簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

箱根の関所(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-29 | Weblog




 前面には晴れていれば富士山を映す芦ノ湖が、背後には屏風山が聳え立つそんな
地に、箱根の関所は造られている。
まさに人が通るにはここしかない、と思えるほどの狭小な平地である。



 今の建物は平成19(2007)年に復元されたもので、江戸後期の頃の様子を伝える
ものだと言う。関所を体験するテーマパークのような施設で、手形改めや、女性の
取り調べの様子、ここに詰める番所役人の生活ぶりなどが、人形を使って再現され
ている。傍らには資料館も併設されている。



 街道を整備した江戸幕府は、全国に53か所に余る関所を設けたが、ここ箱根の
関所は江戸の守りを担う関所として規模も大きく、重要視されていた。
渋墨塗りと言われる総黒塗りの建物は、幕府の威厳を表わし、周囲を威嚇するには
十分で、旅人を威圧し、緊張感を強いていたようだ。
取り調べをする部屋にも、火縄銃や弓矢などをこれ見よがしに並べ立てている。



 番所の周りや、背後の山、芦ノ湖の湖岸にまで強固な柵を巡らし、関所破りをさ
せない備えがされていた。
抜け道となる間道の要所にも「裏関所」が設けられて、厳しく監視していたと言う。
また街道を行き来する旅人も常時監視の対象となっていたようだ。



 その役割を担ったのが、「関所守り村」の存在だ。
箱根で言えば、間の宿・畑宿で、ここの宿内では村人が商いをする傍ら、通行人監視
と言う任も担っていたらしく、いわば「影の関所」の役目を果たしていた。
そんな備えが有り、関所破りは大罪と流布されていたので、250年に余る関所の歴
史で、ここを破ったものは5人しかいないと記録には残されていると言う。
(東海道歩き旅・相模の国編 完)



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杉並木(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-27 | Weblog



 甘酒茶屋で英気を養った後、暫く県道を歩き、再び旧道に入り白水坂、天ノ石坂
などを上るが、既にピークを過ぎた上り坂は緩やかで、サミットの近さを実感させる。
やがて前方木立の隙間から芦ノ湖が見え隠れすると、ここからは一気に権現坂を下る。





 観光地らしく車の行き交う喧騒が聞こえ始める。歩道橋で国道を横切ると芦ノ湖
の湖岸がいよいよ近くなり、街道の前方には有名な箱根の杉並木が見えてくる。
途中にケンペル・バーニー碑が立っていた。箱根の自然をこよなく愛した英国の貿
易商らしいが、良く知らない。



 途中には江戸から数えて24番目の一里塚跡が有り、箱根の杉並木は、ここら辺り
に良く残されている。
江戸幕府の命により川越藩松平家の手によって植えられたもので、行きかう旅人に
木陰を与えようと道の両側に植えたものだ。似たようなところは日光街道にも有るが、
東海道では唯一のもので国指定の史跡として保護されている。



 当時は完全な並木道が続いていたであろう。
昼なお暗き杉の並木ながら、夏の暑さ凌ぎ、冬の風雪防ぎには格好のもので有った
ようだ。今でもここを歩くと、空気の匂いと温度の違いが感じられるほどで、杉落
ち葉で覆われた道は柔らかくて歩きやすい。
まるで峠歩きで疲れ果てた足腰を労わってくれているようだ。



 第二次大戦中の伐採の危機を乗り越えた木々は、度重なる道路の拡張危機をも凌ぎ、
樹齢360年余と言い、よくも生き続けたと感心する。
この付近の街道には、途切れ途切れながら今も400本以上が残されていて、樹高は30m
にもなるそうだ。(続)


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甘酒茶屋(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-25 | Weblog



 峠への上り道はいよいよ厳しくなり、この先には西海子(さいかち)坂、橿木
(かしのき)坂、猿滑り坂などの難所が続く。
所々には当時のものらしい石畳の道も残されているようだ。
しかし多くは新道の開通により失われたらしく、大きなヘアピンカーブで高度を
稼ぐ新道を、串刺しにするようにのぼる古道の多くは、階段で結ばれている。



 息をあげながら急坂を行き、比較的緩やかな追込坂(ふっこみさか)を上り切ると、
笈ノ平と呼ばれる平坦な地に出る。二子山と文庫山に挟まれた地で、ここには箱根旧
街道資料館と甘酒茶屋が立っている。



