簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

東武特急「スペーシア」

2017-09-29 | Weblog


 この日浅草駅に入線してきた列車は、日光東照宮の式年大祭を記念したもので、
金色に塗り込められ車体に、黒と朱色のラインが引かれた荘厳な雰囲気の特別塗
装が施されていた。
東京と日光や鬼怒川温泉を結ぶ「スペーシア」は、東武鉄道が誇る特急列車だ。




 ここ浅草駅はホームの構造上、車体乗車口との間に隙間が広くなる場所がある。
そんなホームに板を持った駅員が何人もいたので、初めは何をするのか気になっ
ていたのだが、列車が到着して納得した。隙間を埋める渡し板で、これは初めて見
る光景で、これもまた旅の思い出としては一興だ。



 車体の側面には「SPACIA」や「日光詣」のロゴが掲示されている。
列車は全席指定の6両編成で、1号車から5号車までが普通車、6号車はJRで言う
グリーン車扱いで4人用の個室が6部屋設けられたコンパートメントになっている。
3号車にはビュッフェや自動販売機もある。
初めて乗る列車はつい車内探検をしてみたくなる。



 座席は片側二人掛けの回転式リクライニングシートが採用されていて、前席との
間隔が心持広く取られているようで、座ってみると圧迫感はなく、シートの座り心地
も悪くない。
窓側に折り畳み式のテーブルが有り、足元にはフットレストも用意されている。



 「当列車の座席指定券は完売です」との放送を後に、特急「きぬ」は発車したが、
座席は二割ほどの空席が有る。この先の停車駅で更に乗り込んでくるのであろう。
沿線の日光や鬼怒川辺りで紅葉が見ごろを迎えているからか、車内には旅姿の
カップルや家族連れ、数人のグループ連れが多いようだ。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草寺

2017-09-27 | Weblog
 門前の混雑はそのまま本堂へと通じる仲見世にも続いている。
観光客は当然日本人も多いが、外国人の姿も本当に多い。そんな中にお年寄り
のグループや修学旅行生などが何人かに群れて歩いているのですごい人の流れ
が出来ている。
時にはスーツを着込んだサラリーマン風の男性を見かけることもある。
出張ついでに立ち寄ってみたと言うところであろうか。



 名物の煎餅や人形焼きを店頭で製造販売などをしている店には、黒山の人だか
りや行列も出来ている。
和風の小物を販売する店先を覗くのは、外国人観光客が多いようだ。
そんななか店が途切れる辻では、所々で右手にスカイツリーを見通すことが出来
たりもするので、そんな場所では立ち止まってカメラを向ける人も多く、流れが滞っ
ている。





 兎に角人の流れに乗り、流されるまま突き出されるように本堂前までやって来た。
境内に入り石畳が広くなったせいか、仲見世の混雑は多少落ち着きを取り戻してい
るがそれでも人の多さは変わらない。
人を避けながら前に進み、石段を上り、今回の旅の安全を早々にお願いする。



 人の多さに閉口しながら本堂を後に、帰路は仲見世の人混みを避け一本裏の通
リに入ってみた。軒を並べる店店の裏口に当たる通りで、どこも固く戸を閉ざしては
いるが、弁柄色に統一された建物が連なる様は、近代離れした異次元で何か別世
界のような趣だ。





 東武浅草駅に向かう通りや店先には、何か曰くが有るのか歌舞伎の白波五人男
をモチーフにした人形などが飾られていた。

 先ほどの裏通りや、この通りで、こんな景色に出会えたことが嬉しくて、人混みに
もまれて仲見世通りを歩いてきたことが何だか馬鹿げたことに思えてきた。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草寺・門前の賑わい

2017-09-25 | Weblog
 心配した品川駅での乗り換えは思ったよりもスムーズに行え予定した電車の
一本前に乗ることが出来たので僅かながら余裕が出来た。
知らない旅先では同じ駅名なのに駅と駅が離れていて慌てた、なんてケースに
出会うこともあるが、今回の地下鉄浅草駅と東武浅草駅が数百メートル離れて
いることも地図で確認して織り込み済みだから心配することは無い。



 そんなわけで、折角ここまで来たのだからと、浅草寺に立ち寄ってみる。
始めて来たのは中学校の修学旅行だからもう何も記憶には残ってはいず、直近は
と記憶を辿ってみても四半世紀前に遡るから、殆どお上りさんのようなものだ。



