簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

廃止の前に(JR乗り潰しの旅)

2014-07-30 | Weblog
 五稜郭から木古内の間が「津軽海峡線」の愛称で呼ばれているので、木古内か
ら江差の間だけを「江差線」と間違えやすいが、「江差線」は五稜郭から木古内を
経て江差までの間80キロほどの路線である。



 その開業は大正2年と古く、五稜郭から上磯間からはじまり、次第に伸延され昭
和11年に江差までの全線が開業している。

 現在工事中の新幹線が開業すると、「津軽海峡線」と呼ばれる五稜郭と木古内の
間はJRから離れ、第三セクターに転換されることが早々と決まっている。
 そしてその動向が話題になっていた、木古内と江差の間37.8キロは、その後廃止
と発表された。



 この間は典型的なローカル線で、現在一日の運行は朝夕を中心に6往復のみで
ある。利用客数(輸送密度)は、1キロ当たり一日平均で41人、昭和62年のそれと比
べると六分の一にまで落ち込んでいる。
これはJR北海道の中では最低の数字だと言う。





 厳寒の地らしく車両の窓も二重になっている。
そんな冬場の除雪費用が嵩む路線らしく、年間の赤字額が3億円以上に膨らむと
の試算が廃止の理由らしい。(「江差線(木古内・江差間)の鉄道事業廃止について」 
JR北海道 平成24年9月3日による)



 すぐ横で新駅の工事音が響くホームに停まったキハ40系1両のワンマン運転の
列車に、カメラやバック抱えた観光客風の乗客がたくさん乗り込み、車内はほぼ
満席だ。どうやら廃止される前に乗っておこう、撮っておこうと言う事らしい。(続)






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鉄まち 木古内(JR乗り潰しの旅)

2014-07-28 | Weblog
 特急列車を木古内で降り、「江差線」に乗り換える。
在来線のホームの横には、新幹線の駅舎がコンクリートむき出しで立ち上がり始
めていて、ホームにも開業を待ち望む看板が立てられている。
どうやら歓迎ムード一色の様子だ。
新幹線「木古内」駅が出来る町は、「鉄まち木古内」として、売り出しに躍起だ。





 そんな町中には鉄道に関するスポットも多く、町歩きマップも用意されている。 
『「新幹線木古内駅の工事現場」今でしか見られない駅舎工事の状況が分かります』
とはいえ、現場に入れるわけでも無いので遠目で望むだけである。





 『開業前なのに早くも駅長がいます「キーコ駅長室」』
駅から歩いて5分ほどのところにある町役場のロビーには、山本寛斎のデザインに
よる町のキャラクター「キーコ」が、早々と観光駅長に任命され、駅長室で観光客を
待っている。



 『町内の鉄道愛好家が撮影・収集した写真やグッズなどを展示する「鉄道ギャラ
リー」』は、近くの公民館だ。
『かつて急行列車が走っていたころからの名店「駅前飯店 急行」』『キーコ駅長の
公式グッズが手に入るのはここだけ「モーリー」』と言う食堂や文房具屋など、駅前
に立地するお店を紹介している。



 駅から少し離れれば、『日本全国で探しても珍しい「新幹線・在来線の分岐ポイン
ト』や、『列車全景見れるビュースポット「青函トンネル出口記念撮影台」』などなど。



 「終点まで単純に往復するだけではもったいない、のんびりぶらり旅してみよう」と
「鉄のまち木古内」では呼びかけている。(続)




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青函トンネル(JR乗り潰しの旅)

2014-07-25 | Weblog


 その先で更に小さなトンネルを5つほど抜けるといよいよ青函トンネルに入り、12
パーミルの勾配で最深部に向かって下っていく。
と言っても、乗っていて実際に下っていることを実感することは無い。



 暗闇の中に突然明るい蛍光灯の帯が輝くと、竜飛海底駅を通過だ。
先日泊まった「ホテル竜飛」の丁度真下を通過していることに成る。
今頃はロビー天井の照明が、七色に輝いていることだろう。



 やがて海面下256.1m、海底から100mの最低地点を時速140Kmで疾走する。
車窓にはその場所を表す、緑の蛍光灯に挟まれる形で、三本の青の蛍光灯が見え
るが、あっという間、一瞬のうちに後ろに流れて去っていく。
写真がうまく撮れないのが悲しい。



