簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

“二の宮金次郎の像” (JR乗り潰しの旅)

2012-02-29 | Weblog
 川沿いの遊歩道を、小さな流れを見ながら、また民家の庭先に植えられた
草花を愛でながら歩く。この道は犬を連れたり、散歩に行き交う人々も多いの
で挨拶を交わしながらユックリと歩いて来たが、ポカポカ陽気で汗をかき、
40分近くもかかってしまった。

 15時過ぎに常陸太田の駅に戻った。
「あれ、こんなところに・・・」、駅に降り立ったとき、見つけられなかった
観光案内所が、余りにも呆気なく見つかった。 
 仮設の施設のようで、駅から少し離れて道路の反対側に建っていた。
予定した電車の時間も迫っているので、立ち寄ることもなくお別れだ。



 夕方水戸に戻り、常磐線で我孫子に向かう。
もうすっかり暗く成ってしまい景色は見えないが、そこで成田線に乗換えて、
成田まで行けば、今回の旅の目的は、予定通り終わることに成る。

 これによって関東以北の本州の未乗車区間は、五能線と、津軽線、大湊線、
花輪線を残すのみとなりった。
 また、関東周辺では鶴見線、川越線、南武線、青梅線、五日市線、吾妻線が
残っていて、完乗までにはもう少し時間がいるようだ。



 成田からは快速で東京に出て、更にその先明日の帰路の事も有るので、行ける
ところまで行こうと、少し無理をして小田原まで足を延ばす事にする。



 駅近くのホテルに宿を取った翌朝、小田原提灯の下がった駅構内で、思いがけず
“二の宮金次郎”の像を目にした。
 一昔前までは、どこの学校の校庭にも建っていたお馴染の像だが、最近では隅に
追いやられるか、撤去されるなど殆ど見かけることが無くなってしまった。
 それにしても金次郎が、小田原市縁の人で有る事をここに来て初めて知った。
(JR乗り潰しの旅・完)



(この旅行記は、「東日本大震災」発生直前に巡ったものです。)


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庶民の証 (JR乗り潰しの旅)

2012-02-27 | Weblog


 隠居とは言え、徳川御三家のひとつ水戸家35万石の元藩主と言う
実像からは、この住まいは凡そ想像がつかない程質素な施設である。



 今でも、こんなところ・・・の感のある場所である。
当時の立地環境を思うと、更に山深い辺境の地であったと推測され、
とても終の棲家とするに相応しい場所とは思えない。



 警固の家臣も僅か、建物もさほど大きくも無い簡素な茅葺の造りで、
内部の装飾にも華美を感じる物は何もない。紀州から取り寄せて植え
たと伝えられている熊野杉、梅の木や珍しい薬草などが、お大尽好み
のものといえなくもないが、説明が無ければ、ごく普通の江戸時代の
百姓家と言われても納得するであろう。



 荘内には、自らが耕された水田の一部も残されている。
光圀公は、一領民に成った証として太田奉行所に十三俵の年貢を納めた
と言われている。
 贅を嫌い、一領民としての生きざまを貫かれた光圀公の面目躍如である。
そんな思いが込められた山荘は、鄙びたところにひっそりと佇んでいる。



 「西山の里・桃源」の売店のお母さんに、「ここから駅までは、川沿いの
遊歩道を行けば30分ほどで歩けます」と教えられた。
 帰りのタクシーを予約していたが、その時間まではまだかなりあるし、
何よりも贅沢は・・・キャンセルし駅まで歩いて戻ることにした。(続)

(この旅行記は、「東日本大震災」発生直前に巡ったものです。)


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西山荘 (JR乗り潰しの旅)

2012-02-24 | Weblog
 駅前から国道293号を7、8分走ると「西山の里・桃源」と言う飲食や物産の
販売コーナーを併設した休憩施設が有り、その前でタクシーを降りた。
 降り際に、駅に戻るバスの運行を訪ねると、バスは無いと言うので取り敢え
ず帰りの迎えをお願いした。



 教えられたとおり、「西山の里・桃源」の中を抜けると、池に架かっている木橋の
道が有った。その渡った先に庭園と言うよりは、里山の散歩道風な園路が、良く
整備されて山に向かって延びている。