 地下通路では道を間違えやすいのですぐに近くの階段から駅を上がる。
東京スカイツリーを目印に、雷門通りに出れば左手に目指す浅草寺がある筈だ。



 地上に出て、いきなり目に飛び込んできた前の通りで、客待ちをする人力車の数
の多さに驚かされる。激しく車が行きかう中、客を乗せた人力車が何台も車道を行
き来しているのも不思議な光景だが、力車は軽車両扱いになるので当たり前の事
ではあるが、何だか別世界に迷い込んだようだ。



 歩道にも人が溢れ、自然と左方向に流れが出来ているから、目的地までは迷うは
ずもなく、黙ってこれに乗って行けば問題ない。



 まるでお祭り騒ぎである。
この日が休日だからか、日常的な光景なのかは知る由もないが、表参道に立つ雷
門の前は通り抜けるのもままならないような黒山の人だかりが出来ていた。
吊り下げられた大提灯をバックに写真を撮る人々でごった返していて、何本も自撮
り棒が伸びている。ゆっくり記念撮影、何て雰囲気ではない。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草駅・乗り換え

2017-09-22 | Weblog
 東武浅草駅に向かうため、東海道新幹線を終着の一つ手前の品川で降りた。
ここから都営浅草線に乗り入れる京急電鉄に乗れば、途中の乗り換えなしで浅草
まで行けるからだ。予め調べておいた大型時刻表によると、当駅における京急線と
の乗り換え時間は、12分必要と書かれていた。





 駅舎の東の端にある新幹線ホームから、結構な距離を歩いて改札を出ると、そこ
には東西に通じる自由通路が通っている。
さすがに巨大駅だ。華やかに彩られた広大な通路を流れる人は多く、思い思いに
行き交っていて、そんななかを西側の高輪口にある京急線の乗り場へ急ぐのだが、
気がせいている割に人とぶつかり思うに任せない。



 どうにかたどり着いた京急品川駅で、今度は慣れぬ券売機にてこずり、背中に冷
たい視線を感じながらやっとの思いで買った切符を握りしめホームに行くと、丁度快
速特急牧之原行が滑り込んできた。
新幹線を降りてからここまで11分が経過していた。



 いつものことながら、知らない駅での乗り換えには本当に気を遣う。
主要な駅ならこうして時刻表などの情報を参考にすればいいのだが、初めてのとこ
ろだと、例えば次の列車まで2分しか無いなどと言う場合、多くは到着した反対のホ
ームに列車が待っていたりもするのだが、それは行ってみて初めて分かることで、
計画の段階では本当にこれに乗れるのかと心配ばかりが先に立つ。





 都会なら乗り遅れても何分もしないうちに次の電車がやってくるが、一日に数本
などと言うローカル線の乗り継ぎでは、以後の計画崩壊という致命傷ともなりかね
ないので乗り換えには本当に気を遣う。(続)



にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

品川新駅

2017-09-20 | Weblog
 時間は十分に取っていたので終着の東京で降りても良かったのだが、初めての
ことなので思い切って「新幹線・品川」駅で降りてみた。
東武鉄道の浅草駅に向かうための乗り換えである。



 品川駅は日本で最初に開業した駅である。
新橋(旧汐留駅)と横浜(現桜木町駅)の間に、日本で最初の鉄道が正式に開業し
たのは明治5(1872)年10月15日のことで、それに先立つ四か月ほど前にこの駅は
開業している。



 これは当駅と横浜駅の間が仮開通したことに合わせて営業を始めたもので、当
時は新橋駅との間がまだ竣工しないうちの仮営業であったらしい。



 当時の駅は今よりは南に寄った場所にあり、ホームのすぐ下には東京湾が迫っ
ていた。
これは新線を敷設するにあたり、旧東海道筋にあった根強い反対論を避けるため、
海際に堤防を築いて線路を引いたからだそうだ。
そんな新駅から終点の横浜までは、当初一日二往復が運行されていて、その所要
時間は35分ほどであったと言う。



 そんな歴史ある駅に東海道新幹線の駅としては一番新しい「品川駅」が開業す
るのは、平成15(2003)年10月1日のことである。
飽和状態にあった東京駅の混雑緩和と輸送力増強の役目を担う駅らしく、詳しい
メカニズムは良く解らないが、現在この駅には全列車が停車している。



 列車を降りてみると、何となく薄暗い地下駅のようで、ホームに華やかさが感じら
れない。
それは土産物売り場や立ち食いの店などがなく、観光ポスターなどの掲示物も少
ないせいなのか、はたまた観光客も交じる東京駅と違ってサラリーマン客が多いせ
いなのか良く解らないが、その雰囲気に戸惑う駅である。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆったり会津 東武フリーパス