 そこからは12パーミルの上りに転じ、嘗ての吉岡海底駅を通過すると、やがて車
窓が明るく開け、緑豊かな北海道の景色が目に飛び込んでくる。



 最初の駅が知内、トンネル群の間にある小さな駅だ。
周辺には新幹線工事関係者の飯場なのか、鮮やかなブルーに塗り込められた建
物群が見える。軌道敷きには既に新幹線用のレールも敷かれている。



 それにしてもすごい技術である。全長53.85Kmは、海底トンネルとして世界一の長
さを誇っている。使われた鋼材が東京タワーの42基分、火薬に至っては2,000発上が
る花火大会なら、数百年分に相当すると言うから驚かされる。



 構想から半世紀、着工から24年もの歳月を費やして完成した青函トンネルは、新
幹線が駆け抜ける新時代を迎えようとしている。(続)




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津軽海峡線(JR乗り潰しの旅)

2014-07-23 | Weblog


 海峡線は、本州側の中小国と、北海道側の木古内を結ぶ6駅、87.8Kmの路線で
ある。
路線は青森と函館を結ぶ一部として、「津軽海峡線」と総称され、多くの場合この
呼び名で馴染まれている。





 殆どがトンネルで、途中駅は4つ、そのうち2つが海底駅である。
そのうちの一つ吉岡海底駅は2006年8月に、もう一つの竜飛海底駅も2013年11月
に乗降の取り扱いが休止され、駅としても廃止になってしまった。
 以後は定点と呼ばれる、保守のための基地となるらしい。



 今回の旅では予定がタイトで、実現できなかったが、次の機会にはと思っていた
だけに「海底駅見学ツアー」も無くなってしまうのは何とも寂しい限りだ。





 中小国の駅を通過すると大平・津軽の長いトンネルを抜け、新駅の工事が進む
津軽今別の駅をゆっくりと通過する。
 先日津軽線で見た津軽二股駅と同様、新駅の工事が佳境を迎えているようだ。
北海道新幹線が開業すると、新幹線の「奥津軽いまべつ」として出世が待っている。





 ホームの名所案内板には「青函トンネル入り口広場 当駅より7Km」と書かれて
いる。
青函トンネルの本州側を見通すところにある公園で、鉄道フアン(特に撮り鉄)には
良く知られた場所で、駅からは、車で10分ほどの距離と言う。



 駅を抜けると、その先で1,300m余りの大川平トンネルに入る。
「オッ!青函トンネルか・・・?」と一瞬思ったが、車内の電光案内板には、これは
青函トンネルではないとの案内が流れている。(続)

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本州と北海道の玄関(JR乗り潰しの旅)

2014-07-21 | Weblog
 東北各線の乗り潰しを終え、これから青函トンネルを抜け、北海道内の未乗車
区間の乗り潰しを目指す。1週間の予定だ。





 蟹田の駅に、鮮やかな萌木色に塗られた「海峡線」の特急「スーパー白鳥95号」が
滑り込んできた。これは789系の電車特急で、新青森と函館の間を凡そ1時間に1本、
一日に10往復程度運行されていて、新青森では東北新幹線に、函館では札幌行の
特急「北斗」に接続している。



 蟹田の次の中小国を過ぎるとJR北海道の管轄線となり、ここから「海峡線」に入
り、更にこの先で青函トンネルを抜け、北海道最初の駅・木古内に停まる。
いわば蟹田と木古内は、本州と北海道の玄関駅なのだ。



 実は時刻表を見ると良く解るが、この間を行く普通列車は一本も運行されていな
い。走っているのは、「津軽海峡線」の特急、東京や大阪を結ぶ寝台特急、青森と
札幌を結ぶ唯一の夜行急行だけである。



 このため蟹田と木古内の間を乗車する場合に限って、特例的に乗車券だけで特
急の自由席に乗車することが出来る。
この特例は「青春18きっぷ」や「北海道&東日本パス」にも適用されるが、この区間
を跨いで乗ってしまうと、実際に乗車した区間の特急料金を請求されるので注意が
必要だ。





 車内は明るい緑色の座席が並び、所々に紺色の座席を配し、単調な車内にアク
セントを添えている。赤色シートのバージョンも有るらしい。
平日の昼間と言う事も有ってか、車内に乗客は少なく、閑散としている。(続)

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80番札所・国分寺(四国遍路の旅)