 いきなり「助さんの住居跡」の看板に出くわす。
その先には、光圀公没後三百年を記念した「難波梅」が植えられている。



 この梅は光圀公が一番好きな梅らしくて、その寄贈者が佐野浅夫と書かれていた。
何代目かの黄門さんを演じた俳優である。
こうなると、いやがうえにもテレビドラマのワンシーンが思い浮かぶ。



 ここ西山荘は幕府より隠居を許された光圀公が、約10年間を過ごされたとこ
ろである。ここでの生活は、「大日本史(光圀没後命名された)」の編纂に必要な
沢山の書物と、僅かな身の回り品だけを持ち込んだ、慎ましやかな生活ぶりで
あったと伝えられている。



 警固の武士も僅かで、領民たちは気軽に出入りが許されていたらしく、臣民思い
の光圀公は、ここで多くの領民たちと身分の別なく親交を重ねられたらしい。

 山際の地勢を生かし、幾つかの池を配した仙郷に、そんな黄門さまの隠居所は
建っている。(続)
(この旅行記は、「東日本大震災」発生直前に巡ったものです。)


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駅の観光案内所 (JR乗り潰しの旅)

2012-02-22 | Weblog
 水戸では、まだまだ立ち寄りたい場所も有る。
しかし昨年この地を訪ねた折、電車の時間の関係で、訪ねる事が出来なかった
光圀公ゆかりの西山荘にも是非行ってみたい。 
 散々迷った挙句、市内の弘道館等は次の機会に譲り、交通の便が余り良くない
西山荘をこの機会に訪ねて見ることにする。





 水戸からは水郡線の途中駅・上菅谷に行き、そこでそこから分かれる支線に
乗換え、終点の常陸太田に向かうと西山荘はその地の郊外に有る。

 常陸太田の駅舎も駅前周辺も、前回来た時と同じようにまだ工事中で、辺りの
雰囲気が変わっていた。昨年訪ねた折りは、「時間が無いので」と言って、パンフ
レットだけを沢山頂いた。
「また来てください」と見送ってくれた案内所の職員に「叉きます」と言って車内の
人となって一年が経過した。
「約束通りきました」と告げたいところだが、駅中に有った筈の観光案内所が無い。





 西山荘までのバスが有れば時間を聞こうか、さもなくば自転車でも借りるか相談
してみたかったのだが、見当たらない。
 駅前に出て、辺りをキョロキョロと見回していると、丁度客待ちをしていたタクシー
のドライバーと目が有った。観光案内所の所在を訪ねようと思ったが、時間の節約に
もなるし、余り時間に余裕が有るわけでもないので、ここは奮発してそのタクシーに
乗り込んだ。(続)

(この旅行記は、「東日本大震災」発生直前に巡ったものです。)


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偕楽園 (JR乗り潰しの旅)

2012-02-20 | Weblog
 偕楽園は本来、園の北側に有る入口が正面入り口で、そこから入って、
鬱蒼とした孟宗竹林や大杉森等の陰の世界を抜け、その先の開放的な陽の
庭園に至る過程が醍醐味とされ、それが園を開設した水戸斉明公の意図で
もあるらしい。



 しかし、バス停や駐車場の関係で、殆どの来園者は東門から入り、この
「陰から陽の世界を知ることなく帰ってしまう観光客が多い」と、件のバスの
運転手が教えてくれた。



 百種三千本と言われる梅の木の植わった園内は広い。
中には開園以来の歴史を見つめて来た老木も数多く有ると言う。



 毎年二月から三月が梅の開花期とされているから、さすがにこの時期では
咲いている梅は無いだろうと思っていたが、何本かのあわてものの梅はすでに
赤い花を開き、微かに甘い香りを辺りに漂わせている。



 園の中心的な施設の好文亭は、優美な木造2層3階建て、今で言う集会場と
宴会場と展望所を合わせたようなものである。 
 亭内の急な階段を登った三階部分は、特に「楽寿楼」と呼ばれる場所で、
ここからは、眼下に広がる千波湖や梅林等の眺望が素晴らしい。



 ここからの眺望をこよなく愛した藩主・斉昭は、文人墨客や家臣などを招いて
色々な会を催したと言われている。

 結局時間も無いのでユックリとは出来ず、「陰から陽」への変わり身を体験する
ことも無く、駆け足で巡ってバス停に戻った。(続)