2017-09-18 | Weblog


 「ゆったり会津 東武フリーパス」は、鬼怒川温泉エリアから会津エリアの間がフ
リーになるお得な切符である。
東武鉄道の主要な各駅から、フリー乗降区間の開始駅となる東武鬼怒川線の下
今市駅(又は東武日光駅)から先、野岩鉄道、会津鉄道を乗り継げ、その間で乗
り降りが自由となる。



目的地により三種類の切符が設定されている。
発駅から下今市駅間の往復乗車に加え、会津鉄道線の会津田島までフリーなの
が「会津田島フリー切符」、さらにその先の芦ノ牧温泉まで有効なのが「芦ノ牧温泉
フリー切符」で、「喜多方フリー切符」ともなると会津線の終点・西若松からJRの只
見線で会津若松を経て、磐越西線の喜多方まで足を延ばすことが出来る。



 切符は通年発売されていて、東武線の主な駅や、全国の主な旅行会社の各支
店・営業所などの店先でも購入ができるが、東武線の各駅以外での購入は別途
取扱手数料が発生するので注意が必要だ。



通用期間は何れも4日間と、名前の通りゆっくり旅が楽しめる設定になっている。
因みに浅草発の発売金額は、「会津田島」なら5,840円、「芦ノ牧温泉」なら6,790円、
「喜多方」なら7,260円である。



別途特急券を購入すれば特急への乗車も可能だ。
発駅の東武浅草からJR喜多方までは何と250キロ以上もあり、この間で鉄道三社
が誇る様々な列車に乗ることが出来るのでそんな楽しみもある。
またフリー切符を提示することにより、割引などの特典を受けることが出来る施設
なども幾つか有りありがたい。(続)





にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊本城の石垣(高千穂ドライブ旅)

2017-09-15 | Weblog
 日本一の名城と言われる熊本城の構成要素の一つが石垣である。
「熊本地震」ではその石垣の一割が崩落し、二割で膨らみや歪の被害を受け、これ
らは積み直しを余儀なくされている。



 再建された天守を始め、櫓や塀など築城当時の姿を残す建物、国の重要文化財
指定を受けた13の建造物等も尽くが被害を受けたが、中でも衝撃的なのは、辛うじ
て崩落を逃れた一筋の石垣が櫓を支える映像であった。



 直方体に切り出した石の一つの角を直線的に揃えながら、長辺と短辺を交互に
積み重ねていく工法で、これにより石垣の強度が増すと言われているそうだ。
これは「算木積み」と言われる工法で積まれた石垣は、いみじくも当時の技術力の
高さを世に知らしめるものとなった。



 熊本市は城の復旧費用を捻出するため一万円以上寄付した個人や団体を「復興
城主」とし、それらの資金などをベースにお城の復旧工事を始めているが、元の姿
を取り戻すのに20年はかかるだろうと言われている。



 崩落した石垣もいったん解体し、内部の栗石からやり直し外側の石を積み直す。
その外側の石の数は10万個とも言われていて、一つずつ手積みで元の位置に戻
しながら修復を試みる。
熊本城の石垣は、場所によって造り方が違っているらしく、伝統的な石積の方法を
守りながらの再建は、大変な難工事が予想されていると言う。



 大天守・小天守の修復予定は平成32年頃と言う。石垣などは更にそこから十数
年も必要とされているが、一日も早い復旧を切に願わずにはいられない。

 そしてその暁には、今度こそゆっくりと名城を楽しんでみたい。
(高千穂ドライブ旅・完)



ホームページ 表紙の写真更新しました


にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊本城(高千穂ドライブ旅)

2017-09-13 | Weblog
 思えばこの熊本には何度も足を運んでいるのに、未だにお城の中に入ったこと
がない。また四十数年前に一度訪ねた、この近くにある水前寺公園にも時間が許
せば立ち寄ってみたいと思っていたが、結局次の機会となってしまった。

 市内電車に乗りお城を尋ねても、何時も時間に追われ駆け足で、石垣を外側
から眺めただけで帰っている。どうゆう訳か、熊本訪問はいつも慌ただしい。





 高くなるほど急勾配になるあの優美な姿を誇る「武者返し」と言われる石垣や、
黒を基調とした天守や櫓群、それを結ぶ塀などは、外から眺めているだけでも十
分に楽しめた。
戦国武将である加藤清正が7年の歳月を要して築いたと言われ、日本三名城の
一つとも、日本一とも言われる名城だからであろう。