 街道一の名物と言われるほど旅人の評判を呼んだ甘酒を提供する茶店で、当時は
この付近には4軒ほどが、箱根八里の間には13軒ほどあったと言う。



 しかし明治に入り国道1号線の開通などの影響で、街道を行き来する人が減少し、
閉める店が増え、たった一軒残ったこの店は江戸時代初期から今日まで、13代の店
主が伝統を守り通してきた。しかし、昭和48年に、通りかかったハイカーのタバコ
の火の不始末で全焼し、近年復旧されたのが今の店だと言う。



 評判の甘酒は地場産のうるち米を使い、米麹だけで仕込んだ無添加と言うだけに、
さっぱりとした麹の甘さが特徴でそれが特段に美味しい。
食欲の落ちる夏場でも、水分が多く咀嚼の必要がなく、胃に負担の少ない甘酒は旅人
に持て囃されたと言う。



 毎朝杵でつきあげると言う名物の力餅も、いそべ、うぐいす、ゴマ味などが揃って
いるが、甘酒と一緒に食べるなら、いそべがお勧めだと言われ食べてみた。
腰の強い餅に巻かれた海苔と、香ばしい醤油の香りに食欲がそそられ、これも本当に
美味しかった。(続)

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間の宿・畑宿(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-22 | Weblog



 江戸幕府は街道を整備し泊りの出来る宿場を整備すると同時に、宿場間の距離が
長い処や、峠越え、川越など特別な理由が有ればその間に「間の宿」を設け旅人の
便宜をはかった。
しかしそれはあくまでも休憩の施設で、表向き宿泊は許されてはいなかったらしい。





 「寄木細工の里」として知られる畑宿も、箱根の峠越えを控えた休憩施設とし
て開かれた立場と呼ばれるところであったようだ。
標高が400mを越えるこの地の街道筋には多くの茶屋が建ち並び、そこでは名物の
そばやアユの塩焼き、小田原北条氏時代から伝えられているという伝統工芸品の
箱根細工などが旅人の足を止めていたと言う。





 集落には茗荷屋と呼ばれた本陣(宿場ではないので正式には本陣ではないらしい)
を務めた名主屋敷が残されていたが、大正時代の火災で焼失し、今はその庭園が残る
のみだ。
今でもたまに猿の群れが現れると言う鄙びた里で、街道沿いには茶店が立ち、民宿が
有るなど観光地としても知られているらしく、古街道歩きでは出会うこともなかった
観光客らしき人の姿がバス停などで散見できる。



 集落の西の外れから再び旧道に入り、守源寺と茶店の間の細い坂道を暫く進むと、
江戸から数えて23番目の一里塚が残されている。一部は復元整備されたものだが、
道の両側に残っているのは平塚の品濃坂に次ぐものである。
塚の直径は約五間(9m)で、円形に小石を積み上げ土を盛って築いた右側の塚には
目印としてモミが、反対側にはケヤキが植えられている。(続)

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女転ばし坂(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-20 | Weblog



 女転し坂の自然探勝路に入り15分ほど歩いたところで、右手に稲荷社の赤い鳥居
を見ながら三度県道に合流した。ここで気付けば良かったのだが何の疑いもなく道
なりに前に進んでしまったのが大間違いであった。



 これほど登って来たのにここからは急な下り坂である。訝りながらも慎重に下ると、
大きなヘアピンカーブの先に箱根大天狗神社が鎮座している。
さらに下ると、何となく見覚えのある景色が見えてきた。先ほどカメラでとらえた映
像と見比べてみると、寸分たがわぬ全くの同じ景色で、ここで初めて道を間違えたこと
に気付くのである。
何のことは無い、先ほど入り込んだ自然探勝路の入り口に戻って来たのだ。





 通りがかった犬を散歩中の男性に尋ねると、鳥居のところを左に登らなければだめ
だと言う。重い足取りで女転し坂の急坂を登り、先ほどの合流地点に戻ってきた。
そこに建てられた道路標識を確認すると、右手方向の奥湯本は表示が有るが、向かう
先の畑宿の表示はされていない。これを見て、周りを見渡せば、ここから10mほど登
った右側の入り口に気付けたはずである。
箱根の山登りを始めて間がないのに、ここで20分ほどロスをしてしまった。



 ここから割石坂の始まりである。
明治・大正時代に補修・整備された石畳の所々に江戸時代のものが残された道だ。
木立の茂る山中を切り裂いて抜ける古道は、聞こえるのは小鳥たちのさえずり位で、
静かで清々しく雰囲気がいい。
ここを登れば先には大沢坂が続き、それを登り詰めれば間の宿畑宿集落である。(続)