(この旅行記は、「東日本大震災」発生直前に巡ったものです。)


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水戸漫遊一日フリーきっぷ (JR乗り潰しの旅)

2012-02-17 | Weblog
 鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線は、鹿島神宮から水戸までは1時間20分程だ。
南口には、テレビでお馴染の黄門さんと助さん格さんが旅姿で、駅に出入りする
人達を見守って建っている。





 駅中の観光案内所で「偕楽園ならフリーきっぷが便利でお得ですよ」と教えられ、
「水戸漫遊一日フリーきっぷ」を購入する。



 駅前から偕楽園入口まで、バスは230円かかる。
したがって、400円で市内を循環する茨城交通のバスが一日乗り放題に成り、その沿
線にある偕楽園好文館や弘道館などの料金が割引に成るのでこの券はお徳である。
 そのバスは、駅を北口に出たバスターミナルの4番乗り場から発車する。



 10分ほど待ってバスに乗り込む。
駅から近い辺りでは、さすがに人の乗り降りが多い。
 市内を巡るバスだから、市街地を何度も曲がりながら進むので、次第に方向感覚が
怪しく成り、どこらあたりを走っているのかさっぱり見当が付かない。

 車内の乗客が少なく成ったころ、信号待ちを見計らって「列車の待ち時間を利用しての
見学なので余りユックリは出来ないのだが・・・」とバスのドライバーに話を持ちかけると、
「それなら偕楽園前で降りて、帰りもここから乗るのが良いだろう」と教えてくれた。
その勧められたバス停には駅から15分余りで到着した。





 バスを降り、その先の駐車場を抜け、大きな鳥居を潜るとそこは常盤神社の境内。
そこを抜けると偕楽園の東門が有る。(続)



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鹿島線の沿線 (JR乗り潰しの旅)

2012-02-15 | Weblog
 赤地に白いラインの入った、鹿島臨海鉄道線の水戸行きの車両は、地元鉾田
市特産品の広告でラッピングされている。
全国一位の生産量を誇るアールスメロンや、県内一位のミニトマト、長いも等だ。





 茨城県内の鹿島市、鉾田市や潮来市等にホームを置くサッカー、鹿島アント
ラーズのチーム名は、鹿島神宮の鹿の角(アントラー)に因んでいる。
 その本拠地スタジアムが、発車後間もなく車窓右手に見えて来る。
4万人余りを収容するサッカー専用の“茨城県立カシマサッカースタジアム”だ。



 駅はサッカー開催時にしか営業しない特殊な駅であるが、試合によっては東京
方面からの臨時列車も運行されるらしい。



 ここから先の鹿島臨海鉄道線は、太平洋の鹿島灘と霞ヶ浦を構成する湖の一
つ北浦に挟まれるように延びているが、暫くは車窓からそれらを見通すことは殆
ど出来ない。

 大洋を過ぎ進路を西に変へ、左手前方に北浦が広がると新鉾田。
乗降客が多くなる。水戸の街へ遊びに出掛けるのであろうか、二人三人と連れ
立った学生や若者で車内が一辺に賑やかに成る。



 大洗は太平洋に面した沿線では比較的大きな町で、ここから水戸までの区
間運転の列車も多く運行されている。
 付近にはマリンワールドを初め、海の係わるレジャースポットが充実している
と言う。太平洋を苫小牧に向かう大型フェリーのターミナルは、駅から歩いて20
~30分ほどの距離らしい。(続)

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常陸の国の一宮 (JR乗り潰しの旅)

2012-02-13 | Weblog
 延方を過ぎ北浦に架かる長い鉄橋を渡ると、終点の鹿島神宮の高架駅に到着する。
終点の鹿島神宮から、先の水戸へ向かう鹿島臨海鉄道の発車まで少し間が有る。

 駅員に聞いたら「坂を上がって、左に折れたらすぐ。十分間に合いますよ」との事だっ
たので、近くの”鹿島神宮”を訪ねて見る。





 その駅前から続くレンガ敷きの坂道は、見かけよりも随分とキツイ。
坂の途中に”剣聖・塚原卜伝”の像が建っている。”塚原卜伝”は、戦国時代の剣豪、
兵法家としても知られた人物で、鹿島神宮の神官の子としてこの地に生まれている。
像は生誕五百年を記念して建てられてものだ。



