簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

古代吉備の国(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-06-29 | Weblog
 岡山市の西部から、総社市にかけて広がる桃太郎線(吉備線)の沿線地域は、
かつて3世紀末の古墳時代から飛鳥時代にかけ、中央の大和政権と競うほどに、
或は時に敵として描かれるほどの強大な勢力を持ち、高度の技能文化を持つ「吉
備の国」が栄えたところである。





 昔から温暖な気候と肥沃な土地、豊かな自然に恵まれたこの地では、古墳が築
造された5世紀前半には山間で鉄が生産されていたらしい。



 当時の古墳からは鉄滓(てつさい・製鉄時に出る鉄の屑)が出土している。
また、当時の瀬戸内海の海岸線は、吉備高原と言われる高地の辺りまで入り込
んでいて、その海浜部では塩の生産も行われている。



 最近の研究では、邪馬台国成立前、九州と畿内勢力の中間に位置し、キャス
ングボードを握っていた吉備が、畿内勢力と手を結び大和政権の成立を図った
とされている。

 然しその後、その力を畏れた大和政権はこの地を、備前・備中・備後の三国に、
さらに備前の北部を美作として分割し、しだいにその威光を減じ、勢力を削ぎ、や
がては大和政権の支配が及ぶようにしてしまった。



 今日偲ばれる繁栄ぶりはこの地域に残されたそれら有力者のものとされる巨大
な古墳群やその埋葬品、塩・鉄・須恵器などの生産遺跡など、考古学的な発掘で
窺い知ることが出来る。



 そんな古墳から出土した特殊壺と特殊器台は、弥生時代の「吉備の国」を特徴づ
けるものとして注目を集めている。それらは「吉備の中山」にある、「岡山県古代吉
備文化センター」で間近に見ることが出来る。(続)




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一つ星平野(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-06-27 | Weblog
 岡山では駅西口(運動公園口)の再開発が進む中、俄かに熱を帯びてきたのが、
桃太郎線(吉備線)のLRT化の検討である。



 桃太郎線を電化し駅数を増やし、全駅のホームをバリアフリー化し、ピーク時は
6本、非ピーク時でも4本の運行を確保することで、現行一日当たりの利用者一万
人余りをさらに増加させようと言うのがLRT化の構想である。
しかし初期投資額は160億円以上とも言われ、現状ではこの負担が議論の進展を
妨げる最大の要因になっているようだ。



 桃太郎線と並走する国道は、日常的に渋滞の激しい道路として知られている。
特にお正月なぞは、沿線の吉備津神社、吉備津彦神社、高松稲荷など社寺の参
拝に向かう自家用車などで身動きが出来ないほどだ。





 また、沿線各地は開発が進み、人口が増加する中で、病院やスーパーなどの施
設が分散し、過度に自動車に依存する構造が指摘されており、そうしたことからも
駅を核とするコンパクトシティー化を進めるには桃太郎線のLRT化が必要と分析し
ている。



 更に言えば、桃太郎線沿線にはかつて強大な力を誇ったとされる古代吉備の国
にまつわる史跡も多く、貴重な観光資源ともなっている。
しかし沿線の各駅が、その最寄りの玄関駅となり、観光の拠点になっているとはと
ても思えないのが現状だ。



 昨年吉備路周辺地域の「吉備平野」が、ミシュラン評価で「星なし」から「一つ星」
に昇格した。これにより外国人観光客などの更なる増加も見込まれる。
 そんな中での桃太郎線のLRT化は、通勤・通学や生活の質の向上を図ると共に、
沿線に点在する観光地とを結ぶ足ともなれば吉備路観光に新たな時代の幕が開
くことに成る。(続)



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吉備線 (JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-06-24 | Weblog
 岡山駅は、山陽本線や瀬戸大橋線など7線が乗り入れ、山陽新幹線は全ての
列車が停車する、中国地方では屈指の鉄道結節点である。



 東と西を結ぶ動脈であり、山陰方面や、四国各県の県庁所在地へ接続の特急
列車が発着する一大ターミナル駅で、一日の乗降客数はおよそ12万人だ。



 そんな比較的長距離路線が乗り入れる中、僅か20.4Km、10駅ほどの短い路線、
非電化の単線で、各駅停車しか走らない路線が吉備線である。
1904年に私鉄の中国鉄道として開業したのが始まりで、岡山県内でこれは津山線
に次ぐ古さであり、2014年には開業110周年を迎え、賑やかに記念のイベントが繰
り広げられた。





 岡山市と総社市を結ぶ沿線各地は、宅地開発も進み、人口が増加し岡山市の
ベットタウン化が進んでいる。また高校・大学や、病院・スーパーなどの立地も多く、
朝夕は通勤通学の乗客で混み合っているが、現在は朝夕のピーク時は2~3本ある
ものの、日中は1~2本程度で、決して便利の良い路線とは言い難い。



 また沿線一帯は古代に栄えた「吉備の国」の中心地であったとされる地域で、今
は「吉備路」と言われる地を東西に横断する。
ミステリアスな古代遺跡や巨大な古墳群、歴史ある神社仏閣を初め城跡、江戸時
代の町並みなど多彩で歴史ロマンを感じさせる。
春の花、夏の新緑、秋の紅葉などの名所の多くも点在する観光路線である。



 こんな吉備線に、「桃太郎線」と言う愛称が付けられ、路線記号は「U」、イメージ
カラーは「ピンク」に決まり、2016年4月から運用が始まっている。
桃太郎伝説のモデルとされる吉備津彦命にまつわる場所や、史跡が多いことが
考慮されてのことだという。(続)



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スローな因美線(JR乗り潰し・因美線)

2016-06-22 | Weblog
 平坦で何も無い、ただただ広いだけの構内。
もう長い事、列車が走っていないのであろう。
草生し、半ば土砂に埋もれかけ、錆びてしまった鉄路。
昔は大層活気を呈してであろうことをうかがわせる線路の無い何本ものホーム。
かつての繁栄の名残が哀しい。





 やっと列車を収めるだけの、何とも心もとない粗末なホーム。
ポッンと佇む無人の木造駅舎。懐かしい匂いのする木の改札口。
粗末な待合室の古びた木の椅子に、住民手作りの座布団。
しかしそんな建屋のない駅すら存在する。



 ローカル線の列車は各駅に停まる。
停車時間は短く、乗り降りもない。だから扉はすぐに閉じられる。
だったら停まらなければ良いのに、と思ってみたりもする。
空白だけが目立つ時刻表だから、そうはいかないらしい。





 扉が開くと、そこには忘れかけた故郷が有る。
懐かしい昔日の匂いがする。土地の生活が見えてくる。人との出会いが待っている。
だから列車は停り、扉を開ける。

 真直ぐに山野を引き裂き、ただ早く走るだけの新幹線は移動手段でしかない。
そこには旅情も、何もない。乗客も皆行儀が良すぎて肩が凝る。



 しかしローカル線は違う。何もかも違う。何もないし、気取りがない。
それに、何よりもスローが良い。そこが面白い。

 岡山県下を走るJR線の中でも因美線は、折り紙付きのスローな、正真正銘の
ローカル線である。時にはスローな旅を楽しんでみるのも良いだろう。
(因美線 完 次回からは吉備線(愛称:桃太郎線)です)



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ローカル線の車窓(JR乗り潰し・因美線)

2016-06-20 | Weblog
 車窓を流れる景色が、右に左に、前に後ろにとユックリ、ユッタリ変化する。
時にどこかに姿を消したかと思うと、突然思いがけない方向に再びその姿を見
せてくれる。それは車窓を見つめる乗客と、沿線の風景がまるでかくれんぼを
楽しんでいるようだ。





 乗客もまばらな車内ならそんな車窓の移ろいに連れ、ベストポジションを求め、
席を立つ。時に反対の窓際に、はたまた運転席の横から、あるいは車掌さんもい
ない最後尾から・・・。
絶景を追い求め、カメラを構えてみる。そんな光景を切取り額にはめ込んでみる。



 四角く切り取った絵は、時に僅かながら傾いて見える。
それは線路の傾き。左であったり、右であったり、景色が揺れる。

 ローカル線の列車はそんなカーブを幾つも重ねながら、のんびりゆっくりと、車輪
を軋ませながら進んで行く。



 車内で頻繁に席を替わる事は、マナーとしては褒められた行為ではなく、余り行
儀が良いとも言えないのかもしれない。

 しかしいつも混雑する都会を走る長大編成の電車ではこうは行かないが、殆どほ
かに乗客のいない一両か二両のローカル線の列車ならどうか大目に見てほしい。
他人様に迷惑をかけない程度なら、これもローカル線の楽しみとして許してほしい。



 多少なりとも他人様の目も気にしつつ、そう心の中で詫びながら、列車に乗ると
こんなことを繰り返し、相変わらず写真を撮りまくっている。
これが楽しくて列車に乗るわけだから、これだけはどうしてもやめられない。(続)





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日本原と山の駅(JR乗り潰し・因美線)