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旧街道(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-18 | Weblog



 「旧街道一里塚跡の碑」を過ぎしばらく進むと、県道から離れ右に下る古道に
「旧街道入口」の案内板が立っている。
ここには江戸幕府が整備した、石を敷き詰めた旧街道が凡そ300m残されていて、
国の史跡に指定されている。箱根の関所に向かう登り道を総称して東坂と言うら
しいが、このような道は七カ所ほど残されていると言う。



 山裾が右手の須雲川に落ち込む際を切り開いたように伸びる、2~3メートルほどの
幅の道で、不揃いの石が表面の水平を保つように敷き詰められてはいるが、これが結
構歩きにくい。



 着地した時の足の裏に伝わる凹凸感もさることながら、中には苔むしたり、角が
取れ丸くなり滑りやすい石もあり足元の注意が怠れない。
古の旅人の苦労が偲ばれる古道ではあるが、当時としては最先端の舗装道路で有っ
たと言う。



 箱根観音・福寿院のところで再び県道に合流すると、その先には観音坂、葛原坂
の急坂が待ち構えている。舗装された自動車路ながらその上り勾配は結構きつい。



 左に鎖雲寺を見て更に進むと、女転し坂の碑が立つ遊歩道の入り口が有る。
この急な長い坂道は箱根の難所の一つで、その昔馬に乗った婦人が落馬して、それが
元で死んでしまったのがその名の謂れだと言う。



 旧街道と言うよりは、県道を避けて歩く人向けの自然探勝路としてつけられた道
らしい。
車の行き来する県道を歩くよりはとこの道に入ったまでは良かったが、ここを出て
その先の割石坂に向かうべきところとんでもない間違いを犯してしまった。(続)

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古寺・古刹(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-15 | Weblog



 旧東海道、現在の県道732号線は、左程道幅は広くはなく、曲がりくねって結構な
勾配で登っているが、両側に全て歩道が整備されているわけではない。
こんな道を旧街道を行く路線バスや送迎バス、乗用車などが絶え間なく上り下りし、
その隙間を縫うように観光客や地元の人々が歩いている。
すぐ脇を車が通り過ぎていくので、危なくって仕様がない。



 三枚橋からは10分ほど登ると、北条早雲の遺命によりその子氏綱によって建立され
た北条五代の菩提寺・早雲寺の山門が右手木立の中に見えてくる。
山門を入ると、広大な伽藍には鬱蒼と木立が茂り、右手に茅葺入母屋風屋根の鐘楼が、
正面に本堂を構えていて、その奥墓苑の中に五代の墓が有る。



 天正年間に豊臣秀吉による小田原攻めで、焼き尽くされた関東屈指の禅刹が復興さ
れるのは江戸時代に入った寛永年間のことで、現在の建物の多くはその頃のものだ。





 そこからさらに数百メートル上ると左手に臨済宗のお寺、正眼寺が有る。
鎌倉前期にはすでに存在していたと言う地蔵信仰の古刹で、仇討ちで知られる曽我
兄弟ゆかりの寺だ。
境内にはその供養塔が有り、松尾芭蕉の「山路来てなにやらゆかし菫草」の句碑が
建てられている。



 ガイドブックによるとここら辺りが旧湯本茶屋村である。
旅館などの従業員向けなのか、地図を見ると周囲には随分とアパートが多い。
この村境辺りに男女双体の道祖神が有ったようだが、反対側の22番目の一里塚に
気を取られているうちに見落としてしまった。(続)

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宿泊キャンセル(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-13 | Weblog



 ところがそんな苦労をして探し当てた宿であったが、宿泊当日、避けられぬ用が
でき旅行を取り止め、早朝宿泊先にキャンセルの電話を入れた。
覚悟はしていたものの、キャンセル料が発生するとのことで、後日振込用紙が送ら
れてきて、泣く泣く泊りもしない宿泊料金を丸々全額振り込んだ。



 規定でうたわれており、納得して宿泊予約をした以上仕方がないことではあるが、
なんとも惜しくて仕様がない。
考えてみれば穴をあけてしまった埋め合わせならやむを得ないが、もしも当日飛び
込みで、この部屋が泊り客で埋まったとしたら・・宿は一人分丸儲けではないのか。
ならば、泊りが無かった場合に限りのキャンセル料発生と言う「忖度」は出来ない
ものだろうかなどと思ってしまう。