2014-07-18 | Weblog
 JR国分駅前から300mほど行くとお接待所が開いていた。
勧められるまま立ち寄り、飴やコーヒーのお接待を受ける。
聞けば地元のシルバー人材センターの有志によるボランティアだそうだ。



 その少し先には「おへんろの駅 こくぶ」がある。
「安心して過ごし働ける場所を」と障害者と地域の方が共同で開いているお店で、
この日はお遍路さんに限りうどんが無料でお接待されていた。



 その目の前の広大な広場が、「讃岐の国分寺跡」だ。
奈良時代、聖武天皇により国家安全を祈り、全国60余りの国に一国一寺として造ら
れたのが国分寺で、80番札所・国分寺は丁度この跡地付近に位置している。



 旧道からすぐの山門には、枝ぶりの良い松が被り、堂々とした風格を誇示してい
る。山門を潜ると境内は広く、すぐ左手には88ケ寺の石像ご本尊が建ち並んでいる。
 参道の両側は、松の巨木が林立し、その間を長く伸びる石敷きの参道の正面に本
堂が有る。九間四面の本瓦葺入母屋造りで、鎌倉中期の建造と言われる風格ある
建物である。戦火を免れた鐘楼の梵鐘と共に、重要文化財に指定されている。



 境内には七重の塔跡がありそこには15個の礎石が、金堂跡には33個の礎石が
残されるなど大寺を彷彿させる遺跡も多い。



 これで今回の歩き遍路を終え、旧道に出て国分寺を振り返ると、その背後には白
峰山(336.9m)の山塊がどっかと座っていた。
 次回は、この山登りから始まることに成る。(四国遍路の旅・完)



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讃岐路の地勢(四国遍路の旅)

2014-07-16 | Weblog
 高照院を背に、桜並木の参道から再び旧道に出て国分寺に向けて歩き出す。
7キロ弱、2時間も見ておけば十分である。
暫くは、JR予讃線に沿って、住宅地の中の道をのんびりと歩く。





 香川県は、南部に千メートルまで程度の讃岐山脈が東西に延び、北部は瀬戸内
海に望んでいて、面積が全国で一番狭い県でもある。
 瀬戸内式気候で、年間を通じて気温は温暖で少雨である。そのためここら辺りで
はいたるところで大小の溜池を目にしながら歩くことに成る。



 讃岐路に入ってこれまでの札所は、その間の距離が比較的短くて、一日に何か
所もの札所を打つことも可能で、これは歩きにとっては楽でありがたい。
これはこの地が、三豊・丸亀・高松の主要な平野に代表される、讃岐平野と呼ばれ
る狭い範囲に集中して札所が配置されているからである。



 しかし一方では、讃岐特有の地勢である、火山性の出塊群と言われる、台地状、
円鋳状のお椀を伏せたような小山が沢山あり、そんな中、札所はその山麓や中腹に
構えていることが往々にあり、最後に苦しい山道や石段上りがあり、苦しめられると
いうこともある。
 しかし、苦しい石段や山登りを終えれば、必ず楽な下り坂というご褒美も頂けるの
で、良くしたものでもある。

 

 JR鴨川駅の近くで線路を渡り、綾川に架かる橋を渡り土手道を歩く。
途中「おもてなしステーション」が有ったが、休むほどの疲れも無く、そのまま通り過
ぎ、国道33号線で小さな峠を越えると旧国分寺町の町並みが見えて来る。
 府中高架橋の手前で側道に入り、そこを左折、旧道へと入ると札所は近い。(続)






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四国第79番霊場天皇寺(四国遍路の旅)

2014-07-14 | Weblog
 八十場の霊泉から200mほど緩い坂を登ると、いつの間にか白峰神社の境内に
入り込む。巨木が鬱蒼と茂る境内は広く、ゆったりと社殿などが配置されている。
うっかりしていると間違えそうであるが、ここは札所ではなく、79番札所・高照院は
その隣接地、すぐ隣である。



 元々は一体で神社の方が札所だったものが、明治の神仏分離令でご本尊が末
寺に移され、今の形になったと言われている。



 正面に回ると「四国第79番霊場天皇寺」と書かれた立派な石碑と、「崇徳上皇白
峰宮」と書かれた看板、「崇徳天皇」と書かれた扁額のある赤い鳥居が建っている。
この鳥居がまた珍しいもので、正面の大きな鳥居の両脇に小さな鳥居が、“ハ”の
字のように開いて構え、さらに笠木の上には瓦も葺かれている。
余り見かけることのない鳥居である。