2016-06-17 | Weblog
 那岐駅の南にある那岐山(標高1255m)は、岡山と鳥取の県境に位置する山
である。
その岡山側の南麓には日本原と呼ばれる、標高200m~400mの火山灰に覆わ
れた台地が広がっている。土地の多くを明治期以降は陸軍が、現在では陸上自
衛隊が演習地として使っていることで知られている。



 ここの地名は「奈義」と言う。
同じ“なぎ”ではあるが、鳥取側では智頭町にあるJRの駅も神社も郵便局も駐在
所も「那岐」と書くが、岡山県側ではなぜか「奈義」の字が使われる。





 那岐山の山名が、伊邪那岐と伊邪那美の国造り神話に由来することから「那岐」
の字が使われるようになったのか・・・等と思ってみたりするが、岡山側の「奈義」
にはどういった謂れが有るのか、などとこちらの方も気になったりもする。





 那岐山麓に広がる奈義町には「那岐山麓・山の駅」が有る。
豊かな自然に恵まれた地に、アルプスの田舎家をイメージした姿で建てられた施
設には、町の特産品やお土産を販売するショップやレストラン、体験や研修のため
の施設が有る。
また広大な敷地を利用した「山野草公園」や、暖かな木の温もりが感じられるコテー
ジなども併設されている。



 この町は太古の昔はマングローブの生い茂った海抜ゼロメートルの海辺であった
とされ、ビカリヤ(巻き貝)を中心とした動植物の化石が多数出土していて、町内に
はその歴史を伝える「ビカリヤミュージアム」が有る。
 また法然上人が修行した「菩提寺」や、「奈義町現代美術館」など見どころも多く、
それらを巡る拠点に山の駅は丁度いい。(続)



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パン屋・タルマーリー(JR乗り潰し・因美線)

2016-06-15 | Weblog


 那岐駅は、昭和7年の鉄道開設当時の面影を今に伝えている。
因美線でも名うての豪雪地帯らしく、雪囲いの屋根・壁が設けられた急な階段を上
るとそこに2面2線のホームが有る。
上り線と下り線のホームは結構長く、少しずれた位置にあるのはかつては長大編
成の列車がここでタブレット交換をした名残であろう。



 無人化された駅にはその後那岐町の診療所が設けられている。
と言っても診療日は月2回、診療時間は2時間、内科だけである。
これは「みどりの風が吹く過疎のまち」人口8000人ほどの智頭町にある智頭病院
による支援事業らしい。



 そんな駅から歩いて10分ほどのところに、自家製天然酵母を売りに、カフェを併
設したパン屋さんがオープンして近頃評判になっている。
「パン屋 タルマーリー」だ。
閉園になって利用されていなかった那岐保育園の建物を改装し営業がはじまった。



 地域の天然酵母、自然栽培した原料や天然水を使い、パンを焼く石窯の燃料に
は地元の薪を使う。過疎の地に有るからこそ里山の恵みを最大限に生かし、今こ
こでしか作れないパンとビールにこだわり挑戦を続けていると言う。
製造に使う“菌”を通して地域社会と一緒に進み、新たな地域循環を作っていこう
と言う課題への取り組みだ。



 千葉県のいすみ市から一時岡山県の勝山市に移転し、更にその後適地を求め
2015年の6月にここに居を構え今年で一周年を迎えている。
そんなパン屋のご主人が書いた「田舎のパン屋が見つけた 腐る経済」と言う本も
2013年の発売以来ロングセラーになっていると言う。(続)





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物見峠・過疎の駅(JR乗り潰し・因美線)

2016-06-13 | Weblog


 県下最大規模を誇る難攻不落の中世山城、矢筈城跡の有る矢筈山を右手に見
ながら、因美線の列車は美作河井駅を出発する。その先で物見川に沿って25パー
ミルの勾配を登り、やがて3077mの物見トンネルに向かう。
これは因美線では最長のトンネルで、その中でも20パーミルと言う勾配を登りなが
ら抜けていく。



 ここは岡山県の北部に聳え立つ那岐山(標高1255m)を貫く、美作の国と因幡の
国の国境である。周辺は杉やヒノキの植林が美しいところで、車窓からも源流に近
い川の流れと共に、そんな美林を望むことが出来る。



 県境の地は雪深いところだ。
鉄道と並行する県道6号線は昔から有った獣道が明治の初めころ開削され、その
後拡幅改修が重ねられ全線舗装されたとは言え、厳しい勾配と九十九折の続く道
で、途中にトンネルを抜けることもなく630mの物見峠を越えて鳥取県に向かう。
そのためこの道路は積雪期には通行止めになることも多いと言う。
そんな峠には高さ2mほどの「県界標」と書かれた石柱が立てられている。