 息を切らせながら10分ほどで坂を登りきると、門前町を形成する表参道に行き当たる。
そこを左に折れ暫く歩くと、少し先に大きな鳥居が目に入ってくる。



 ”鹿島神宮”は、常陸の国の一宮で、日本全国に約600社有るとされる鹿島神社の
総本社である。昔から境内は、神々のいます場所として崇められてきたため、広大な
樹叢が形成されていて、境内全体が県の天然記念物に、また鳥獣特別保護地区にも
指定されている。こんな広々とした社域に、拝殿などの建てものがゆったりと配置され
ている。又ここには鹿園も有り、神の使いとして日本鹿が飼育されている。



 ここは県内でも初詣客の多い神社として知られ、お正月には大層な人出で賑わうと
言う。(続)



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鹿島線と鹿島臨海鉄道線 (JR乗り潰しの旅)

2012-02-10 | Weblog
 鹿島線は、成田線の佐原の一つ先、香取から鹿島サッカースタジアムまでの17.4キロの
路線であるが、殆どの列車は佐原から鹿島サッカースタジアム駅の一つ手前の鹿島神宮
間で運行されている。その先鹿島神宮からは、鹿島臨海鉄道がスタジアムまでのJR区間
に引続いて、水戸までの53キロを通して運行している。
 この不思議な運行形態の訳は、JR区間の鹿島サッカースタジアム駅がサッカーの開催
日しか営業しない特殊な駅だからである。



 早朝の香取線、クハ209 4両編成の電車に乗客はまばら。
出発した電車が利根川を越えると辺りは広大な水郷地帯と成り、豊かな田園風景が広がる。

 10分ほどで、潮来に到着、急に思いたって途中下車してみる。
掃除中の駅員に”あやめ園”の場所を訪ねると、「今は何も咲いてませんよ・・」と怪訝な顔を
しながらも駅前から続く道を教えてくれた。



 駅からさほど遠くはない”前川あやめ園”は、訪れる人も無くひっそりと静まり返っていた。
毎年5月から6月にかけてアヤメ、カキツバタ、花菖蒲などが咲き誇り、辺り一面を紫色に
染め上げると言う園は、土色の冬枯れ状態で株跡だけが目に付いた。
 園内には、「潮来花嫁さん」や「潮来笠」の記念歌碑なども有る。





 潮来駅のホームでで普通電車を待っていたら、特急編成の電車が入って来た。
不審に思い時刻表で調べてみると、この車両は鹿島神宮で折り返す普通電車で、途中の
佐原から終点の東京まで”特急あやめ”として運行されるものだった。(続)



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銚子電鉄と犬吠埼 (JR乗り潰しの旅)

2012-02-08 | Weblog


 銚子から外川までの6.4キロに十の駅を持つ銚子電鉄の駅舎は、各駅がメルヘン
駅舎としても知られている。
銚子駅の2番ホームの先端に有る起点駅は、オランダ風車を模している。

 オランダ風の犬吠駅は、構内で名物「ぬれ煎餅」の製造販売もされていて、犬吠
埼等銚子観光の拠点に成っている。
その駅からは、犬吠埼に向かう遊歩道が海岸沿いに整備されている。



 太平洋の荒波が打寄せる海岸には、珍しい白亜紀の浅海堆積物を見る事が出来る。
海底面に出来る小さな波模様や、地層に出来た斜めの模様、生物が活動した痕跡など
を表す地層など間近に観察する事が出来る。





 犬吠埼の高台に建つ灯台は、「世界の灯台100選」「日本の灯台50選」にも選ばれた
保存灯台で、その高さは地上から31メートル、水面から灯火までの高さは50メートル
を超え、その光は36キロ先まで届くと言う。
明治7年に初めて国産レンガを使って建造され、レンガ造りの構造物としては日本でも
有数の高さを誇っている。





 灯台は一般公開されている。
九十九里浜に因んで、イギリス人技師が設計したと言う、99段の螺旋階段を上がると
展望台があり、360度太平洋を一望する事が出来る。
灯台には資料館も併設されていて、初代のレンズなど貴重な資料を見ることもできる。
ここは、日本で最初に初日の出が見られる場所としても知られている。(続)

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