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簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
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須佐之男尊神社(東海道五十七次歩き旅・摂津国)

2025-08-08 | Weblog


 京街道は商店街を抜け、高速の下を潜ると高殿地区に入り、緩く右に
カーブしながら、国道1号線と国道163号線が接する関目5丁目の変則
的な交差点に出る。
国道1号線に出て50m程歩き、右(西)に折れ細い道に入ると旧道だ。



 住宅地を抜ける道は、右に曲がりながら200m程で「都島通り」に突
き当る。旧道は道路を横断した先へと続くが、この辺りの道路には横断
歩道はなく、道路の中央にも分離帯が有り、フェンスで遮られているの
で向こう側には渡れない。

 旧道との交差はこういったケースが多いので、右に折れて先程の交差
点に戻るか、左に折れ「都島通り」の歩道を行くかの選択となる。



 左に行くと当地の氏神「須佐之男尊神社(別名・関目神社)」がある。
豊臣秀吉の時代、浪速の鬼門に当るので北の護り、鬼門鎮護の神として
毘沙門天王を勧請すると共に、八岐大蛇を退治した武神の須佐之男尊を
祀り崇敬する小祠を建立したことに由来する神社だ。



 境内には「関目発祥の地」の石碑が建っている。
関目という地名は古くは榎並荘の時代からあったもので、関目はこの地
に見張所(目で見る関所)があったことから起こったと言われる。
ここには関所があったらしい。



 近くの民家と民家の間の隙間のような場所に「明治天皇聖躅」「西
茶屋址」が建っていた。大正14年に立てられたもののようだ。
同じような碑は神社の境内にもある。
 因みに難しい字だが「躅」は、「ちょく」又は「たく」と読み、足
跡とか事跡とかいう意味があるらしい。



 明治天皇は、慶應4(1868)年,千数百人の随行員を伴い、前日の
行在所であった守口の難宗寺を立ち、津村別院に向う途中この関目で
小休止されたという。(続)

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