 配流され、強い恨みを残しながら当地で崩御した崇徳上皇は、その後怨霊が人々
を畏れさせた。そのため長いこと居住されていたこの地に白峰宮を建立し、寺号を
天皇寺と改め鎮魂に努めたと言われている。



 境内から納経所に至る途中に、何やら不思議な形をした門が有る。
薄桃色に塗られた門に、角を付け傾斜のきつい屋根(?)を持ち、その上に鳥らし
きものが飾られている。壁に描かれている模様は、何やら中華風で、何とも日本の
お寺にはそぐわない不思議な門である。何か謂れでもあるかと思ったが良く解らな
かった。(続)





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八十場の霊水(四国遍路の旅)

2014-07-11 | Weblog
 郷照寺から79番札所・高照院まではおよそ6キロ、1時間半ほど、JR予讃線とほ
ぼ併走する県道33号線をただひたすら歩く行程だ。
人口5万人余りを擁する坂出市は、この辺りではさすがに賑やかな町並みを見せ
ている。



 そんな町中を歩いていて「久米通賢街道」と書かれた道路標識が目に留まった。
何だろうと、調べてみると人の名前で、「くめ みちかた」と言い、現在の香川県か
がわ市で生まれた江戸時代の発明家、暦学者、洋学者とあった。



 江戸時代末期、私財を投げ打って坂出における塩田事業を完成させ、地元の偉
人と讃えられる人物で、あの伊能忠敬よりも早く、領内の精密な地図を作り上げ、
忠敬が全国測量でこの地を訪れた折には、案内・接待係として測量に付き添った
と言われている。



 坂出の市役所を過ぎ、1キロほど進んだ先で、県道33号線を離れ、JRの線路を
渡り、少し山際に入った道を緩く上りながら歩く。
 すると町の外れに小さな池があり、それを覆い隠すような鬱蒼とした緑が茂る小
さな森が見えてきた。八十場の霊泉である。



 説明板によると、景行天皇の御世、悪魚の毒に悩む讃留霊皇子とその88人の軍
兵を甦らせた薬水だという。
また、800年の昔、保元の乱により当地に配流された崇徳上皇が、深い怒りと嘆き
恨みを残して崩ぜられた折り、その処置を京都に仰ぎ、検視の返事が戻るまでの
21日間をこの泉に浸し、腐損を防いだという。



 鬱蒼として森厳な気が感じられる森、今その泉の前には茶店が有り、名物の「と
ころてん」が遍路の疲れを癒している。(続)





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厄除けの郷照寺(四国遍路の旅)

2014-07-09 | Weblog
 門前の地蔵もちでお茶のお接待を受け、モチをいただいていると、ガラス戸の向
こうの通りを、見慣れた三人組が通り過ぎようとした。例の女性の三人連れだ。



 「一緒に食べていこうよ」と彼女たちを店内に呼び込んだものだから、余り広くも
無い店先が遍路であふれてしまった。
 「同じ善通寺で泊まったけど、もうすでに遥か先を行っている」と思っていたらしい。
「そんな筈はないよ、寄り道ばかりして歩く我々が・・」などと賑やかな事この上ない。



 高橋地蔵餅本舗を出て、その角を曲がると急な参道が待ち構えている。
79番札所・郷照寺は、丸亀の町中を通り抜けた隣町、宇多津町の青野山麓にあり、
厄除けの「宇多津大師」として親しまれている。
毎年お正月が近づくと、しきりにテレビで初詣の宣伝を流すので、瀬戸内地方では
比較的名の知れた有名なお寺である。



 石垣と植え込み、築地塀がどこかの豪邸の玄関先かと思わせるような、モダンな
雰囲気の山門を潜り、その先の石段を登ると本堂が有る。
更に石段を登ると厄除け大師堂が有る。
札所は真言宗のお寺が多い中で、ここは珍しく時宗のお寺である。
一遍上人による再興の歴史を持つからだという。





 ここから見渡せる瀬戸内海の眺望は素晴らしい。
宇多津町の町並みの向こうに瀬戸内の碧い海が広がり、JR予讃線の高架橋と、
その先に優美な姿を見せる吊り橋・南備讃瀬戸大橋が聳え立っている。
橋を渡る潮風が、ここまで届きそうである。(続)






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