 今回の街道歩きでも湯本での泊りの必要があり、随分と時間をかけて安い宿を探して
きたが、さすがにこの宿に予約の電話を入れることには生理的にも嫌悪感が拭えず出来
なかった。
探す時間と労力を思えば、最速ではあるが、こんな宿には二度と関わりたくはない。



 一日中歩き続けてきてその日の宿が、街道から大きく外れていて、更に何分も歩く
なんてことはどうしても避けたい。
歩き旅では、街道からはさほど外れていない、これが一番の条件である。
そんなことで探してみると、色々注文を付けなければ安い宿は有るものだ。



 今回の宿は、箱根登山鉄道の湯本駅のすぐ裏にある「野天風呂 足湯 かっぱ天国」
である。街道からも左程離れず、食事は湯本駅前の商店街を利用すれば事足りる。
お世辞にも綺麗で立派な宿とは言えないが、源泉かけ流しの立ち寄り湯を併設している
だけで充分である。(続)



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箱根の宿(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-11 | Weblog


 「箱根 一人旅 宿」
こんなワードを入れてネットで検索を掛けてみると、夥しい数の宿泊情報がヒット
するが、その上位の多くは、宿泊を斡旋する大手の旅行サイトが占めている。
「一人旅」を「おとこ一人旅」、「宿」を「安い宿」などと書き換えて再検索を試
みても、ヒットの内容はさほど変化がない。



 ネット検索なんてものは、所詮こんなものかと妙に納得をしながら、意に叶った
目的の安い宿を探すのだが、これがなかなかに難しい。
幾つかのサイトを開けて確認してみると、中には二食付きで、ん万円もするプラン
が目白押しで、所謂「おひとり様プラン」である。



 首都圏に近く交通の便も良い人気の観光地・箱根は、強気な高級志向とやらで、
各観光旅館やホテルなどのプランの設定は随分それなりに高価なように見受けられ、
それでやれるところが、箱根のブランド力でもあるらしい。



 が、こちとら街道を歩く貧乏旅で、「おひとり様」などと言われる身分でもなく、
こんな高価なプランはお呼びではない。兎に角街道沿いにあって、安ければいい。
どうせ疲れ果てて眠るだけだから、布団と風呂さえあれば、窓から山が見えようが
川が見えようがどうでもいいのだ。



 何年か前の一人旅でも、こんな苦労をしながらやっと見つけた安い宿を予約した。
某有名旅館に併設されたシングルユースに改装した宿泊施設だ。素泊まりならビジネ
スホテル並みの低利用金ながら、風呂は本館の大浴場が利用できると言う魅力が決め
手となり予約した宿である。(続)



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三枚橋(東海道歩き旅・相模の国)

2018-06-08 | Weblog



 街道を左に折れ早川に架かる三枚橋を渡り箱根湯本温泉に入ってきた。
遥か前方は箱根の山々の連なりだろうか、深緑の山塊が幾つも重なって見える。



 右手前方に箱根登山鉄道の湯本駅が、その前を流れる川には赤い欄干の橋が
架かり、結ばれた左手には大きな観光ホテルなどの建物が犇めいている。



 県道732号は車の流れも多く、さすが首都圏に近い人気の観光地らしい賑わい
を見せている。そんな道路際には「これより旧東海道 箱根関所まで15K」と書
かれた看板が掲げられ、箱根の懐入りを出迎えてくれる。
その近くの目立たない場所に「旧極楽橋」の記念碑が有った。



 それによるとその昔、この地を流れる早川の幅はとても広く、幾筋にも分かれ、
大きな中洲が二つあり、橋は中洲を結んで三枚架かっていたと言う。
小田原から登ってくると手前の橋が地獄橋、真ん中が極楽橋、三つ目を三昧橋と
呼んでいた。三枚橋と言う地名(橋の名)は、かつてこの地に三枚の橋が架かっ
ていたことがその謂れらしい。



 当時はこの三つの橋を渡り切ると、対岸には領主の菩提寺・早雲寺の総門が有り、
その門内に逃げ込めば重罪人も罪を免れたらしいが、実際には、その手前の極楽橋
を渡れば、役人もお目こぼしをしてくれたので、その名が付いたと言われている。



 一番手前で捕まってしまえば罪の裁きが待ち受けていて地獄、その先の橋まで
たどり着ければ役人の情けが頂けて極楽、更に三つ目の橋を渡り切れば後は仏門
で仏三昧に生きろと言う意味が込められていたらしい。(続)

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『はれのくに おかやま』アップしました




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