 熊本県人に取ってと言うよりも、どこの地の人々でもその地に昔から建ち、町を
いつも見下ろしているお城はシンボルとも言える存在である。
日本全国なにがしかの城下町であるだけに、お城の聳える町並みはそこにお城が
有って当たり前な日常的な光景で欠かせない風景である。
だからこそ、一度取り壊された天守なども、各地で再建されてきた。





 熊本城の天守は西南戦争直前で焼失し、1960年に再建されたものである。
そんなお城は「熊本地震」の前震には耐えたものの、続いて起きた震度7の本震で
は城内のいたる所で多大の被害を受けた。

 地震の規模もさることながら、新聞やテレビなどの報道が伝えるお城の被害は、
その無残な映像が県民だけに留まらず多くの国民に衝撃をもたらすものであった。
(続)

ホームページ 表紙の写真更新しました


にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城彩苑(高千穂ドライブ旅)

2017-09-11 | Weblog



 山都町にある「通潤橋」もあの「熊本地震」の影響を少なからず受けているようで
新聞報道などによれば、いまだに周辺への立ち入りは禁止されているらしい。
ただ道の駅や併設の資料館などは、通常通り営業を続けていると言うから幸いだ。



 思わぬ形で意外な場所に立ち寄れたことはラッキーでは有ったが、帰路のことを
考えると多少の焦りを覚えてしまう。
しかし折角ここまで来たのだからどん欲に何でも見てやろうとの心意気だけは衰え
ない。



 そんなわけで、どうせ遅れついでだからと帰路を熊本まで足を延ばしてみた。
丁度お昼時でもあり食事がてら、お土産もいくらかは買いたくて、熊本城まえの観
光施設・城彩苑に寄ってみた。





 併設の駐車場に車を停め、苑に向かう途中、武将姿の一段と行き違った。
聞けば、「おもてなし武将隊」と言う。
これは乱世を駆け抜けた九州各地の武将たちが熊本城に集結し、町を盛り上げよ
うとする集団で、加藤清正を初め、黒田官兵衛、細川忠興など錚々たるメンバーが
勢ぞろいし、ここ城彩苑や熊本城内で演武を披露しているらしい。



 丁度城彩苑での演武を終え、熊本城への移動中らしく、次は14時半から天守閣
で開演すると言う。「一緒に記念写真を・・・」とお願いしたが、「移動中はお断りして
いるので・・・」と断られてしまった。
混乱を避けての事ではあろうが、せっかくの機会に、思い出作りの時間も少し設け
ても良いのでは・・・等と勝手に思ったりもするのである。

 ならばショーをとの思いはあったが、さすがにそんな時間までこの地に留まること
も出来ず、早々に食事を済ませ、お土産を買いあたふたとこの地を後に高速のイン
ターに車を向けた。(続)

ホームページ 表紙の写真更新しました


にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通潤橋(高千穂ドライブ旅)

2017-09-08 | Weblog
 「百聞は一見にしかず」
今まで大きな勘違いをしていたことを、この地に来て初めて知った。



 熊本県山都町にある歴史的建造物、国の重要文化財である「通潤橋」は、豪快
な放水の光景が良く知られていて、それを目当ての観光客も多く、良く知られた観
光名所である。



 これまで何度か写真やテレビのニュースなどでこの放水の様子を目にし、その
放水の目的は、農業用水として下流の田畑を潤すためのものとばかり思っていた。
しかし、実際にこの地を訪ね案内文を読み現物を目の当たりにし、それが間違い
であることに気付かされた。



 本来なら“潤い・通す・橋”と言う意味から考えれば、この橋は、水を通し他所に送
る通水管の役目を担う橋で有ることは明白であるのに、あの豪華な放水に目を奪
われ、水の行方にだけに気を取られていたようだ。



 「通潤橋」は、三方を川に囲まれ水利に恵まれなかった白糸台地に水を送るため、
江戸時代に総庄屋であった布田保之助が設計し、近隣農民や熊本八代の石工集
団などの協力によって造られた水路橋である。
その橋の位置は、水路が結ぶ二つの地区より低い場所にあるために、底に溜まる
泥や石を抜く目的で放水は行われている。



 放水は通常ゴールデンウイーク前後、8月初旬から11月末の土日祝日を中心に
観光放水が行われていて、それ以外でも事前の申し込みが有れば有料で放水が
行われるらしいが、 生憎この日の放水は無く、何とも寂しい姿の写真しか残すこと
が出来ず、残念であった。(続)



ホームページ 表紙の写真更新しました


にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする