橋を渡った大橋西詰北側の高札場跡近くには、旧三条大橋の花崗岩製
の石柱が残されていて、説明板も掲げられている。
石柱には天正17(1589)年の銘が有り、今の神戸市東灘区から切り出
されたものという。
三条大橋は天正18(1590)年に、豊臣秀吉の命により増田長盛を奉
行として石柱橋に改修されたが、これが日本で初めての石柱橋である。
現在の橋の下流側の橋脚にも、当時のこの石柱が使われているという。
道路を隔てた反対側は小公園になっていて、江戸時代の十返舎一九作
の「「東海道中膝栗毛の主役、「弥次郎兵衛と喜多八」の像がある。
彫刻家・小山由寿氏の作といい、平成5(1994)年に、三条小橋商店街
振興組合が建立した。
弥次さん喜多さんというと、東海道五十三次の膝栗毛と思いがちだが、
二人は四日市・日永の追分から伊勢街道に入り、白子、津、松坂を経て
お伊勢参りに向かっている。その後、大和街道に出て奈良、宇治を経て
伏見の京橋に着き、京の名所巡りを楽しんだ。
二人は三条小橋に近い旅籠・小橋屋に泊まっている。
その後島原を見学し、朱雀野より鳥羽街道に出て淀の大橋に到り、ここ
から淀川の下り船で大阪に向かった。
日が暮れて、天満橋と天神橋の間にある船着き場八軒屋に到着し、長町
の「分銅河内屋」に宿をとり、翌日から大坂見物をしている。
像の足元には、「無事に還り来る」の信仰で有名な還来(もどろき)
神社に倣い、旅の安全を祈願する「撫で石」も設置されている。
この石は牛若丸(義経)で有名な、京の北方、鞍馬から産出した鞍馬石
で、酸化鉄の含有により玉葱状剥離が現れ、鉄錆色が全面を覆っている
のが特徴という。(同組合HPより)(続)
にほんブログ村
の石柱が残されていて、説明板も掲げられている。
石柱には天正17(1589)年の銘が有り、今の神戸市東灘区から切り出
されたものという。
三条大橋は天正18(1590)年に、豊臣秀吉の命により増田長盛を奉
行として石柱橋に改修されたが、これが日本で初めての石柱橋である。
現在の橋の下流側の橋脚にも、当時のこの石柱が使われているという。
道路を隔てた反対側は小公園になっていて、江戸時代の十返舎一九作
の「「東海道中膝栗毛の主役、「弥次郎兵衛と喜多八」の像がある。
彫刻家・小山由寿氏の作といい、平成5(1994)年に、三条小橋商店街
振興組合が建立した。
弥次さん喜多さんというと、東海道五十三次の膝栗毛と思いがちだが、
二人は四日市・日永の追分から伊勢街道に入り、白子、津、松坂を経て
お伊勢参りに向かっている。その後、大和街道に出て奈良、宇治を経て
伏見の京橋に着き、京の名所巡りを楽しんだ。
二人は三条小橋に近い旅籠・小橋屋に泊まっている。
その後島原を見学し、朱雀野より鳥羽街道に出て淀の大橋に到り、ここ
から淀川の下り船で大阪に向かった。
日が暮れて、天満橋と天神橋の間にある船着き場八軒屋に到着し、長町
の「分銅河内屋」に宿をとり、翌日から大坂見物をしている。
像の足元には、「無事に還り来る」の信仰で有名な還来(もどろき)
神社に倣い、旅の安全を祈願する「撫で石」も設置されている。
この石は牛若丸(義経)で有名な、京の北方、鞍馬から産出した鞍馬石
で、酸化鉄の含有により玉葱状剥離が現れ、鉄錆色が全面を覆っている
のが特徴という。(同組合HPより)(続)
にほんブログ村