 道路に比べると鉄道は、トンネルで峠を越えるおかげで、雪による不通と言うこと
はまず考えられない。それはラッセル車等の活躍の賜物で、これを支えたのが美作
河井駅に残されている転車台と言うことになる。



 そんな難所の苦労を偲びながらトンネルを抜けるとそこはもう因幡の国・鳥取県
で、最初の駅が那岐駅だ。
そこは山裾の傾斜地に造られた、鉄道開業当時の姿を留める懐かしい雰囲気の
駅である。人気のない広場の先にポッンと建つ駅舎は、下見板張りの木造構造で、
屋根に葺かれた赤い瓦が一際目立って存在感を示しているがこの駅は完全な無人
駅である。(続)





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近代化産業遺産(JR乗り潰し・因美線)

2016-06-10 | Weblog
 実はこの「美作河井転車台」は、ホームの西の外れに当たる場所にあり、東津
山方面からだと駅に到着する直前に、またそのホームの西端に立てばその先に
目にすることが出来る。
しかしそこに行くには現在使われている線路を横切ることになるが、そのための
通路は確保されていない。
間近で見たいのであれば指定された順路に従い駅の裏に回り込むことになる。



 桁の長さ40フィート、明治の初めころ鉄道黎明期に輸入されたものらしく、国内に
は4例程度しか残っていないが、完全な形で残っているのは全国でもここだけと言
う大変貴重なものらしい。
鉄道遺産としてJR西日本の登録鉄道文化財に、さらに2009年には経産省の近代
化産業遺産の指定を受けている。



 東津山方面から鳥取を目指す因美線は、このあたりでは両側に急峻な山が迫り、
厳しい25パーミルの上りが続く。
狭い谷間に幅を狭められた川に沿って、県道と鉄道がもつれるように進む。知和駅
を出るとトンネルを重ね、美作河井に到着する少し前で「松ぼうき橋梁」を渡る。





 県道6号と加茂川を同時に渡るこの橋梁は、橋の全長はおよそ97mと言い五連
のプレートガーダ(ガード)を4本の橋脚が支えている。
その橋脚は円筒形で高さは20m、石張りされた幾何学模様がなんとも美しい。
遠くからこの橋梁の全景を眺めると、25パーミルと言う線路の勾配が実感できる。
山の緑をバックに威容を誇っているこの橋も、鉄道写真ファンにはよく知られた場
所らしい。



 このように因美線には秘境と言われる駅や、登録文化財の駅、近代化産業遺
産の指定を受けた施設等も多く見られるので鉄道ファンには人気の路線と言わ
れている。(続)





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美作河井転車台(JR乗り潰し・因美線)

2016-06-08 | Weblog


 美作河井駅の構内には矢筈城址と書かれた大きな看板が建っている。
駅前にも城跡を示す石柱と説明板が立てられていてそれによるとこの城は駅の
後方にそびえ立つ756mの矢筈山に造られた県下でも最大規模を誇る中世山城
の跡である。



 山全体が城郭、目の前を流れる加茂川がお堀の役目をしていたのだと言う。
ホームの名所案内には、山頂まで徒歩90分と書かれている。



 駅を出てその前の坂を少し下ると、矢筈城の登山道を示す案内板の横に、美作
河井転車台と書かれた写真入りの案内板が建っている。



 案内板に従い危なげな坂を下り、線路の下を潜る暗渠を通り、向こう側に抜けす
ぐに右に折れる。するとそこは周囲の状況が一変し、両側に背丈以上に伸びた雑
草が覆い被さるように茂る中に、踏み固められた道のような通路が延びていた。



 右側は因美線の線路が走っている筈だが、ほとんど見えない。
左は原生林のような山裾が間近まで迫っていて、気味が悪くなるような道である。
害虫の多い真夏のころならとても歩く気がしない、晩秋の今で良かった・・・と思わ
せるそんな道が200mほど続いていた。



 ぬかるむ足元に注意を払いながら先に進むと、突然目の前が開け、墓地があり、
その先に丸く切り込まれた穴に残された転車台が目に飛び込んでくる。
長年この地の土の中に埋もれていたもので、2007年に全国から集まった鉄道ファ
ンの手によって掘り起こされ、その姿を再び現した「美作河井転車台」だ。
当時は、鳥取方面からやって来たラッセル車の方向を変える時に使われたものだ
と言う。(続)



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