でも珍しいという。



 一面一線の小さな駅で、その狭いホームには「作州宮本村 宮本武蔵生誕
地」と書かれた武蔵の肖像画が掲げられている。
高さが2メートルほどもある画で、二刀流を構える姿は剣豪の迫力満点で、
晩年のもののようだ。これを見れば、いやが上にも剣豪の故郷を訪れたとい
う期待感が掻き立てられる。



 駅舎の階段を下りると、ちょっとした緑地広場があり、そこに若かりし頃
の武蔵、というよりは「たけぞう」と「お通」「又八」が棒切れを持って野
山を駆け巡る姿を模した像が立っている。
どこからか元気な声が聞こえそうな、そんな気がする駅前である。(続)





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土居宿(JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-12 | Weblog


 姫新線は万ノ峠トンネルで国境を超え、旧美作の国に入ると、最初に停車
するのが美作土居駅である。
ここは山間の静かな里山に佇む一面一線の無人駅だ。
かつては行き違いのできる駅であったのであろう、その名残のホームが草深
く朽ちかけて反対側に残されている。
ホームにはポッンと、「杉坂史跡」「土居一里塚」と書かれた名所ガイドが
立っている。



 駅を出て南にまっすぐ100m程歩くと、東西に通じる道に行きあたる。
その角に、およそその場に似つかない、唐突な感じの門が聳え建っている。
案内板によると「西惣門(関門)」と書かれていて、旧出雲街道の土居宿の
西の出入り口に建てられていたものの復元だという。



 旧出雲街道の土居宿は、美作七宿の一つとして、本陣・脇本陣や人馬問屋
場などが立ち並ぶ戸数100戸余り(元禄年間)の宿場町である。
ここは播磨の国と国境を接する地で、その警備のために宿場の東西には惣門
が設けられた。このように宿場の両端に総門を構えるのは全国的に見ても珍
しいことらしく、それだけこの地が重要な場所であったと言うことであろう。



 旧街道沿いの建物は、かつてのものは殆ど残ってはいず、街道を歩いても
雰囲気を感じることはできないが、「西惣門」から100mほど街道を西に向か
うと、両側に見えてくる大木に往時の面影を偲ぶことが出来る。



 慶長年間に時の藩主・森忠政によって整備された旧街道の一里塚の跡で、
当時は北塚には黒松が、南塚には榎が植えられていたという。(続)



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旧出雲街道 (JR乗り潰し・姫新線)

2018-01-10 | Weblog
 旧出雲街道は播磨国・姫路を始点に、出雲国・松江に至る街道である。
出雲往来ともよばれ、古代には京の都から山陽道を通り、姫路や上月、津
山を抜けて出雲に向かう官道であり、出雲大社への参詣の道であり、また
山陰地方からは主要な上洛の道でもあったと伝えられている。



 江戸時代になると山陰からは岩見・伯耆・出雲などが、山陽側では勝山や
津山などの諸大名が江戸への参勤交代に向かう主要な街道として本格的な整
備が進んだ。沿道の各地に宿や人馬を手配する宿場が開かれたのも、大方こ
の時期だと言う。



 そんな旧出雲街道は、播磨から万ノ峠を越えると、現在の岡山県の北東部
美作の地に入り、津山盆地を横切るように西に進み、途中勝山を過ぎると北
に進路を変え、中国山地の四十曲峠を越え出雲に向かっていた。



 この間美作路には、土居・勝間田・津山・坪井・久世・勝山・美甘・新庄
に宿場が置かれこれを「美作七宿」と呼んだ。
(津山は城下町なので、宿場としては数えない)



 このルートは現在のJR姫新線のルートとほぼ一致する。
そのため沿線の美作土居から中国勝山辺りにかけては、どこも駅近くには旧
宿場町の面影を色濃く残す旧街道が良く残され、整備されていて往時の繁栄
を偲ぶことが出来る。



 こんな各駅では途中下車し、旧街道の雰囲気を楽しみながら歩いてみる。
姫新線はそんな電車の乗り継ぎと、旧街道歩きやその宿場町歩きの両方が楽
しめる路線でもある。(続)



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